佐藤、眞幹@別府八湯石垣温泉です。
今日、大分市から帰る途中、サルの高崎山南斜面は、桃色の花色(梅の花)の美しさが増えたのを横目で見ながら、ウグイスの声を夕方聞きました。(運転中は、アブナイから、みんな気をつけて)
一昨日は、朝早くしか聞けませんでしたのに。ふと、岡林の写真まで見たくなりました。自分の若き日の情熱をも、思い出しつつなつかしくもあり、ビーコンで、聞きたい欲が深まっています。新しく激しい活動の季節が迫っているようです。
「かみさんホームページの全国版」を一昨日、検索ルート様に新規全訂したおり、これに、「ヒツトパレードクラブ」の舞台風景写真も 掲載させていただきました。
深瀬様、栗田様、許可下さるようお願いします。
そして、先ほど「岡林信康コンサート開催」を追記いたしました。http://www.d4.dion.ne.jp/~kamisanf/index.htm
より多くの多種多様な方々と、そして若い方々と共に、聴きたいコンサートだと思います。
私は、いかなる音楽も、誰が主催後援しょうとも年齢境、町市境、県境、国境も無いのが最大の良さだと信じかつ、音楽団は、何よりの「親善団」であり、「観光宣伝隊」でもある事を主張する者の一人です。あわせて、求められる場所に赴くのが音楽にかかわる者の義務であるわけです。「親善団」であることを含めて、世界の先人達も、そうしてきたわけです。そして、いかなる町の首長でも、この音楽の効果を理解できぬ人は、一人も居ないと感じています。ただ、その周辺の怨念を持つ言い分に、それぞれが振り回される事になる状況は、日本の各地いづこも同じだと感じています。これを理解せぬ者の一部の勝手な報道のあり方で、左右されてしまう他の例があるのは残念です。歴史が示すように、音楽を運営リードする者、負担を持つ者の当事者間は、言い分は自由であり、対等であるわけです。互いが、何でも言える、醜くも、見えるが言いたい事を言いながらも大切なときは、臆せず、真義を述べ今の堂々とした信頼関係で互いが築き歩み寄ろうとする努力こそ、素晴らしい別府への発展につながると信じています。また、長くなりました、御免下さい。【2000/02/26 佐藤眞幹】
吉永秀生@別府温泉です。
先日 深瀬・栗田ご兄弟がご来店の折にフォークの神様 岡林信康コンサートのポスターを置いて帰られました。私 チケットを未購入でしたねぇ、早速買いに行こうと思います。
ちなみにポスターの内容はBEBAコンサート 20世紀の音楽シリーズ第2回というタイトルで
開催日時:2000年3月30日 19時開演
場所:ビーコンプラザ(フィルハーモニアホール)
指定席 4800円 自由席 3800円 です。
豊後くれない太鼓も「エンヤトット」でジョイントするそうです。今回のコンサートで歌ってもらえるかはわかりませんが、岡林信康の歌で切なくなるようなラヴソングがあるんですよ。歌のタイトルは「愛する人へ」で歌詞の1番だけ紹介しますと
知らないうちに僕は君を
思いのままにしようとしていたんだね
僕が人からされたくないことを
僕はいつも君にしていたんだね
思いどおりにならなかったから
僕は君をすててきてしまったのさ
わかってほしいんだこれでも君を
僕は本気で
愛しているつもりだったのだから
著作権侵害になりましたが、とても良い歌です。「久しぶりにライブで聞きたい一曲でもあります」とリクエストをします。【2000/03/09 吉永秀生】
栗田@竹瓦ヒッパレです。最近では、岡林信康、誰それ?知らない!という人が結構多いので彼のプロフィールご案内しておきます。
岡林信康プロフィール
1946年 7月22日滋賀県近江八幡市生まれ(父はキリスト教会の牧師)
1966年 同志社大学神学部に入学。ホクシング部に入部。その年の夏休み、
東京山谷のドヤ体験に大きなショックを受け大学をドロップアウト。
1967年 高石友也のフォークソングコンサートに感銘を受け作詞作曲を開始。
1969年 「私を断罪せよ」発表。反戦フォークの旗手的存在となる。その後
ボブ・ディランに傾倒。
1970年 「見るまえに跳べ」発表。はっぴいえんどと共に日本語のロックを提唱。
