(2). <1999年・12月25日〜12月29日の分より>                                            


                    謎多き人物―スタヴローギン― 
                     
ACDC 99年12月25日06時18分

                      皆さんご無沙汰してます、ACDCです。

                      現在、ドストエフスキーに関する卒論を執筆している最中です。
                      内容は主に無神論者、人神論者、社会主義者、カトリック主義者が中心です。
                      『罪と罰』のラスコーリニコフ、『悪霊』のピョートル、シガリョフ、キリーロフ、スタヴローギン、
                      そして、『カラ兄弟』のイワンの各人の思想とその悲劇的結末を取り上げることによって、ニヒリズムは
                      いかに克服可能か、について書いています。

                      基本的には登場人物論になってしまうのですが、なるべく現代と結び付けて、「生きる目的」の喪失や
                      道徳的基盤の崩壊といった、「現代病」に対する処方箋的な論文を書ければ、と考えています。

                      参考にしている文献はと言いますと、
                      主に、吉村善夫
『ドストエフスキイ―近代精神克服の記録―』や勝田吉太郎『ドストエフスキー』
                      清水正
『「悪霊」論 ドストエフスキーの作品世界』などです。

                      この中で、特に、
                      清水氏のピョートルについての考察は秀逸だと思いました。これを自分なりに理解すれば、
                      ピョートルは「悪魔」の化身であって、全ての人を自分の陰謀の中に巻き込む。シガリョフの理論も、
                      キリーロフの自殺も、ありとあらゆるものを自分の計画のために利用し尽くす。彼には「善」や「神」
                      「良心」といったものとは無縁であり、文字通り完璧な「悪魔」なのである。だからこそ、
                      計画は失敗に終わったものの、彼ただ一人だけ生き残るのである。彼には人間味は一切なく、ただ高笑いを
                      発するのみである。『悪霊』この「サタン」に皆が翻弄される物語でもあると思いました。

                      何となく、漠然とではありますが、上に挙げた人物たちについて理解が深まってきたと思うのですが、
                      スタヴローギンに関しては迷路にはまっている状態です。
                      ドストエフスキーはこの『悪霊』の主人公(?)を通じて、どのような強烈なメッセージを提示しよう
                      としたのでしょう?

                      まず、彼を理解する上で重要と思われる「スタヴローギンの告白」における
                      チーホン僧正との会話は私にはかなり理解が困難でした・・・。
                      得てして、人神論者の主張は、とても明快で、論理的であるため比較的理解しやすいのですが、
                      人神論が神人論の形態をとって現れると頭がパニックに陥ってしまいます。

                      例えば、
                      大審問官は上級クラスの無神論だと思うのですが、ここでは神を信じていない者が、偽キリスト(あるいは神)
                      のフリをして、大衆を先導するパターンですよね。
                      スタヴローギンも無神論者であり、ニヒリストなのですが、「十字架」を背負うとする。
                      この姿勢が神人的なのですが、その中身は実は人神論にすぎないのである。

                      以下に現時点での私のスタヴローギン像を箇条書きにしてみました。

                      ・彼は神を信じていないため、「愛」というものを知らず、「憎悪」しか知らない。
                        (なぜなら、「神」と「愛」は密接不可分ということから―キリスト教的理解―)
                      ・しかし、彼は「マトリョーシャ体験」以後、自分の罪を赦してくれることを願う。
                      ・ダーリアに贖罪(しょくざい)のための苦行をするよう勧められ、これを実行する。
                        (シャートフに殴られたのを堪(こら)えたり、白痴女との結婚を自白したりetc)
                      ・しかし、苦行をすることによって、罪が清められるどころか、そもそも、神への贖罪の気持ちが皆無
                       なので、形だけの苦行(自己刑罰)になり、さらなる憎悪と侮蔑しか生み出さない。
                      ・彼は生来、強靭(きょうじん)な意力の持ち主であるため、この「苦行」(マトリョーシャに対する罪
                       の告白―彼の中で最大の「苦行」―)は神に根差していれば人間としては最大限度の苦行である。
                       しかし、そうではないので、この告白は「自分と同じ罪を犯していながら、のほほんと生きている人
                       々」に対する侮蔑交じりの挑戦状と化す。
                      ・だから、彼の根本的な悲劇は「神を信じていない」という事実と、それ故に「自分の罪を赦して
                       くれる対象」が見つからなく、「他人を愛すること」が不可能になり、「互いに憎み合う」 しかないところである。
                      ・彼にとって苦行は無限地獄であり、永遠に救いを見出すことが出来ず、さしもののスタヴローギンも
                       最終的に自殺するしかなかった。

