浜脇高等温泉(旧浜脇高等温泉)

©伊藤輝和(撮影:昭和62〜63年('87〜'88)>





→別府の建築遺産 大正・昭和 浪漫のかほり

浜脇東温泉と西温泉を合併して建設されることになった浜脇高等温泉(HAMAWAKI HOT SPRING BATHS FIRST CLASS)は1928年(昭和3年)6月に竣工したRC(鉄筋コンクリート)建築物である。近世オランダ様式を採用し、工費13万円、建坪600坪、内部には坪湯、砂湯、家族湯がありコンクリート温泉建築としては東洋一を誇った。東側が浜脇高等温泉、西側が浜脇温泉として建築されたが、浜脇再開発で取り壊され、今は、西側の浜脇温泉の入口部分のアーチのみが記念に残されている。設計は別府市技師池田三比古氏。当時別府市公会堂を設計した逓信省技師の吉田鉄郎氏のアドバイスを受けて建設。

(注)池田三比古(いけだ・みつひこ)[1893〜1979]
建築家・池田三比古は大分県竹田市の寺町通りに士族出の医師である父衛藤敦夫(東京帝国大学の医科卒)の6男2女の3男として生まれ育った。父敦夫は広瀬武夫中佐の叔父にあたる。すなわち、広瀬武夫は三比古の従兄になる。父は三比古を軍人にしたいと願っていたが、三比古が結核を患ったために断念した。三比古は後年、「軍神広瀬中佐書簡集」をまとめている。中学を卒業後、上京して苦学をしながら蔵前高等工業高校(現在の東京工業大学[東工大])の建築学科に入学した。その後、三比古は海軍省、逓信省、渡辺仁設計事務所と勤め先を変わったが、渡辺仁設計の「山崎商店」の現場主任をしていた時に逓信省営繕課の技師吉田鉄郎と出会う。三比古は養家の親の訃報に接し、やむおえず別府に帰り、町役場の営繕係技師として勤めだしたのは1922年(大正11年)のことである。三比古の設計した浜脇高等温泉の親しみやすいデザインはその後の木造洋風建築にもとりいれられ、「市立別府中学」(1934・昭和9)、「西小学校」(1935・昭和10)、「北浜海岸天然砂湯」(1936・昭和11)にも受け継がれた。大分県最初の鉄筋コンクリート造り校舎の「南小学校」や現存している亀川の「浜田温泉」(1937・昭和12)、「竹瓦温泉」(1938・昭和13)、観海寺の薬師堂(1933・昭和8)なども池田三比古の設計である。

(注)広瀬武夫(ひろせ・たけお)[1868〜1904] 海軍軍人。大分県生まれ。日露戦争に従軍し,旅順口閉塞作戦でゆくえ不明となった部下の杉野孫七を捜しているときに戦死。死後中佐になり「軍神」とされた。 【岡本@ML辞書編集人+伊藤輝和】