| 平家物語と惟栄 瀬戸内紀行 |
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■豊後の英雄緒方三郎惟栄とはどんな人物? ■「平家物語」にも出てくる『大蛇伝説』とは? ■豊後を支配していた大神一族とは? ■緒方三郎惟栄が九州武士団の棟梁になれたのはなぜ? ■三郎はどこで活躍していたの?(マップ) ■緒方三郎惟栄に関わる遺跡はあるの? ■緒方三郎惟栄のことがすぐわかる年表 ■緒方三郎惟栄と関係のある人物はどんな人? ■「三郎プロジェクト」って,何してるの? |
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| 現存する唯一の三郎像 |
![]() ![]() ![]() 壇ノ浦の戦い |
■平安時代末期,日本は源氏と平氏の真っ二つに別れ争いあった。世にいう源平合戦である。「平氏にあらずんば人にあらず」と栄華を誇った平氏も,清盛の死後急速に衰退し,壇ノ浦の戦いで安徳天皇と共に海の藻屑と消え,源頼朝の鎌倉幕府の時代となる。 ■この激動の時代に大活躍したのが源義経と緒方三郎惟栄である。義経は頼朝の弟であり,一の谷合戦や屋島の合戦などその超人的な活躍にもかかわらず,奥州平泉で頼朝から殺される。 ■緒方三郎惟栄は「大蛇の末裔」と呼ばれ豊後の国を中心に九州一円に名を轟かせていた。惟栄は平氏の御家人でありながら平氏の専横を憎み,九州武士団を率いて大宰府に落ちてきた平氏を九州から追い落とし,平氏滅亡の端緒を開いた。 ■また,源範頼が壇ノ浦にいる平氏を追って周防まで来て船もなく平糧も尽き進退窮まったとき,兵船82艘を献上し源範頼軍を先導し,壇ノ浦合戦に大いに貢献した。 ■そして義経が頼朝から追われることになると,義経を連れて九州に渡ろうとする。ところが,大阪大物浦から出航してまもなく嵐にあい船は難破し義経と散りぢりになる。 ■義経は弁慶とともに奥州へ逃げる。惟栄は捕まり群馬県沼田荘に流される。そして,豊後を支配していた惟栄ら大神一族も大友一族にとってかわられる。 ■しかし,緒方三郎やその兄臼杵惟隆ら豊後大神一族は臼杵石仏を始めとするすばらしい地方文化を築きあげ,今もなお私たちの誇りとなっている。 |
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