アトランタオリンピックマラソン

1996年8月4日午前7時05分スタート気温23.0度 →25.6度、湿度92% →80%

前半はこまかなアップ・ダウンの繰り返しで50m下降。35km近傍に85mくらいのアップヒルがある。
参加国79か国124人

経過

最初の5kmを16分14秒、10kmを先頭集団16人は、31分50秒(この間15分36秒)で通 過。15kmで47分37秒(この間15分47秒)。20kmまでの5kmが16分29秒にさがり中間点(1時間7分36秒)で集団は20〜25人となる。
25kmは13人(1時間19分54秒:15分48秒)1秒遅れで更に12人が通過。
26kmで南アフリカ勢3人が最初の飛び出しを見せるが、30kmで吸収される。
30km過ぎで、チュグワネがペースをあげるとこれについたのはワイナイナだけであった。
35kmを二人は1時間50分35秒(この間15分11秒)で通 過、その後の順位は3秒遅れでイ・ボンジュ、更に1秒遅れてマルティン・フィス、ゲルマン・シルバ6秒遅れでR・ネルカー。35〜40kmはチュグワネ、イ・ボンジュ・ワイナイナがほぼ併走した。
40km(
2時間6分08秒、この5km:15分33秒)チュグワネ、(1秒)イ・ボンジュ、(1秒)ワイナイナの順で通 過。ゴールもこの順番で12分36秒(6分28秒)、39秒(6分30秒)、44秒(6分34秒)でありこれほど上位 が接近したレースははじめてのことであった。

解析
チュグワネは10kmでは第二集団、15kmで先頭集団6人に加わっている。
イ・ボンジュは最初から15kmまでは第一集団、その後25KMまでは第二集団で自重、その後先頭集団に入る。
ワイナイナ25km過ぎまで第二集団にいてその後先頭集団に加わっている。

チュグワネは最初26kmで最初の動きを見せ、ついで30kmすぎで第二の飛び出しをして、40km以降も猛チャージを見せている。一つのレースでこれだけチャージをかけられることは滅多になく、アトランタで彼はよほど調子がよかったもの思われる。

高温多湿しかもレースの経過とともに更に気温が上昇したため、開始当初は大集団でスローペース、このままサバイバルレースになりそうであった。しかしバルセロナ同様30km以降は3〜5人によるマッチレースであった。 このレース後半にアップヒル(85m)があったにもかかわらず、前半よりも後半の方が2分36秒も記録が良い。勝負は40km以降2,195kmのスピードで決まったが、これもチュグワネ(6分28秒)、イ・ボンジュ(6分30秒)ワイナイナ(6分34秒)とほぼ互角であり、結果 的に戦前の予想とは裏腹にきわめて高度な近代マラソンであったといえよう。バルセロナ、アトランタともにコースや気象には関係なくかなり実力の反映されたレースであったということがいえよう。この実力とは高温多湿のなか、40kmを走り最後に坂を上り詰めたのちの2.195kmを6分30秒という猛スピード(欧米の春秋のフラット高速レースと全く同じスピードである)で駆け抜ける力である。

オリンピックはすでに名をなした実力者はなかなか優勝できない。バルセロナ同様アトランタも例外ではなかった。