                      以上なのですが、どうでしょうか?
                      自分でも納得がいかない点が多いのですが、ご賢人方、意見の方よろしくお願いします。


 



                     
逆ユートピアと神罰願望――自殺志願者の病理  
                       
葦原骸吉  99年12月25日13時35分

                          >ACDC様

                          どうも、最近加わった葦原骸吉29歳(高卒/独身/男)って者です。

                          スタヴローギンとピョートルと現代と信仰心の問題ですか? これには前から思うところ
                          かなり沢山あるので、勝手に述べさせて頂きます。わたしは学歴低いし片寄った教養しか
                          無いんで、到底卒論の参考になんかならんでしょうが、まぁ一つの解釈、ヨタとしてお読
                          み流しください。以下、やたら長文になりますがご容赦を。

                        (1) ピョートル――神無きユートピアへの悪しき情念

                          わたしは、ピョートルは、革命の後に建設される社会主義ユートピアの現実的ヴィジョ
                          ンのないまま、革命のための暴力的破壊の追求のみが自己目的化した人間だと見ています。
                          西欧諸国での社会主義運動は議会を通じての民主的内部改革という手段を目指しましたが、
                          そもそも議会も成り立たず、絶対的に貧富の差の激しい後進国ロシアでは、その絶望感も
                          あって社会主義者がそのような極端なニヒリズムに走った側面があると聞きます。

                           ピョートルのモデルは19世紀ロシアの狂信革命家青年ネチャーエフだと聞きますが、ネ
                          チャーエフの師のアナキズム思想家バクーニン(一面ステパンのモデルとも言われます)は、
                          晩年には徹底した無神論者となり「人類に智恵の果を与えたサタンは最初の革命家であ
                          る」という不敵なテーゼを説いています(もっとも、バクーニンは性根は無邪気で、過激
                          思想を説く一方、子供っぽくお人好しな人物だったそうで、元左翼である勝田吉太郎氏の
                          バクーニン伝(講談社刊)は非常に面白いです)。

                           妙な例を引きますが、わたしは、ピョートルとスタヴローギン(ニコライ)を合一させて
                          より有能にした人間が、さしずめ高橋和己の『邪宗門』に出てくる千葉潔ではないか? 
                          とずっと思っています。『邪宗門』は戦前の大本教団をモデルにした小説で、純朴な信仰
                          心と窮民救済を追究していたはずの教団がオウムばりのテロリスムに至る顛末を描いた物
                          語です。この主人公の千葉潔は無欲で大変な秀才ですが、本心では神を信じていません。
                          そんな千葉が、清濁併せ呑む度量の持ち主だった先代教祖の後を継ぐや、教団は獄死した
                          先代教祖の仇と窮民救済のための現政府打倒を叫ぶテロ集団と化します。千葉潔と先代教
                          祖の対峙は、人間の俗欲にまみれたフョードルと、頭が良すぎて自分の俗な部分に居直れ
                          ない理性的なイワンの対比にも似ていると思います。

                           ACDC さんはピョートルを「悪魔」と定義されたそうですが、わたしは、人の心の
                          中に「悪魔」が生まれるのは、極端な理想主義が絶望と激しい現実嫌悪を経由した時に、
                          一気にニヒリズムと反ヒューマニズムに転じるケースが結構あるのではないか。と思うの
                          です。

                         (2) スタヴローギン――神罰を求める半信半無神論者?

