| 平家物語と惟栄 瀬戸内紀行 |
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■豊後の英雄緒方三郎惟栄とはどんな人物? ■「平家物語」にも出てくる『大蛇伝説』とは? ■豊後を支配していた大神一族とは? ■緒方三郎惟栄が九州武士団の棟梁になれたのはなぜ? ■三郎はどこで活躍していたの?(マップ) ■緒方三郎惟栄に関わる遺跡はあるの? ■緒方三郎惟栄のことがすぐわかる年表 ■緒方三郎惟栄と関係のある人物はどんな人? ■「三郎プロジェクト」って,何してるの? |
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![]() 緒方氏の祖といわれる大蛇 ![]() 黄色の部分は大神一族の所領 |
弓矢打ち物とって九州二島にならぶ者あるまじき ■豊後 九州に、「武者の世」を実現していく惟栄ら豊後大神一族の軍事力を,『平家物語』は「彼の惟義はおそろしきものの末なりけり。かかるおそろしきものの末なりければ,国司の仰を院宣と号して,九州二島にめぐらしぶみをしければ,しかるべき兵ども惟義に随ひつく」(『平家物語』 緒環)と説明している。 ■つまり,彼らは「恐ろしきもの」,すなわち「日向国にあがめられ給へる 高知尾の明神の神躰」である大蛇と,豊後国の片山里の娘の間にうまれ,高知尾の神みずからが「弓矢打ち物とって九州二島にならぶ者あるまじき」男子と保証した「あかがり大太」の子孫ゆえに,武勇にすぐれ,九州の武士に廻状をまわして,連合をよびかけてその盟主となる政治的立場にあったことを述べているのである。 豊後の4勢力と広大な領地 ■豊後には大友氏入部以前,有力な在地武士として,大神と清原・大蔵の各一族,およぴ宇佐の神官の一族があった。このうち清原・大蔵両氏が拠った日田・玖珠両郡は山間部に位置していたため,一族の発展はほぼ郡内に限られていた。 ■これに対し緒方・大野・阿南以下の大神一族は,大野・大分両川の流域を含めた平野部を抑え,日向北部から豊後南半一帯にめざましく発展した。 |

![]() 九州武士団を引き連れて平氏を 九州から追い出した ![]() 豊後の軍船を86艘源軍に献上した |
九州最強軍団 ■大神一族の拠点となった豊後国大野・直入両郡は,奈良時代から政府の牧場があり,馬を巧みに操りながら弓矢を射る「弓馬の士」(のちの武者の定義)を生み出し,大宰府を守る軍の要となっていた。それゆえ,緒方三郎惟栄が九州武士団の棟梁となるのである。 国衙機構の支配 ■惟基以後,一族は大分川 大野川流域に勢力を拡大し,各地の開発領主 在地領主となっていった。彼ら自らが荒れ地を開発するというよりも,武芸をもって 国衙(こくが=国司の役所) に勤務し,各地の郷司 保司などの公職や荘官などに任命されることや,武芸を見込まれての有力農民との婚姻などによって勢力を浸透させ,地域の農民支配をまかされるようになった。 ■大神一族はまた大分川・大野川を中心にした海陸交通を支配した。国埼津や佐賀関・臼杵などの瀬戸内海の交通の要衝を支配したことは瀬戸内海を利用した京都や博多との交易を独占したことを意味する。さらに,荏隈(国府)や三重・宇目・直入などの各駅を支配したことは東は臼杵や国埼から西は阿蘇の平原まで強力な機動力を得ていたのである。 |
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