別府商工会議所のあゆみ

■別府商工会議所の設立
 日露戦争直後の明治39年(1906)、別府町と浜脇町が合併して別府町となる。戦争による傷病兵の療養地として、また中国や満州からの亡命者が落ちつくにも最適の地であった別府町は、多くの観光・療養客を収容するようになる。
 初代町長の日名子太郎は進歩的な人柄で、小説家や新聞記者に別府及び県下一円の温泉地帯−名所旧跡を視察させ、新聞紙上に別府紀行文を連載するよう画策する。
 明治43年(1910)、山田耕平ら先覚者は時運を察知して別府商業会を設立し、大売出しなどの商業振興活動を続けるが、任意の会員組織による商工業者団体が時流に順応できないことを痛感。別府商業会は大正15年(1926)、定時総会で商業会議所の設立を決議した。
 昭和2年(1927)に商工会議所法が施行されると、前別府市助役笠置雪治に委嘱して直ちに別府商工会議所設立準備に入り、昭和4年1929)10月4日、認可が下りる。
 同年12月5日、別府商工会議所初総会が別府市会議事堂で開催され、初代会頭に高橋欽哉を選出した。

(参考)別府市年表


■歴代会頭時代の業績


初代 高橋欽哉(昭和4年11月〜昭和11年5月)

◆別府商工会議所報を発行して商工業者の啓蒙を図る。
◆外国船が寄港するようになり、商工会議所は市の通訳に委嘱して「店頭英会話便覧」を発行。市内土産品業者に配付すると共に講習会を開く。
◆アメリカ経済恐慌の影響が出始め、九州水力電気株式会社の電力・電灯料値上げの意向が伝わると、先手を取って「電灯料値下げ運動」を展開。(昭和5年4月〜8月)
◆温泉祭りの原形、秋祭りは 「温泉市大売出し」 として、誘客、慰安を目的に行なっていたが、昭和6年、「当市は温泉を以て市制を施行するようになった全国でも稀な町である。温泉なかりせば今日の別府市はありえない。温泉に対する報恩報謝の念を表現しても不思議ではない…」として、従来の温泉市と切り離す感謝祭として、「温泉祭り」の開催を提唱、強く市当局に働きかけ実現。原動力は後の会頭、河村友吉氏。(温泉祭りは戦時中の昭和19年〜22年まで一時中止、23年に復活)
◆商店従業員の資質向上を目的に「店員講習会」を開催。
◆観光客の増加に伴い、別府の概観・商工業・温泉・地獄巡り・名所旧跡、旅館案内などを掲載した「別府案内」を発行。
◆昭和10年、納涼煙火大会を商工会議所主催で挙行。
第二代 西原左太郎(昭和11年5月〜昭和16年12月)

◆別府市商工業界の発展につれ、新庁舎建設を決議。昭和12年8月、市内浜町に新庁舎新築。
◆別府公園で国際温泉観光大博覧会を開催する。(昭和12年3月25日から5月13日の50日間で、50万人にのぽる観客を動員)



第三代 藤原 勝(昭和16年12月〜昭和18年9月)

◆戦争の影響により昭和18年9月から大分県商工経済会別府支部に編成替え。藤原会頭が支部長に就任。(昭和21年9月に商工会議所が復活)
<満州事変が支那事変に進展、ついに太平洋戦争に突入。連合国軍を相手に戦争を遂行するには、国民総力を挙げて戦わねばならなかった。そこでわが国経済機構は、いわゆる経済新体制確立要綱に則り、業種または物資別の縦割り型統制組織に編成替えされた>



第四代 藤沢 徳太郎(昭和21年10月〜昭和23年9月)

◆別府商工会議所復活。(統制経済の廃止、自由経済の復活)
◆昭和22年、商工会議所を中心に別府国際観光港設置期成会発足。



第五代 八阪 真兵衛(昭和23年10月〜昭和27年6月)

◆昭和26年、全九州商工会議所大会を別府で開催。別府商業人の意気上がる。
◆昭和26年10月、別府国際観光港3000トンパース着工。昭和33年完成。
◆昭和27年2月、別府毎日マラソン始まる。
◆浅草観音が初の別府出開帳。



第六代 西田 熊太郎(昭和27年7月〜昭和38年6月)

◆昭和27年〜29年にかけて、商工業実態調査を実施。本調査を契機に、当市商工業界に地域別、業種別組合が急速に生まれる。特定商工業者基準該当法人519名、個人963名、計1482名。
◆昭和31年、中小企業相談所を創設。経営指導員が配置される。
◆昭和32年、別府温泉観光産業大博覧会を開催、80万人動員。
◆昭和36年、別府商工会議所婦人会が誕生。(会長・横山キク(杉乃井ホテル)、副会長・甲斐コウメ(雅叙園)、野口久恵(有田陶器店))



第七代 首藤克人(昭和38年6月〜昭和44年5月)

◆昭和39年、全国初の″市ぐるみ組織”「別府市暴力追放協議会」 が発足。初代会長に首藤会頭が就任。「無暴力安全都市宣言」を決議。
<首藤会頭は暴力団との縁を断ち切るため、元締である神戸山口組に田岡一夫組長を訪ね会談する>
◆東京オリンピック開催で外国人の来別を予想、英会話教室を開く。
◆昭和39年10月、九州横断観光道路が全線開通。


第八代 河村友吉(昭和44年6月〜昭和51年4月)

◆商工会議所本来の目的である意見活動、調査活動が展開され、行動する会議所として地位を確立する。(国道10号線路面整備促進、夜間託児所開設、固定資産の評価換え、ジャイアンツタウン設置、別府市内小売物価動向調査実施、等々)
◆各種講演会、講習会を実施。
◆会議所ニュース別府を年4回発行。
◆昭和45年、18年振りの大分・別府正副会頭会議開く。
◆昭和49年10月、別府商工会議所創立45周年を記念して、初の全会員総会開催。
◆昭和50年、別府国際観光会館に事務所移転。
◆商業近代化別府地域計画を策定。
(昭和51年4月、河村会頭は心臓疾患で入院、辞任。内山副会頭が代行を務める)


第九代 友永文月(昭和51年7月〜平成9年11月)

◆「連帯と協調」「地域の根となる」「誠実奉仕」の基本理念を確立。
◆別府市商業近代化計画、実施へ。
◆昭和53年、国民金融公庫別府支店開設。
◆昭和54年、別府商工会議所創立50周年事業として、「住まいと暮らしの総合展」「会員の集い」「別府銘菓の創作」「別府特産品展示会」「記念誌発行」などの諸事業を実施。
◆昭和57年から国際ジャズフェスティバルを開催。
◆昭和63年、別府市商工業の殿堂「別府商工会館」竣工。
◆平成元年、別府商工会議所創立60周年記念事業を実施。
◆大分県コンベンションセンター建設を昭和55年から推進。平成7年、「ビーコンプラザ」完成。
◆平成6年、別府商工会議所創立65周年記念事業を実施。
◆平成8年、立命館アジア太平洋大学設置期成同盟会会長として、誘致受入促進活動を展開。


第十代 津末武久(平成9年11月〜)

◆平成11年、別府商工創立70周年事業を実施