韓国の馬山、昌信大学でのスピーチ

松村亮司

1999年4月18日





アンニョンハシムニカ

 このように皆様方とお会いできる機会をいただきましてありがとうございます。
昌信大学の学長先生、李先生、そしてこのような場を設けていただいた教会の方々に感謝いたします

 ここにおります私たちのメンバーをご紹介いたします。
 こちらは、ホームページを日本語から英語に翻訳していただいた永野建一さんです。
お隣は、永野さんの奥様でいらっしゃる、ホームページに素晴らしいイラストを描いて頂いた永野美恵子さんです。

 昌信大学で英語の教科書に採用された「原子爆弾による被爆の話」のホームページについてお話しさせていただけること大変光栄に思っております。

 1996年6月20日、私たちは電子ネットワークで知り合った一人の友人を失いました。彼は、元教師で私の恩師でもあり、名前は寺尾武治といいました。

1991年の夏、寺尾先生はこの電子ネットワークの中に次のような書き出しで、1945年の若き日の広島での体験を告白しました。

「忘れたい思い出、嬉しくない嫌な思い出ですが、今年も8月6日が近付きましたので 、これが最後と思い書き込みします。」

 それは、生々しい、先生にとっては葬り去ってしまいたい悲惨な記憶の話でした。そして、先生は最後にこう結びました。

「もうごめんです。生きた地獄なんて見たくありません。思い出すのもいやです。書き込むのもこれで精一杯です。最後に一言、物資の豊富な、好きなことの言える世の中になりました。生きているのが不思議です。生かされているのでしょう。感謝の気持だけです。不平も不満もありません。社会からうけた恩恵に感謝し、いつか社会にお返しがしたいものです。」

 戦争を知らない若い世代の私たちにとって、先生の生の声は大きなショックでした。核兵器のもたらす地獄の様子だけでなく、戦争を実際に体験された人々は身体だけではなく、心の中に癒すことの出来ない大きな傷を持ち続けているのです。

 私たちにとって寺尾先生のお話は歴史の教科書で過去の物語のように教えられた戦争というものが、自分達人間が実際に体験したものであること認識させてくれました。

 戦争を体験された方の多くは、口を閉ざします。しかし寺尾先生は、葬り去ってしまいたい記憶を勇気を奮い起こし、人類愛を以って晩年に語られました。

 私達教え子はそのご遺志をインターネットのホームページという形で発表しました。
 このホームページは国境を越えて、アメリカをはじめとする多くの国の若者の共感を呼びました。

 今回、李先生のお計らいで、寺尾先生のご遺志が、英語の教科書という形で韓国の若い世代の方々の目に触れることとなり、とても感慨深く思っています。天にいらっしゃいます寺尾先生も喜んでくださるでしょう。

寺尾先生が残してくれた大きな遺産の一つは、もう2度とあの非人間的な戦争が繰り返されないよう、生の声を伝えて行くことです。そしてもう一つは生の声で国境、民族、世代を越え、同じ人間同士として愛を持って世界中の人々と触れ合うことの大切さです。

私たちが今回、このような形で韓国に来て、皆様方にお会いできたことを感謝いたします。

カムスハムニダ



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