                           わたしは、ニコライ・スタヴローギンは、ちっとも19世紀の古典なんかではなく、むし
                          ろ非常に現代的な人物であるとともに、非常にドストエフスキー氏自身の内心の葛藤を反
                          映した存在ではないか? と思います。

                           恐らく、ニコライはなまじ理性的で頭が良すぎる(先が見える)ゆえに、内心では神を信
                          じたい意識があるのだが、その理性とプライドゆえに信じきれず、いわば『神罰』を得る
                          こと尾によって神を実感したいと思い、その為に、敢えて反道徳的な行動を繰り返してい
                          るのではないか? と見ています。

                           何でも、若い頃のムッソリーニはニーチェを愛読してたそうで、ある時、天に向かって
                          「神よ、お前が存在するなら俺を落雷で殺して見ろ!」と叫んだらしい。でもこれって神
                          への甘えだよね。子供が父ちゃんに構って欲しくてわざとひねくれてるのと一緒だよ。ニ
                          ーチェは「神は死んだ」と言ったけど、それは教会が言う便宜としての人工的な神の像を
                          否定したんであって、彼の内面にはニーチェ独自の神のイメージがあったと思います。

                           三島由紀夫の割腹自決を「三島は『絶対を垣間見んとして』自決したのだ」と語ったの
                          は澁澤龍彦だそうですが、その渋澤氏は『秘密結社の手帖』で、ロシアの異端フルイスト
                          ゥイ派(これもドスト氏作品に度々でてきますね)に触れて、フルイストゥイ派では嬰児殺
                          しや乱交の儀式をやるんだそうですが、それは「敢えて神の意に反することを行って自ら
                          を試練に掛ける」という発想によるのだそうです(ただし『秘密結社の手帖』は書かれた
                          のが古く、この点は随分まゆつば物の変な情報だとも思いますが)。

                           もっと分かりやすく言えば、親鸞の悪人正機説(無害な人間は己の業に無自覚であり、
                          罪のある人間こそ真に悔い改められる)を本末転倒させた発想と言うべきでしょうか。す
                          なわち「悔い改める為に罪を犯す」という発想ですね。

                           そういえば、スタヴローギンの幼女陵辱にかこつけて言うと、連続幼女誘拐殺害犯の宮
                          崎勤容疑者が「今田勇子」の名前で出したとされる(この真相は未だ不明)犯行声明文で
                          は「私は神に斗いを挑まなければなりません」という不敵な言葉が出てきますね。わたし
                          は「悪のヒーロー気取りか? 思い上がるな!」って思いましたけど、案外とスタヴロー
                          ギンも「今田勇子」と似たような意識があったのかも……?

                           こうした倒錯した気質は、ある意味で、もはや貧困も戦乱も無く、しかしそれゆえ生に
                          実感が持てず、そこで逆説的に、自傷行為や自殺や金目当てでなく残虐行為それ自体が目
                          的の猟奇犯罪を行う犯罪者が頻発する、この豊かな現代社会の病理とナニやら繋がってい
                          ないか……というのは別にこじつけではないと思います。

                        (3) 『悪霊』と『完全自殺マニュアル』世代

                           上記のように考えるに『悪霊』作中の、自殺という手段によってのみ実存を得ようとす
                          る虚無主義者スタヴローギンとキリーロフの姿は『完全自殺マニュアル』世代を先取った
                          とも言えるのはないか、と通説に感じるのです。

                           
『完全自殺マニュアル』の作者の鶴見済は、東大卒で、若い頃は非常に秀才だったそう
                          です。にも関わらず、まっとうに受験競争を勝ち抜いて一流企業に勤務するといった人生
                          に意味が見出せず、自殺や薬物による人格改造を説き、実際、薬物とかに浸って退廃的な
                          人生に陥ってるらしい。無学な貧民代表みたいなわたしなんかとは対極ですな。

