12月18日
〜わが輩はジュンである〜


福よ来い来い福よ来い
年の始めに福よ来い
紅や黄金色で飾られた山にも
彩りが寂しくなりました。
吹く風に首をすぼめて、
寒さを身にしみて感じる師走。
今年も残り僅かになり
街をゆく人に、一段とあわただしさを
感じるようになりました。

絵を描いている新井川さんの写真
お寺の歳末年始の行事の
準備も日毎に気ぜわしさが
増しているようです。
境内の七福神様も、
定位置におまつりされました。
前の砂模様を波に見立てて、
遙拝出来るようにしました
大石町の新井川久恵さんが
楠の一枚板に心血を注いで
七福神様を描いてくれました。
東門に掲げられます。
  
夕方の散歩はおろかこんな憩いのひと時もなくなりましたワン
和尚さんは16日の最終便で
東京へ飛びました。
天台宗の「参務社会部長」とかいう、
もっともらしいお役についたとかで…。
気ぜわしいお方が
また倍増しに
気ぜわしくなりました。


夜中にそっとエサの差し入れに
来てくれて、私を抱いてくれた和尚さん
早く帰ってきてヨー
東京の浅草寺や孝道教団を廻って、
日光へ行く電車の中で読んだ本の事を
今日は知らせて来てくれた。
正月の縁起物、
破魔矢やダルマさんの事を書いた
小倉 崇さんの記事でした。
俺様も日頃、
不思議に思っていた意味が判明したんで、
皆さんにもお伝えしますワン。
「破魔矢の”はま”とは、
もともとが奈良の吉野や
高知で子供がお正月に弓を射る時に作った
的の穴をそう呼んでいたことが始まりだという。
直径三十センチほどの輪を縄で作り、
真ん中に鍋敷きのような形に穴を開けたもので、
そしてこれを射るのが
はま矢であり、はま弓だった。
   
その後、このはまに破魔という字をあて
悪魔を破るという意味が込められた事で
破魔矢は破魔弓とともに魔除けのお守りとして
全国に広まった。」そうだ。



「まっすぐに伸びた竹に
       まっ白の3本の羽」
これが破魔矢の発祥の姿。
現在は檜を使った白木の軸が
全体の60%を占めるようになった。
緑色や赤色の軸もあれば、
3本それぞれの羽の色が違ったり、
4本の羽があったりと
いろんな種類が出来てきた。
てっきり破魔矢はそれぞれの神社が
作っているものだと思っていた。
ところが、大迫に日本全国の破魔矢を
作っている職人さんがいると聞いてビックリした。


羽はアメリカから輸入している
七面鳥の羽を使っているんだっテ。

おじいさんの代から続く竹職人
大阪工芸の 後藤 昌 さん

   だるまの赤は達磨大師の出身である
インドの王家が身にまとっていたターバンの色から
来ているともいわれている
お正月が近づくと”だるまさん”が
縁起物のひとつで、「市」が開かれる。
七転び八起きでどんな困難にも負けずに
立ち上がるだるまさん。

達磨大師
「だるまは禅宗の始祖・達磨大師が
モデルとなっている。
室町時代には、
他にも起き上がり人形として七
福神をモデルにしたものもあったというが、
人気はダントツで達磨だったらしい。
座禅を組んでいるような形と
倒されてもすくっと起き上がってくる動きが、
達磨大師の『面壁九年』も重なってのことだ。

来る平成14年は俺の犬生の輝く歳にしようと
熟考しているのダ
願掛けをして目を入れる時に、
どちらの目を入れればいいのかというと、
右目に入れる。
そして心願が成就したら左目に入れるのダ。
東京の多摩のだるまさんと、
群馬の高崎のだるまさんが有名で、
もともとは東京の人たちが、
農閑期の仕事として作ってきたとのこと。

孤独と世間の寒さに耐えて  
  私の猫生を考えるニャ
不況風という風が吹きすさんでいます。
低金利、ボーナスカット、リストラ、
企業倒産……。
だるまさんのように人生転んでも
立ち上がらなければなりません。
悲しい面の裏にも必ず楽しい面がある。
収入が減ると時間の豊かさが生まれる。
失敗は仕切直しのチャンス。
失った時が作り始めの好機。
発想の転換を図り、輝く新年にしてゆこう。

頑張るゼ

                    おわり