教祖的存在として祭り上げられるが、本来の自分との相克に傷つく。
1971年 「俺らいちぬけた」発表。以後71年から5年間岐阜、京都府下の
山村にひきこもる。
1973年 「金色のライオン」発表。
1975年 「誰ぞこの子に愛の手を」発表。農村生活の中で演歌に傾倒、作品を
美空ひばりが取り上げ話題となる。「うつし絵」発表。以後ジャンルに
とらわれない独自の作品を主にレコードを通して発表し続ける。
1976年 居を京都郊外のベッドタウンに移す。
1977年 「ラブ・ソングス」発表。約100箇所の ギター一本弾き語りツアーを行う。
1978年 「セレナーデ」発表。
1979年 「街はステキなカーニバル」発表。
1980年 「ストーム」発表。
1981年 「グラフィティ」発表。
1980.1981年とニューヨーク、ロンドンを訪れ、あるミュージシャンの「君達のやっているロックは、俺たちのコピーばかりじゃないか。これが日本のオリジナルだというものを聴かせてみろよ」という言葉に打ち砕かれる。以後、独自のロックンロールをを模索。祭囃子、民謡、御神楽に受け継がれているリズムやノリを土台にしたエンヤトット・スタイルを思いつく。しかし、迷路にはまりこむ。1984年6月より、たったひとりのギター弾き語りコンサートツアー「ベアナックル・レヴュー」を開始。1986年韓国のパーカッショングループ「サムルノリ」との出逢いに衝撃を受け、やっぱりリズムなのだと確信。
1987年 「エンヤトットでDancing」を自主制作で発表。
1990年 「ベア・ナックル・ミュージック」を発表。
1991年 「信康」発表。
1992年 「メイド・イン・ジャパン」発表。
1993年 ライヴアルバム 「岡蒸気」 ヴィデオ「今夜は朝まで踊りましょ」発表。
1998年 レコード会社を移籍し「風詩」を発表。エンヤトットスタイルの
確立を目指し、精力的にコンサートを続行中。
【2000/03/09 栗田達夫】
おや、高石友也の影響を受けてる割には現在は仲が悪いようですねー。しかし彼のフォークロック時代には必ずと言っても良いほど伝説のバンド「はっぴぃえんど」の名前があがりますねぇ。「はっぴぃえんど」を知らない方に簡単に説明しますと大滝詠一・鈴木茂・細野晴臣・松本隆という今から見れば凄ーいメンバーで結成された伝説のスーパーバンドでした。そういったバンドをバックバンドに引き従え岡林さんが活躍していたんですよね。
> 1971年 「俺らいちぬけた」発表。
>
> 1993年 ライヴアルバム 「岡蒸気」 ヴィデオ「今夜は朝まで踊りましょ」発表。
> 1998年 レコード会社を移籍し「風詩」を発表。エンヤトットスタイルの
> 確立を目指し、精力的にコンサートを続行中。
ずいぶんアルバムを出してるんですね、この中で10枚くらいは今でも手に入るようですね。私が所有のCDは初期のものとライブ盤です。CDも欲しくなりましたねー、どうしようかなぁ。【2000/03/10 吉永秀生】
栗田@竹瓦ヒッパレです。3月30日のビーコンでの岡林信康のコンサートのティケットは、皆様のおかげで順調に売れておりますが、まだお席に余裕がありますので、どうぞ宜しくお願い致します。さて、当日のアフターコンサート・イベントとして北浜通りニッカビルの「サムタイム」(0977-26-3500)にて午後10時頃より「岡林信康と飲む会」を行います。会費三千円ですので、彼の唄とお酒のお好きな方は是非ご参加下さい。但し、人数に限りがございますので、ご予約頂ければ幸いです。連絡先は、下記でお願いします。
【2000/03/24 栗田達夫】
岡本@ML辞書編集人です。
>北浜通りニッカビルの「サムタイム」(0977-26-3500)にて
>午後10時頃より「岡林信康と飲む会」を行います。
うっ、うらやましい。もし東京会議がなかったとしたら、よけいうらやましい。わたしの大学生時代は100%フォークでした。高石友也、森山良子などを見るため星薬科大学、杉野講堂などに行きました。なつかしい。岡林の歌では、軟弱にも「チューリップのアップリケ」が一番好きです。
【2000/03/24 岡本明雄】
