はじめに

 独創的な町づくりで、大分県内はもとより全国的にも高い評価を受けている湯布院町。八十二年にはサントリー地域文化賞を受賞するなど、いまや湯布院は地方の時代のトップランナーといった趣きすらある。

 この湯布院町もいまでこそ<素敵なまち><酒落たまち>というイメージがすっかり定着しているが、ほんの十数年前までは、そうではなかった。温泉と田園の風情があるという外にはこれといって産物もない、ただのちいさな田舎町だった。

 その何もない町でどう生きるか?いや、何もないことはない、血気さかんな経営者たちを中心にした”ひと”がいた。湯布院人たちの、したたかな町づくりはそこから始まる。

 彼らはまず作ることより、作らないこと、コンクリート会館より自然にちかい農村を残そうという基本姿勢を打ち出した。その、自然にちかいスペースが今後の日本では人心を惹きつける、つまり、しっかり売れるという商業見通しである。高度成長期の真っ只中、昭和三十年代後半から四十年代前半のこととしては、大変な先見の明というべきだろう。

 彼らは大した施設もない街に、日本的な文化の交流、人の交流を作っていく。

 日本の映画人と映画ファンが町の人たちと一緒になって飲み、食い、語り合う「湯布院映画祭」。星空の下でクラシックの生演奏を聴こうという趣旨で始まった「ゆふいん音楽祭」。都会の人たちと契約を結んで牛の飼育をし、ひいては湯布院の自然、原野を守ってゆこうという農家には経済補填を、都会の人には自然を、という一挙両得の「牛一頭牧場運動」などなど。アイデアと実行力だけで勝負!というビンボー世帯の奮戦がつづく。

 こうした湯布院の町づくりの手法、思想を、湯布院町づくりのリーダーである中谷健太郎さん(亀の井別荘主人、湯布院町商工会長)に、自ら書いてもらった傑作ものがたり。汗と涙と笑いの数々である。

 なお、本書は、『月刊アドバンス大分』誌上で、五十三年九月号から五十四年十二月号まで、十三回にわたって連載されたものを修正加筆していただいたもの。記述に多少のズレがあるかと思われるが、お許しいただきたい。