                           いくぶん嫌味ったい言い方をすると、スタヴローギンと鶴見済に共通するのは、たぶん、
                          頭が良過ぎるせいですぐに先が見えてしまうために何でもやる前からわかった気になって
                          しまって、結局無気力になるしかないことと、堪え性がなく、さしたる破綻も神罰の到来
                          もない退屈な日常(それが普通で当たり前)に耐えられない、という事なんじゃないでしょ
                          うか。

                           これに対する処方箋は、ほとんどの人間はしょせんそんな簡単に大悪党にも聖者にもな
                          りきれないんだから、適度に汚れつつ、適度に善意を失わず「揺れ続ける」ということで
                          良いと思うんですがね。

                           どっちにしろ、現世でジタバタして生きる(自分の無力さや醜さと根気よく闘う)こと
                          を放棄して、自死することで何やら超越者になったような気になろうってのはおこがまし
                          い思想のように思います。殉教や心中、自己犠牲としての死なら同情します、これにはや
                          むを得ない場合もあるでしょうし、そこには他者との関係がある。でも単なる自殺は他者
                          との関係から切れていて、独善的かつ思い上がってるように感じるんですね(ちなみにカ
                          ソリックが自殺を禁じているのは「神の定めた寿命に逆らうのはけしからん」という発想
                          らしいです)。

                           また『悪霊』の作中では、ステパンやカルジマーノフら、年老いた1848年革命のリベラ
                          ル派世代と、無軌道なニヒリズムに走る1860年代の若者達の対比(上記のバクーニンとネ
                          チャーエフの世代の関係ですね)が描かれていますが、これは今日に当てはめれば、牧歌
                          的な戦後民主主義思想がまだ生きていた60年代の全共闘・ヒッピー世代と、一方90年代の、
                          裕福でありながら鬼畜系文化だのカルト宗教だの猟奇犯罪だのに耽溺する荒んだ若者の対
                          比になぞらえる事ができるかも知れません。


                   スタヴローギンの一連の行動の基底にあるスタンスについて一考    
                     
Seigo氏 99年12月26日01時57分

                           皆さん、どうも。
    
                           お久しぶりのACDCさん、
                           卒論で忙しい中、卒論の内容をお裾分(すそわ)けしてくれた下の、
                           スタヴローギン論の書き込み、どうも。     

                           ACDCさんの卒論は、単なる研究に終わらず、
                           ACDCさんや私たちの生のありようを考えていく、すばらしい価値ある卒論だと思います。
                           ACDCさんが卒論で参考文献にしている本として、下に挙げた、
                          
  >吉村善夫『ドストエフスキイ―近代精神克服の記録―』
                            >勝田吉太郎『ドストエフスキー』
                            >清水正『「悪霊」論 ドストエフスキーの作品世界』

                           は、私も読みましたが、いずれも、読みごたえのある力作のドスト氏論書ばかりですね。

                           ACDCさんが下で箇条書きにして挙げてくれた「私(=ACDCさん)のスタヴローギン像」
                           については、私は、基本的には、同意見ですが、
                           ACDCさんのその一連の見方を、私なりにまとめてみますと、
                            ( 以下は、以前、このボードに少し書き込んだことがありますが、
                             今回は、それに、ある程度、追加説明を加えています。>ヒエロさん。)

