朝鮮人「強制連行」大分県の記録

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2章 強制連行とその実態(1939年−1945年)

 中国侵略戦争(1937年7月)につづいて、太平洋戦争へと狂奔する日本はその「人的資源」として、国民徴用令(1939年7月)を公布し、朝鮮人強制連行を強行した。また民族固有の文字、言葉、民族衣装の使用まで禁止し、姓名まで日本名に替えさせる(創氏改名)など、「民族の抹殺」をはかり「天皇崇拝」の「皇国臣民化」政策を強行した。さらに「徴兵令」を公布し、兵士、軍属として戦争に狩りたてただけでなく、はては朝鮮女性を駈し「従軍慰安婦」として戦線に送り込んだ。

1. 徴用(強制連行)徴兵とその数

(一)全国および大分県における徴用数

 いわゆる「朝鮮人強制連行」は、1938年(昭和13年)「国家総動員法」が公布され、その翌年、1939年7月「国民徴用令」の施行にともない、同月、内務・厚生次官通達「朝鮮人労務者内地移住に関する件」が、朝鮮総督府に通達されて始まる。

△「内務省、又朝鮮総督府、その他の資料」によれば、1938年より1945年までの朝鮮全土における「動員計画(徴用)数は計4,146,098名となっている。

注(但し、この計画数には1945年度が含まれていない。)
この動員計画数による「目本への動員数(運行数)は計1,259,933名となっている。
(表参照)
(但し、全国年度別朝鮮人・人口数によれば1938年(強制連行前年)が計799,878名であり1945年では2,400,000名とされている。従って1,600,000名以上が強制連行されたと推定される。)
注「強制連行調査資料」によれば、1945年当時、在日朝鮮人数は約3,000,000、強制連行者数は1,500,000−2,000,000と推定されている。

△ 大分県における強制連行者36,400名。

 大分県における「強制連行者数」に関する正確な統計資料はまだ確認できていない。したがって諸資料による推定しかできない。1938年、いわゆる強制連行が始まる前年度県下居住朝鮮人数は5,600名である。1945年その数は42,000名となる。当時在日朝鮮人の「移動」はほとんど禁止、統制管理された。
 したがって大分への転入はすべて「徴用」によるものであり「その差36,400名」が「朝鮮からの直接連行者」および「日本国内からの徴用者」と推定される。1945年当時県下朝鮮人居住数42,000名とある、これは驚くべき数である。これについて諸説があるが42,000名についての根拠資料をみる。
 注1

▲ 大分県「戦後県政の回顧」によれば1945年、県下朝鮮人在住数42,000名、その後転入者800名、転出者16,321名、帰国者17,979名、残留人員(昭和22年9月現在)8,500名とある。

▲ 朝鮮民主主義人民共和国ピョンヤン博物館に保管掲示されている「日本警保局資料」によれば大分県居住朝鮮人数は1943年、20,473名、1944年29,933名となっており、この資料は「内務省統計」及「国勢調査報告」による1944年度大分県居住朝鮮人数と一致する。

 注2

 大分合同新聞1945年11月1日付=昭和20年)「県下の鮮人−一切の世話は興生会で」の報道記事のなかで「県下在住半島人、四万二千のうち、帰鮮したものもあって現在三万五千人位であるが…」とある。

△ 死亡、事故者、その他について「強制連行」(徴用)による「死亡及事故者」は全国的にもまた大分県においても多数いたが、その実数は明らかにされていない。

 注1

 このことに関し、(野口崇行氏)によれば戦時中朝鮮人、中国人労働者にたいする強制連行および虐待、虐殺の資料を敗戦後まもなく焼却して証拠書類を湮滅した。「八月十六日戦時中の華人及び朝鮮人に関する統計資料訓合その他の重要書類の焼毀を軍需省より被命直ちに課員をして整理し会計経理に関するものを除き、私物といえども一物も残さず桜田国民学校裏地(当時の戦時建設団本部)にて焼き三日間を要した。」(野木崇行)とある。

 注2

 日本政府は朝鮮人、中国人労働者の強制連行にたいしては何らの道徳的責任も負わないばかりか、適正な賠償も行わず、かえってこれら業者にたいする国家補償は大いに行い、日本独占資本は朝鮮人、中国人労働者にたいする「補償」を口実に莫大な利益を得たとされている。
 日本政府は1945年11月、日本建設工業統制組合の「土木建築事業における中国人、朝鮮人労務者の処理並に損害賠償に関する陳情」による121,592,919円(内集団連行朝鮮人にたいする損失金51,002,614円)の請求にたいし国家補償として

自由朝鮮人労働者にたいする戦時建設団補助金

8,500,000円

中国人労働者連行補助金

5,453,000円

終戦後の朝鮮人、中国人労働者「損失補償金」

32,000,000円

合計

45,953,000円

を支払った。
 さらに土建業者にたいして緊急融資金として日本興業銀行から620,600,561円を融資している。このうち朝鮮人労働者の休業手当 6,792,762円、帰国手当、慰労金 22,500,000円となっている。
 これらは土建関係にたいする国家補償の一部であり、炭鉱、金属鉱山、港湾、造船関係を含めば莫大な金額に上がると思われる。
注 「日本建設工業統制組合」には鹿島組、大成建設、間組、西松組、鉄道工業、飛島組、熊谷組、地崎組、川口組、菅原組、荒井合名、伊藤組、瀬崎組、土屋組等が加入している。(強制連行資料より)

 注3 当時の朝鮮人募集規則「労働者募集取り締まり規則」

1. 時局産業に従事し、もって国家に貢献せんとするものなることを自覚すること。
2. 内地渡航後は所定の訓練所に入所し、訓練を受くべきこと。
3. 職場の変更はこれをなさざること。
4. 協和事業団体に加入し、その会員証を所持すべきこと。
5. 住所を変更したときは五日以内に協和事業団体に届出ずべきこと。
6. 内地の生活風習に順応し、内地人の嫌悪するがごとき所為なきこと。
7. 言語は国語(日本語)を使用すること。
8. その他協和事業団体幹部、警察宮及び職業紹介所の指示に服すべきこと。

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