尾瀬を通る林道が中止されなかったら


 1970年代,日本中が高度成長で賑わっていた頃,尾瀬の近くを通る林道
  (実質的には観光道路の意味あいが強い)の敷設が決まり,自然保護団体や
 尾瀬の登山者などからの反対の声を無視して,林道工事は開始された。

  その頃,環境庁が新しく新設され,初代の長官は大石武一氏であった。
 当時,長蔵小屋の主人平野長靖氏は,林道工事による自然破壊のひどさや林
 道開通後予想される尾瀬の観光客急増による尾瀬の破壊を本当に憂慮しそし
 て平野長靖氏が(主体となり)大石長官に直接林道の工事の中止を陳情した。
 そして、ついに長官の現地視察が実現した。

  そして、現地を見た大石長官は林道の工事の中止を決定した。
 高度成長期といわれた当時の時代背景等から、この決断の早さとその内容に
 は私自身も驚いた事を覚えている。
 林道によりお客が増えることより,尾瀬の自然を守ることを選び,大石長官
 も現地を見て同じく林道開通推進のメリットより,尾瀬の自然を守ることが
 重要と判断したのだろう。

  この決断は尾瀬のその後の運命を大きく左右した事になるが、当時として
 は林道を推進する勢力の抵抗等苦労が多かったであろう事は容易に推察でき
 る。

  ところがその後,長蔵小屋の主人は冬期に小屋から麓へおりる途中で遭難
 し亡くなられたのである。冬期とはいえ子供の頃からなれた道での遭難は精
 神的疲労も大きな要因であったのではなかろうか。

    一方大石長官はその後の選挙で落選したと記憶している。
  (大石元環境庁長官の関連記事へ)(平成8年12月)
  もし,この時林道工事が継続され開通していたら,いまの尾瀬はなかった
 かもしれない。この時中断された林道は途中まで出来ていて今も残っている。

  その後,長蔵小屋は,36歳の若さで亡くなられた長蔵小屋の三代目,平
 野長靖さんのあとを妻の紀子さんが継いで,今も健在である。

                      (平成8年2月記載)
                      (平成13年7月一部更新)



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