                           近年、私は、スタヴローギンの一連の行動の基底にある彼のスタンスとして、
                             自分が他の何ものにも支配されずに「自由」であろうとする、
                             非凡な意力知力体力に基づいた、常にあくまで自分で自分の言動を
                             支配しようとする自己支配(主体的自由)の姿勢
                           という彼のありようを、考えています。
                           「神」や「世間の道徳・社会常識」への謙譲なる服従(屈服)は、
                           彼の求めるその自己の「自由」を奪うものであり、
                            ( このあたりのスタヴローギンの姿勢は、キリーロフがスタヴローギンから授けられたものとして、
                              「神(イエス)の教え」への信仰は、人間の本来の「人間性・自由」を不当に抑圧していくのではないか、
                             という、キリーロフの考えに受け継がれているでしょう。)
                           作中の、彼のいくたの反道徳・反世間的な奇行・悪行は、
                           その「自由」を求める彼のありよう(その結果、「善悪の基準」も「行動」も見失ってしまうようなありよう)
                           から生じた一結果であり、
                           その後、マトリョーシャ体験やダーシャのすすめで彼が始めた贖罪(しょくざい)のためのいくたの苦行も、
                           あくまで自分が自分の意志によって行なうことで罪滅ぼしをねらうものであり、
                           それらの、常に、他に寄らず、自分が・自分が、というありようが、
                            ( つまり、彼の、人や「神」とのつながりや連帯や交流(心の触れ合い)を拒否する、孤高なありようが、)
                           しだいに、彼の内に、どうにもやりきれぬ、これこそ、ある意味での地獄としての、虚無感・倦怠感
                           を蓄積していったのではないか、
                           と私は考えています。
                           ドスト氏の主眼も、
                           ドスト氏の一面が表現されているスタヴローギンという虚構的人物を通して、
                           主体的自由をあくまで求める人間の壮絶な末路を、
                           実験的に、批判的に描いていくことにあったのではないかと思うのです。   

                           スタヴローギンという登場人物の問題性については、私は、今後も徹底的に考えていきたいので、     
                           以上の私の意見に対しての意見や、スタヴローギンについての皆さんの独自の意見
                           があれば、今後も、率直に述べてみて下さいね。>皆さん
     
                           それから、
                           スタヴローギンの最後の自殺については、
                           以前このボードで紹介してますが、

                             スタヴローギン他殺説 (つまり、ピョートルによる偽装された自殺ということ)

                           というのが、清水正氏によって指摘されています。
                           私は、近年、この「スタヴローギン他殺説」が、妙に気になっているのですが、
                           ACDCさんは御存じですかね。
                            ( 『悪霊』の末部の、ダーシャに宛てたスタヴローギンの手紙の中に、
                              
「決して、決して私には自殺なぞできはしない!」(米川正夫訳)
                             という言葉もありますし、
                             スタヴローギンの落ち込んでいった虚無感・倦怠感は、自殺さえも無意味なものとみなす体(てい)
                             のものだったのではないか、という見方もできましょう。)


                  スタヴローギン=モリアーティ?
                   
 葦原骸吉  99年12月27日03時26分

                          >utiyamaさん、とうも。
                          鶴見氏が自殺や薬物からダンスに移ったのはまだしも健康な路線として、基本は、自分を
                          思考停止状態に持っていきたい願望があるようですね。これは頭が良すぎるせいで自己嫌
                          悪に陥る人によく見られる現象でしょう。

                          そうみると鶴見氏は非常に、スタヴローギン或はイヴァン的人物だと思います。
                          わたしは死ぬぞ死ぬぞと言って死なない(実は周囲に構って貰いたいだけなんだが、正直
                          にそう言えない)自殺マニアは嫌いですけど。

                          つい昨日、加賀乙彦氏の『ドストエフススキ』を読みましたら、『悪霊』は当初スタヴロ
                          ーギン抜き、ピョートルらのみで犯行が行われる話として構想があったとか。

                          そんでふと思ったんですが、これは極めて特殊な、まぁ一種の比喩的言い方ですけど、あ
                          る意味で、ニコライ・スタヴローギンってのはそもそも実在しない(イヴァンの悪夢に出
                          てきた悪魔のような)、ピョートルらの観念が生み出した象徴的人物(共同幻想?)とも
                          読めるではないか、と思うのですが。
                          これは余りに極端な説ですが、そう考えるとスタヴローギンが極度に肉体的実在感の無
                          い人であることに変に合点が行きますね。>どうですACDCさん

                          なんでも、シャーロック・ホームズシリーズの批評家によると『最後の事件』に出てくる
                          モリアーティ教授(犯罪組織のボス)は実在せず、実はホームズ個人の幻影から生まれた
                          人物、とも読めるようで、なんとなくそれを連想した次第。