塚原@大阪・中之島です。
こんにちは。
>栗田@竹瓦ヒッパレです。いよいよ本日ビーコンで
>18時開場19時開演です。まだまだお席がありま
>すので、宜しくお願いします。
>これから空港にお迎えに行きます。
お出迎えご苦労様です。昨年はタンゴ・コンサ−トで盛り上がりましたね。今年は岡林信康、シブイですねえ。ご盛況になることをお祈りします。【2000/03/30 塚原秀樹】
佐原です。
音楽祭事務局の皆さんもボランティアとしてお手伝いにこれから向かいます。私と家内もコンサートに行かせて頂きます。【2000/03/30 佐原秀治】
こんにちは、菅@別府八湯です。
ビーコンで開催された岡林信康コンサートに行ってきました。まだだれも報告していないので・・・・
栗田さん陣頭指揮によるチケット売り場で、このMLで手配依頼された結城さん、眞幹さんのチケット準備して会場入りです。私にとっては懐かしいという部類に入る岡林信康ですが始まって2曲目に岡本さん同様大好きな「チューリップのアップリケ」を歌ってくれました。岡本さーん直接聞くとやはり「ウルウル」になっちゃいます。「うち やっぱり お母ちゃんに 買うて欲しい・・」久しぶりに最後までじっくりと聞きました。
岡林の最近のステージ、和太鼓、三味線、笛、尺八などを使った演奏の連続です。日本の昔からのリズムに乗せて唄うスタイルですね。これはこれでつい手拍子が出てしまいました。休憩時間はMLの皆さんとの挨拶風景がアチコチで見受けられましたね。相当数このML参加の皆さんが会場に入っているようです。
そして後半の最初の歌は 深瀬さん曰く 15年ぶりに封印を解いてお客様の前で唄ったあの「山谷ブルース」で始まりました。ギター抱えて一人で唄う姿も当時のこといろいろと思い出しますね。二次会の岡林を囲む会まで残ってお付き合いさせていただきました。この場所へは ビーコンから参加の方に加えて じんさん、と「きりん亭」のじゅんさんのお二人も参加してくれましたね。関係者の皆さん開催ありがとうございました。
深瀬さん当日の会場入り口で配布したプログラムで最終ページに岡林信康を紹介した文章はぜひこのMLで掲載していただけませんか、あの頃の岡林さんの発表曲の流れが判りやすく紹介されていますので・・・・
【2000/03/31 菅 健一】
深瀬です。
昨晩のコンサート無事に終わりました本当にありがとうございました。予定よりお客様の数は残念ながら少なかったのですが、内容の濃いコンサートでありました。友情出演の紅太鼓さんお疲れ様でした。有難うございました。
ビーコンのフィルハーモニアホールは不思議なホールです。アルゲリッチに伊藤京子さんは10年ぶりのソロリサイタルを開かせ、岡林信康に15年ぶりで封印されていたとでも言うべき「山谷ブルース」を歌わせてしまいました。彼の思いよりも一人歩きしてしまった歌のいくつかを彼は今ほとんど歌うことがありません。二部の最初でイントロが始まったときはマネージャーに当たる人間と思わずヤッタと顔を見合わせていた深瀬です。
あらためて皆さん有難うございました。
ではプログラムに載せた文章です。
岡林信康
「フーテナニーって何?」。
1960年代初頭ギターを抱えた高校生にアメリカから新しい
音楽が届いた。仲間の一人> の父親がアメリカから買って
きたLPレコード。ギター二本にウッドベースのみの三人編成。
女性一人に男性二人の白人グループの透き通ったコーラスと
美しい金属弦の分散和音はジャンジャカとしか形容のしが
たい弾き方しか知らなかった高校生を虜にした。何より楽器が
安上がりでそれなら揃っていた。響きに誘われながらコピーを
はじめる。ピーター・ポール・マリーというグループだった。
歌詞がどうやら社会に対して大きく意義を申し立てている内容
に間もなく気がつき一層気に入ってしまう。「花はどこへいっ
たの」「風に吹かれて」など公民権運動やベトナム戦争などを
背景とし社会的な問題提起を歌にしたものだった。たとえば
「雨を汚したのは誰」という歌は「雨の中で遊んでいた少年が
いなくなってしまった、だれが一体雨に何をしたの!」と原爆
