47. 野中涼・筆「モダニズム文学とドストエフスキー」より。
    〔『ドストエーフスキイ研究(3号 ― 特集 ポスト・ポリフォニズム)(ドストエーフスキイの会編。1986年大空社刊。)に所収。P10。〕

ドストエフスキーの小説は、逆説がどっさり充満している点で、ほとんど類例を見ない程度のものであることを否定できない。どの作品のどのページを開いても、人物であれ事件であれ情景であれ、なんらかの逆説に、たいてい、ぶつかる。しかもわれわれの心にひきおこす圧倒的な感動は、ほかでもない、この逆説の巨大な集団がわれわれに襲いかかってくるからであり、それが有無(うむ)を言わせず人間の本質、ものごとの本質へと、われわれを引き立てていって、深い掘抜き井戸の暗い混沌をのぞきこませるからである。そこで与えられる洞察や明察が強くわれわれを慰めたり、勇気づけたり、救われた気持にさせたりするけれども、すべてはこの次から次と押し寄せてくる逆説群の仕業にちがいない。その効果があまりに圧倒的なので、逆説の慰めがどんなに裏切りやすく恐ろしいものかを、われわれはしばしばうっかり忘れてしまうくらいである。  ―以下、略―

         ※、逆説性、二重性という点は、ドストエフスキーの小説の内容や思想の大事な特徴。  
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 48. ベルジャーエフ著『ドストエフスキーの世界観』(斎藤栄治訳。ベルジャーエフ著作集の第2巻。白水社1960年初版。)より。 P37p38
 
ドストエフスキーの知性は驚嘆すべきものだ。その知性のなんという異常な鋭さ。彼は世界文学で最もかしこい作家のひとりである。彼の知性は、その作家的才能の強大さに相当するどころか、おそらくはさらにその上をゆく。この点で彼ははっきりとレフ・トルストイとちがっている。トルストイは無器用で直線的で、その知性はむしろあきれるばかり浅いといってもいい。彼の知性は彼の天才的な作家的才能の頂きに立つことはできない。偉大な思想家はといえば、むろんそれはトルストイではなくてドストエフスキーであった。ドストエフスキーの作品は、知性の、真珠のように光る戦慄的な啓示のおどろくべき輝きである。大作家中、知性の強さと鋭さとにおいてドストエフスキーに匹敵し得るものは、偉大なルネサンス人シェイクスピアひとりあるのみ。文豪中の最大の文豪ともいうべきゲーテの知性でさえ、ドストエフスキーの知性のような鋭さと弁証法的深さとを持ってはいなかった。そしてこのことは、ドストエフスキーが、ディオニソス的(=激情的、動的)・躁宴的(そうえん=騒々しく騒ぎたてるさま)要素のなかを動いているだけに、いっそう驚嘆すべきことである。こうした要素が人間全体をつかむとき、普通それは知性の鋭さや視力に利益をもたらさず、知性を濁らすものである。ところがドストエフスキーにおいては、思想そのものの躁宴、思想の恍惚(こうこつ)状態が見られる。観念の弁証法でさえ彼においてはディオニソス的である。ドストエフスキーは思想に陶酔し、思想の火炎旋風にまきこまれる。ドストエフスキーの概念弁証法は酔わせるものであるが、しかしこの陶酔において思想の鋭さは消えず、思想はその究極の鋭さにまで達する。

     ★ベルジャーエフ(18741948)氏は、ロシアの哲学者。上書『ドストエフスキーの世界観』は、読みごたえのある名著。

        ※、ドストエフスキーの頭脳の優秀さについては、
           後半生の友人でドストエフスキーに親交したストラーホフ(動物学者・評論家、18281896)も、
             「なによりもわたしの心を惹きつけ、深い感動すら与えられていたもっとも重要なことは、かれのずば抜けた頭脳、
              一つの言葉や、ちょっとした暗示だけであらゆる思想を把握してしまう頭の回転の速さであった。

           と証言している。
              〔ストラーホフ「ドストエフスキーの思い出」より。
                ドリーニン編『ドストエフスキー同時代人の回想』(水野忠夫訳。河出書房1966年刊。)に所収。p171。〕   http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif 


 49. 中村健之介著『 ドストエフスキーのおもしろさ ― 言葉・作品・生涯 』( 岩波ジュニア新書。1988年刊。)より。 P166
 
ドストエフスキーの文章は決して簡潔明快といえるものではありません。なにか、どことなく、なぜか、といった不定詞が非常に多くて、いつも不明瞭な感じがつきまとい、最上級の形容詞や強調の副詞がいくつも重ねられて、全体が熱っぽく感情的でしかも関係代名詞で先へ先へと、いわば螺旋状(らせんじょう)に延びていく、そういうくどい、曲がりくねった文章です。そして、この、たえず境界を越えようとする文章が読者の心理を刺激し、かきみだし、興奮させ、息苦しく圧迫するのです。 (途中、略)  フランスに亡命した現代ソ連の作家シニャフスキーは、ドストエフスキーの文体は「発酵しそこなって恐ろしくどろどろしたコニャック」のようであり、チェーホフは「天才的な凡庸(ぼんよう)さ」の文体の持ち主だと言っていますが、うまいことを言うものだと思います。 (以下、略) 」

     ★中村健之介(1939〜。)氏は、ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。元・東京大学教養学部教授。北海道大学名誉教授。

        ※、ドストエフスキーが書くロシア語原文の文体については、ドストエフスキーの文学の翻訳家がその特徴について記したものがいくつかあるようですが、
           ロシア語のできる中村氏の上の評は、実地のドストエフスキー研究家の言(げん)として、信頼できるものでしょう。
                                                                                               http://www.coara.or.jp/~dost/BT-2.gif