                マトリョーシャ
                 
 n_kuma 99年12月27日23時59分

                      >ACDCさま、葦原骸吉さま、

                      スタ氏の自殺の直接の原因はマトリョーシカの幽霊が出現しなくなってしまったことのあ
                      る、という仮説を検討しています。

                      以下不十分ながらその線で、スタ氏について考えてみます。

                      「幽霊の登場」

                       マトリョーシカの「幽霊」(正確に言えば幽霊ですらない)は、悪霊の物語の中で常に
                      スタブローギンの視線の前にいて、スタブローギンを釘付けにしています。
                      しかし、それは単純な良心からの懲罰とは違います。スタ氏が言うそのとおり、スタ氏自
                      身がその幻視を呼び起こし、奇妙なことにそれにしがみついているといってもいいくらい、
                      スタ氏の生の中心をになっています。マトリョーシカの幽霊は「熱くもなく冷たくもない」
                      スタ氏が、生涯でおそらく初めて経験した、生命感覚とも言うべき『黄金時代』のヴィジ
                      ョンの代価として登場してきました。
                       スタ氏の「幽霊」に対する執着は、まるで『黄金時代』によってかいま見た生命感覚に
                      対する執着のようです。
                       『黄金時代』のビジョンの特質はキリスト教的な楽園イメージ以前の人類の楽園であり、
                      キリスト教的なモラル、罪と罰の外側の幸福な人類のイメージです。
                      「幽霊」はこのイメージを打ち壊すものとして出てきますが、したがって、それは、神に
                      よって成り立つ罪による罰として登場してくるわけではありません。むしろ、この「幽霊」
                      によってうち消されるものは、はるかにプリミティヴな生命感覚です。
                      そのことによって、この幽霊の意義は、神を信じない者に対してまで浸透する力を持って
                      いると言えます。
                       スタ氏がそれを罪悪感であるというのなら、それは神をも含めた外部からの規範によっ
                      て生み出された罪の意識ではなく、『黄金時代』の生命感覚に対抗しうるだけの内発的な
                      衝動であるはずです。
                      あらゆる悪に手を染めたらしいスタ氏が、それではなぜマトリョーシャの死にたいして
                      は特別なものであるとするのか。この答えは私にも分かりません。しかし、手がかりは「威
                      嚇するマトリョーシャ」の威嚇にあるように思います。
                       人から高く評価され期待されることはスタ氏に憎悪お呼び起こします。これは彼の自己
                      評価の低さに起因し、こうした人格が形成された原因は明らかにステパン氏と母親との「関
                      係」に幼年期からさらされていたことにあります。
                      スタ氏がマトリョーシャを死に至らしめた原因は、性的な関係を結んだということのみな
                      らず、他の女性との関係を見せつけることによって、スタ氏に手をさしのべるマトリョー
                      シャを拒絶したことこそが大きいでしょう。(また、想像ですが、性的な関係を結ぶとき、
                      スタ氏は「神様なんかいないんだ、これから僕が君の神様だよ」とささやいたのかも知れ
                      ません。(「神ちゃまを殺しちゃった」)このようにして思想をそそぎ込むのがスタ氏のて
                      くだのように想像してます。)
                      この拒絶は、自殺するマトリョーシカに対するスタ氏の忍耐強さによって完璧なものにな
                      ります。この時、スタ氏がマトリョーシャの自殺を中断させたら、氏にとっては、マトリ
                      ョーシカの期待にこたえる図式ができあがってしまうからです。スタ氏はこのことに耐え
                      られません。 
                       弱く、自立できずスタ氏に依存しようとするものに対して憎悪を感じるスタ氏にとって、
                      あらゆる依存の希望を断ち切って望みのない威嚇を企てる少女はきわめて実在感のある存
                      在に見えたはずです。しかし、それが完成するためにはスタ氏の絶対的な無関与による少
                      女の自殺という取り返しのきかない事態が必要でした。
                       このことが「幽霊」の意義をどこかで規定していると思います。

