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第6章  緒方三郎惟栄 平氏を九州から追い出す


資盛が軍勢500余騎を引き具して惟栄館に
 
 京を落ちた平家は,やがて「筑紫に都を定め,内裏を造営すべし」と公卿会議で協議したが,緒方三郎惟栄の謀反によってそれもできなかった。
 新中納言平知盛(とものり)が,「かの緒方三郎惟栄は。小松殿重盛公の家人である。されば,その小松殿の若君のお一人が,かの惟栄のもとにおいでになって,彼を説得してみられてはいかがでしょうか」と申し上げた。
 そこで,新三位中将資盛(すけもり)が軍勢500余騎を引き具して,豊後国に急行し,惟栄を説得するが惟栄は服従しなかった。それどころか,惟栄は「若君のあなたを,ここで捕虜にいたすべきところですが,それはやめておきましょう。ただちに大宰府にお帰りになりご一門の方々といかようにもなさりなさい」と言って追い返した。



緒方三郎惟栄,次男野尻次郎惟村を大宰府に遣わす
 その後,緒方三郎惟栄は,次男の野尻次郎惟村を使者として大宰府に遣わした。「平家は重恩を受けた主君なれば,兜を脱ぎ,弓の弦をはずして降参すべきところなれど,後白河法皇の院宣によれば,平家を速やかに九州から追放せよとのことでございます」と申し述べた。
 やがて,平大納言時忠が表座敷に現れて,惟村に「そもそもわが君(安徳天皇)は天孫天照大神より49代の正統,神武天皇より81代の帝でおわします。平家は保元・平治の乱以来九州の武士たちを内裏方に召したのに,その君恩を忘れ,東国の逆徒である源頼朝や木曽義仲らに誘われて鼻豊後(源頼輔)の命令に従うことこそけしからん」と一気にまくしたてた。



緒方三郎惟栄平家の軍を打ち破る
 
 野尻次郎惟村が大宰府から帰ってことの次第を惟栄に報告すると,惟栄は「これは,なにを言うか。昔は昔,今は今。そのようなことなれば平家を九州から追い出し申せ」と言い,軍勢を整えた。
 その知らせが平家に入ると,源大夫判官季貞(すえさだ)・摂津判官盛澄(もりずみ)は,「けしからんこと。惟栄を召し捕りましょう」と言って,軍勢3000余騎を率いて,筑後国に進発し,高野の本庄に向かい,一日一夜攻撃をかけた。しかし,惟栄の軍勢はさながら雲霞のごとく,群がり重なったので,平家軍は退却せざるをえなかった。



大宰府を落ちる平家
 「ただいまこれに緒方三郎惟栄が三万余騎の軍勢で攻め寄せてまいりまする。一時も早く落ちのびさせたまえ」と侍の一人が火急を告げた。
 大宰府にいた安徳天皇はじめ建礼門院以下身分の高い女房たち,前内大臣平宗盛以下の公卿・殿上人たちも袴をからげ徒歩だちのままで取るものも取りあえず大宰府の水城から落ちてわれ先にと博多湾の箱津の津に逃げのびた。おりからのどしゃ降りの雨,女たちの悲鳴,悲嘆のあまり流す涙と降る雨の激しさは区別もつかぬありさまだった。



山鹿兵藤秀透が平家を迎える
 
 平家の一行は住吉社,箱崎宮,香椎宮,宗像社を伏し拝み,垂水山,鶉浜(うずらはま)の難所をやっとの思いでこえ広々とした砂浜に出た。足から出る血が赤々と砂を染め,女房のはく袴はさらに濃く赤く見えた。
 と,そこに山鹿兵藤秀透(ひでとう)が数千騎で平家を迎えにやってきた。しかしこの秀透と都から平家の共をしてきた原田大夫種直(たねなお)はことの他不仲であったので「これはまずいことになった」と途中から引き返してしまった。平家一行は芦屋の津を通り山鹿兵藤秀透の居城の山鹿城にたてこもった。



山鹿からからがら柳が浦に逃げる
 しかし,山鹿城にも惟栄の軍が攻め寄せてくると伝えられたので,平家一門は取るものも取りあえず,「浦にもやう船と名のつく船のすべてを集めよ」と漁夫の小船をこぎ集めた。あわてて小船に乗ると夜もすがら豊前国柳が浦に漕ぎ渡った。
 そこで内裏を造ろうとしたが,長門より源氏の軍勢が攻めてくるといううわさに慌てふためいて,再び漁夫の小船に乗って波の上を漂うことになった。



入水する平重盛の三男左中将清経
 
 小松殿平重盛の三男左中将清経(きよつね)は,何事につけても思いつめるところがあったが,ある月の美しい夜のこと,船屋形の中から船端の上に出て,横笛で音取りをして,朗詠をした。
 「都をば源氏の軍勢のために攻め落とされ,九州をば緒方三郎惟栄のために追い出され,網にかかった魚のごとし。これから先,どこへ行けば逃げることができようぞ。どうせ,いつまでも生きおおせる身にもあらず」と言って静かに経を読み,念仏を唱えると海の中に身を沈めてしまった。



紀伊刑部大夫道資が献上した船で四国に渡る平氏
 長門国は新中納言平知盛(とももり)の領国であった。この目代紀伊刑部大夫道資(みちすけ)は平家が漁夫の小船に乗っていると聞いて大船100艘をととのえて献上した。
 平家一門は船を乗り換えると四国に押し渡った。そして,阿波の民部紀重能(きのしげよし)のはからいで讃岐国屋島の海辺に形ばかりの内裏や御所を急造した。

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