実験による放射能汚染を問いかけた。フーテナニーとは当時の
モダンフォークソングの事だった。それは思想をもった新しい
形の歌で硬派を気取っていた高校生には素晴らしい物に思えた。
そしてある日衝撃的な歌がラジオから流れた岡林信康だった。
最初のアルバム「私を断罪せよ」は、くよくよするのはもう
やめさ、きのうに聞くのももうやめさ、りこうぶるのももう
やめさと歌う「今日をこえて」ではじまり三曲目では戦争で
満州へ兄をとられた農村を歌う「もずが枯れ木で」出稼ぎを
歌う「お父帰れや」そして「山谷ブルース」と続く「それで
自由になったのかい」と社会に問題提起し最後の曲で「友よ、
夜明けは近い」と締めくくったのである。同世代の同じ音楽を
していた私にとってこの才能にはただ感動するしかなかった。
同志社の神学生だった彼は疑問の中に山谷のドヤ街に飛び込み
「山谷ブルース」をひっさげ登場してきた。時まさに70年学生
闘争の起こる前夜。まもなくデモ隊の先頭にギターを持った
学生たちが現れ彼の作品「友よ」を歌いながら行進を開始する。
フォークゲリラ、アンダーグラウンドなどという言葉を生み出し、
細野晴臣・大滝詠一らの伝説的バンド「はっぴーえんど」を
率いて日本語のロックを表現しその後の音楽シーンに多大な
影響を与えた岡林信康、カリスマとはこういう存在を言う。
そして71年 自分の思いとは別に一人歩きする歌との乖離に
苦しみ山村にひきこもる。社会と真っ向から対峙しなければ
ならなかった岡林、しかし次に来る吉田拓郎やそれに続く
フォーク歌手達はノンポリ化してゆく世相の中で音楽ビジネス
としてビッグに成功してゆく。それを横目で睨みながらギター
一本で歩き回った、直川村からモンゴル、トルコまで自分の
音楽に対する不器用なまでの律儀さで。そして今アジア人と
しての音楽にたどりつく。和太鼓、津軽三味線、韓半島の
チャングそれらのカオスの中に今の岡林信康がある。また
子供を育ててきた50代の親としての岡林もいる。この30年の
軌跡を今日は皆さんと共に聴き届けたい。彼が今夜、何を
歌い何を歌わないのか。
【2000/03/31 深瀬俊夫】
吉永秀生@流れ者(昨夜の岡林の影響か)です。
> こんにちは、菅@別府八湯です。
>
> 二次会の岡林を囲む会まで残ってお付き合いさせて
> いただきました。この場所へは ビーコンから参加の
> 方に加えて じんさん、と「きりん亭」のじゅんさん
> のお二人も参加してくれましたね。
彼らとずいぶん深夜(時間は内緒)まで飲んでました。「きりん亭」のじゅんさんとは初対面でしたが、酒の勢いで「キャベツのキムチはいかん」などとずいぶん失礼な事を言ってました、でも本心です。いやー、楽しかったー。さーて温泉祭りの準備をしなくちゃね、忙しいぞー。【2000/03/31 吉永秀生】
野上@別府温泉です
> APU今村です。
こんにちは
>
> 5月20日のAPU開学祭には、杉田二郎、ばんばひろふみ、
> 小室等のコンサートがあります。別府公園です。
> こっちのほうにも足をお運びください。
>
小室等を僕は「小室(てつや)等(など)」と勘違いして、喜んでしまいました。(^^;;
【2000/03/31 野上泰生】
ハイパー研 藤野です。
昨日のコンサートは高校時代の同級生たちと楽しませていただきました、ありがとうございました。会場のバーに出ていたオリジナルカクテル「山谷ブルース」は、率直にいって味の方は今一つだと思いましたが、ネーミングの心意気で飲ませていただきました、ついでにマティーニを2杯たてつづけにいって、すっかりいい気持ちになってしまいました、コンサート会場にカクテルバーは必須ですね。【2000/03/31 藤野幸嗣】
小室等もすごいんだぞ!!・・・・・・・APU今村でした。【2000/03/31 今村正治】
野上@別府温泉です
今村@APUさま
失礼しました、ほんと。。
姉に「小室(てつや)が来るぞ!」と自慢したら、これは小室等(ひとし)と読んですごい人だよと指摘され、認識を改めました。芸能関係に疎いもので。【2000/03/31 野上泰生】
菅@別府です。
今村さん 別府公園楽しみです ありがとう!