                      「幽霊の転化」

                       「幽霊」は『黄金時代』のマイナスに転化したヴィジョンだと、とりあえず、仮定しま
                      す。(とりあえず、というのはこうしたシンボリックな解釈はドストエフスキーの読書に
                      はふさわしくないと考えるからです)。
                      この「幽霊」はスタ氏にとって一瞬リーザになります。弟三章「破れたるロマンス」をご
                      検討下さい。
                      まず、あのスタ氏ともあろうものが、リーザとの関係において、やけに女々しくなってい
                      るのが奇妙です。
                       わたしは、スタ氏はリーザをマトリョーシカと同一視しているのだと思います。

                      そして、次の朝のリーザはスタ氏が自分を別の女と同一視していることを築いています。
                      この章はそのようにして読むと、色々なことがつじつまが合ってきます。
                       まず、リーザは自分のことを「死人」だと自己紹介します。
                       スタ氏は「きのう入ってきた」リーザを特に強調します。そのことに対してリーザはい
                      らだちます。
                      リーザは言います「きのうお部屋のドアをあけたときだって、あなたはだれが来たのかご
                      存じないくらいですものね」。この時スタ氏は、明らかにマトリョーシャの姿を見たのです。
                      以下、リーザとの「自分の生命を支払った」等々の会話にはマトリョーシャの存在が見え
                      隠れします。

                      この、マトリョーシャとリーザの同一視による情交はスタ氏のマトリョーシャ幻視に大き
                      な影響を与えたはずです。続く、リーザの惨殺も。

                      この後、スタ氏にはマトリョーシカ幻視は起こらなくなったのではないかと想像します。
                      それは、同時に、屈折した、しかし唯一の生命感覚の喪失を意味したのではないでしょうか。

                      「幽霊の自己との同一化」

                       スタ氏は家に帰ってから部屋を扉を次々と開けてから自殺します。私には、それが、い
                      なくなったマトリョーシャを探していることのように思えます。
                      首吊りによる自殺を成し遂げたスタ氏はそのことでマトリョーシャとの同一化を企てたお
                      出はないでしょうか? 


                & & 
                      
Seigo氏 99年12月28日01時49分


                       n_kumaさん、
                       下の、
                       スタ氏の自殺の原因をめぐっての、n_kumaさんの考えの書き込み、どうも。
                       以前にその一端は聞かせてもらった、n_kumaさんの下の独自の深い考察内容については、
                       その捉え方で正しいのかどうか、私の方では、まだ、判定しかねるので、
                       じっくり検討する時間をもらって、のちに、意見を述べさせてもらいますね。
                        (『悪霊』の末部の、読者には印象的な、
                           
スタ氏は、早朝、だしぬけにスクヴォレーシニキにやってきて、
                           屋敷中の部屋をすっかり歩いてまわったのち、自分の部屋に閉じこもった、
                         と報告される箇所については、どう考えたらいいのか、私はずっと気になっているのですが、
                         n_kumaさんの下の、
                         >それは、いなくなったマトリョーシャを探しているのだ、
                         という捉え方は、興味深いです。
                         また、スタ氏の一前身たる『罪と罰』のスヴィドリガイロフ(彼の前にも、亡き妻の亡霊が現れます。)
                         との対応も見ていくと、n_kumaさんの見解は、興味深いです。)


                 実在しないスタヴローギン? 
                      
ACDC 99年12月29日03時26分

                      >葦原骸吉さん、Seigo氏、n−kumaさんへ
                      返答が遅くなって申し訳ないです。
                      色々、私事でこの時期忙しかったもので、なかなかリプライすることが出来ませんでした。

                      とてもじゃないですけど、みなさんのハイペースで展開される知識の攻防にはついていく
                      ことが出来そうにないです。(力不足のため)
                      だから、あまり私に発言を期待しないようお願いします。くれぐれも。
                      (でも、掲示板は見ていますので、たまに出現させていただきます)

