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朝鮮人「強制連行」大分県の記録 |
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朝鮮を植民地にした日本は1930年代になり、満州事変(1931年)日中戦争(支那事変、1937年)に突入し、朝鮮をその物的、人的基地とするために世界の近代史に比類なき「民族抹殺」「皇民化政策」を強行した。その主なるものは(民族語の教育および使用の禁止)(創氏改名)皇臣化政策に代表される。 (一)民族語(朝鮮語)教育の禁止、皇臣化政 1935年9月、まず日本は朝鮮の各学校に対し、「日本神社」への参拝を指示し、強要した。こうした「民族抹殺、皇臣化政策」は南次郎が朝鮮総督(第7代)に就任(1936年)よりいっそう露骨になる。 皇国臣民の誓詞 1938年3月、日本は朝鮮教育令を公布し、朝鮮語を「選択科目」とさせる。同年3月31日平壌崇義、崇実、両校を神社参拝(皇居遥拝)拒否の理由で廃校にし、みせしめとする。1941年3月、各学校に「国民学校規定」なるものを公布し「朝鮮語授業」を廃止させた。時を同じくして民族服の使用までも禁止される。こうして日帝は五千年有余の豊かな歴史をもつ朝鮮の民族文化を抹殺していった。 (ニ)創氏改名 「創氏改名」は「皇国臣民の誓詞−1937年」につづき1939年に公布される。「創氏改名」いうまでもなく、民族固有の氏名を日本式氏名にかえさせることであり、「民族」そのものを「抹殺」し「皇民化−日本人への同化」を計った植民地政策であった。ここにその実例をみる。 例1 朝鮮には金 李 朴 崔 鄭 が比較的に多い。(五大姓という)「崔」という姓は概ね山中、山下、山本などの改名が多い。しかし、「山上」はない「上」は「お上」を表すもので朝鮮人は使うことができなかった。 例2 氏名を日本式に改めることは同化政策として強制的に行われた。「強制連行」されて来たら日本人監督または「係員」が呼びやすいように適当に「改名」された。「日立鉱山」での実例をみる。
(三)民族差別=蔑視 「日帝」は、朝鮮民族に対し、徹底的に「差別」し「蔑視」した。「朝鮮人」と呼ばず「鮮人」又は「賤人・半島人」とよんだ。朝鮮の朝は朝廷の「朝」で、あることからはずされた。「鮮人−半島人」は「無知で、野蛮で、恐いもの、汚ないもの」の代名詞のようになっていた。 私が子供のころの体験である。(幼子)が泣いていた。その母親は(日本人)は泣くとお巡りさん(警官のこと)が来るよといって、おどした。そのあと、私をみながら「半島人」が来るよとおどした。私は悲しくなりその場にいたたまれず逃げ出した。 こうしたヘ「民族蔑視」は、今も根深く残っている。
米入津小浦で発見されたハングル文字の中に「とう人(半島人の意味)一八八匹」と書かれているが、これらは「朝鮮人」がいかに「非人間的」に扱われ、差別、蔑視されていたかをものがたっている。 |
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