> 小室等もすごいんだぞ!!
> ・・・・・・・APU今村でした。
「六文銭」の小室等、「五つの赤い風船」の西岡たかし この二人は関西フォークの歴史では外せません・・絶対 ちなみに小室等のホームページ
http://www.forlife.co.jp/komurohitoshi/index.html
「五つの赤い風船」
http://www.kt.rim.or.jp/~societe/fusen/
【2000/03/31 菅 健一】
岡本@ML辞書編集人です。
> 野上@別府温泉です
>
> 小室等を僕は「小室(てつや)等(など)」と勘違いして、
> 喜んでしまいました。(^^;;
いつも々ギターが欲しいと言っていた頃、2歳年上の姉(体育会系、高校の卓球部のキャプテンだった)が高校を出て就職し、最初のサラリー(田舎のガス販売会社、たぶん1万円くらいの初任給)でギターを買ってくれた。、姉のきっぷのよさに嬉しいやら、驚くやら。ギターは2000円〜3000円くらいだったと記憶してす。これ以来、姉には全く頭が上がりません。ポロ々とギターを練習していたら、父がちょっと貸してみろといって、古賀政男の湯の町エレジーを弾きました。これもびっくり、父が使える楽器は尺八だけだと思っていました。どこでおぼえたのかと聞くと、海軍でおぼえた。海軍にはいろんな面白い人がいて、ギターひけると女にもてるぞといってみんなに教えてくれたといっていました。
さて、それからすぐ本をみていても練習にならないと思い、本屋で最初にかったのが赤いソノシートが付録についたギター練習本、その本の著者が小室等、たしか題名は「PPMに学ぶスリーフィンガー奏法」だったような。「つばめの歌」「ドナ・ドナ」「パフ」「花はどこへ行った」「風に吹かれて」(これはPPMではなくボブ・ディランだけど、きっと小室等自身が好きで入れていたのだと思う)など々。ということで、最初にまじめにギターを練習したのは小室等の「ソノシート付きギター練習本」でした。
PPMについては、先日、TVの「徹子の部屋」にPPMが出演して「天使のハンマー」「パフ」「子供たちはどこへ行った(花はどこへ行ったの詩を変えたもの)」などを歌っていました。今更ながらに、強烈な反戦歌だったということを再認識しました。「子供たちはどこへ行った」と(番組で題名をいったのですが忘れました。PPMの新しい歌)「ぼくにかまわないで?だったような」(いじめられっこが、自分を愛してとはいわない、口もきいてくれなくてもいいが、今はぼくにかまわないで、というような内容だった)はとてもよい歌だと思いました。
小室等とPPMはぼくのギターの先生だった、スポンサーは姉だったという お話でした。36年近く前の話なので、わたしの買った本は、小室等が最初に書いた本かもしれませんね。
小室等と六文銭の「雨が空から降れば」が好きです。
【2000/03/31 岡本明雄】
佐藤 眞幹@別府八湯石垣ん湯
> ビーコンで開催された岡林信康コンサートに行って
> きました。栗田さん陣頭指揮によるチケット売り場で、
> このMLで手配依頼された眞幹さんのチケット準備して
> 会場入りです。
ありがとうございました。幸い予定どおり、家のかみさんと 行くことが出来ました。
コンサート、前日からの某国VIPの非公式・別府訪問、 <中略> 民間での接待の旨さに感謝のしるしとして、近く宮崎で開催される外相会議終了後、トツプと共に正式訪問し、相互観光に協力したい旨を、緊急表敬訪問の市庁舎にて語られました。本日、大分空港特別室にて待機中、コンサートの模様を真似して、和洋亜それぞれの太鼓、横笛、三味線、そして尺八があり、ギターだけでは無かった事を、伝えましたところ、大臣は行かなかった事を大変残念がっていました。何故、担いで、連れて行かなかったかと、言われました。
本当に、大変楽しいコンサートでした。いや、「祭り」と、言った方が、ピツタリな気きがします。私の前列の二〇代女性二人も、楽しくはしゃいでいる姿を見ました。一五分休憩時に、「早く帰るはずが、おもしろくて、帰れなくなった」という声を聞きました。
懐かしさだけでなくベテランに至ったオカバヤシ、そして、すごい!構成での盛り上がりもあり、会場では、とても 短く感じた 三時間。もう一度行きたくなるコンサートでした。
【2000/03/31 佐藤眞幹】
栗田@竹瓦ヒッパレです。
遅くなりましたが、昨日のコンサート及び二次会にご参加ご協力ご声援下さった皆様本当にありがとうございました。昨晩、深夜共演された皆様をホテルに送った後、数時間の仮眠の後本日引っ越しを完了致しました。石垣村から西野口とだんだん職場に接近してまいりましたので、また飲む機会が増えそうです。睡魔と戦いながら皆様のメールを拝見しておりますが。一日メールを溜めたらえらいことなので、ちゃんと読んでおります。でも、レスつけ忘れたらごめんなさい。ところで、某南の楽園の外務大臣は大変喜んで下さったようで、ほっとしますね、眞幹さん。
【2000/04/01 栗田達夫】
えーっと
小室等と六文銭ではなくて、小室等は六文銭のメンバーで、上条恒彦と六文銭ではなかったでしょうかねえ。逆だったでしょうか。忘れた。とにかく「木枯らし紋次郎」のテーマソングです。じつは去年、立命館大学ラグビー部の70周年を記念して、部歌を小室さんにつくっていただいたんです。そのとき律義な小室さんは、立命館OBの杉田さん、ばんばさんに挨拶し了解をとってから、(こういうの仁義をきるというのでしょうか)歌づくりにかかったと聞いています。【2000/04/01 今村正治】
眞幹@別府八湯
>
> ところで、某南の楽園の外務大臣は大変喜んで下さったようで、
> ほっとしますね、眞幹さん。
>
報告が遅れましてすみません。予備役の私でも、かり出されるここ数日です。現役の方々は、コンサートと温泉祭りの準備で大変忙しかった中で、強力な助っ人のいる別府を再確認した次第です。とても感謝しながら、良い方向へと期待を持って帰国された今回の探察大臣でした。次は四月末頃、名を表してお知らせできればと期待しています。【2000/04/01 佐藤眞幹】
岡本@ML辞書編集人です。
>今村さん:
>小室等と六文銭ではなくて、小室等は六文銭のメンバーで、
>上条恒彦と六文銭ではなかったでしょうかねえ。
「上条恒彦と六文銭」でした。
六文銭で有名になる上条恒彦は東京に行った昭和42年頃は
西新宿に近い歌声喫茶でたまに歌っており、人気がありました。
体が大きく、声がデカイので迫力がありました。
客席からリクエストがあるのは、「おいらの心は鉄板だ!」
(たしか、「おいらの」「鉄板(てっぱん)だ」というところ
は正しい。「心は」というのは「空は」だったかも知れない」。
という歌でした。
六文銭で出てきたときには、すぐ歌声喫茶で歌っていた人だと
すぐ分かりました。
【2000/04/03 岡本明雄】