                      >Seigo氏
                      スタヴローギンについての見方、かなり同感です。
                      ようするに、彼は「全てが許されている」という格言を、生のあらゆる局面において
                      実行してしまう、驚異的な意力知力体力を兼ね備えた人物なのですね。(自由の無限の行使)
                      そういう意味では、ドスト氏の登場人物の中では、最も戦闘的な神への反逆者であり、
                      ある意味では人類最強の挑戦者だと思います。

                      >葦原骸吉さんへ
                      はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。

                      
>ニコライ・スタヴローギンってのはそもそも実在しない(イヴァンの悪夢に出
                      >てきた悪魔のような)、ピョートルらの観念が生み出した象徴的人物(共同幻想?)とも
                      >読めるのではないか、と思うのですが。
                      >これは余りに極端な説ですが、そう考えるとスタヴローギンが極度に肉体的実在感の無
                      >い人であることに変に合点が行きますね。>どうですACDCさん

                      これはSeigo氏が指摘した、「スタヴローギン他殺説」と何らかの関係があるのだと思います。
                      私にはイマイチ、ピンとこたない発想なのですが、清水正氏によれば以下のようなことではないかと
                      理解しています。(中途半端ですけど)

                      つまり、スタヴローギンはピョートルの分身であり、鏡の中のもう一人の自分の姿である
                      ということです。スタヴローギンは「実在」しないのけど、鏡の中から出てきて、みんな
                      見える形で物象化した人物という捉えかたです。
                      ピョートルとスタヴローギンの会話も、ピョートルが鏡に向かって自分に話し掛けている
                      のです。彼はスタヴローギンのナイーヴな部分を指摘したが、それはそのまま自分のことを
                      物語っている。実際、父ステパンがピョートルに関して「神経質な、感受性の強い・・・・・・
                      臆病な子でしてね。夜寝る時なんかも、夜中に死んだりしませんようにと、枕に最敬礼して、
                      十字を切ったものでした」と語っている。悪魔の申し子のようなピョートルにも
                      純真の面もあったと言えるかもしれない。そして、それは分身であるスタヴローギンと密接に
                      関わっている。

                     
 「いいですか、僕は君を誰にも見せませんよ、誰にも。それが必要なんです。
                      イワン皇子は実在する、だが誰も彼を見たものがいない、身を隠しておられる」

                      この言葉をそのままとれば、ピョートルにとってスタヴローギンは実在しては
                      ならない存在ではなかったか?だから、殺した?
                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                      すいません。
                      ここまでしか、辿り着けませんでした。

                      >Seigo氏
                      「他殺説」について、清水正氏のどの本に載っているのでしようか?

                      >n−kuma氏
                      スタヴローギンについて、読ませていただきましたが、
                      私の理解力不足のため、また改めて感想を述べさせていただきます。

                      それでは、みなさん良いお年を。
                      失礼します。
                 


                    清水正氏の「スタヴローギン他殺説」について、少々
                     
 Seigo氏 99年12月29日20時49分

                           ACDCさん、
                           卒論で忙しい中、引き続いての書き込み、どうも。
     
                           清水正氏の「スタヴローギン他殺説」は、
                           私の読んだ範囲では、
                            ・清水正著
『「悪霊」の謎 ― ドストエフスキー文学の深層』(鳥影社1993年刊)のp157〜p159
                            ・清水正著
『ドストエフスキーの暗号 ― 作品に隠された数々の神秘的符合から浮かび上が
                             る<予言>とは?』
(日本文芸社1994年刊)のp149
                           で述べています。

                            
 「わたしはニコライ・スタヴローギンの〈自死〉にさえピョートルの魔の手が伸びていたの
                              ではないかとさえ考えている。ニコライ(=スタヴローギン)は屋根裏部屋で「ぶらさがっ
                              ていた」わけだが、これはロシアの大地から遊離して、神を見失ってしまった者にふさわ
                              しい死に場所であり、死に方ということになろうか。 が、少しばかり、当局の回し者ピョ
                              ートルの文脈からニコライの死を見れば、ニコライの〈首吊り自殺〉でさえ他殺の様相を
                              おびてくるということだ。人神思想にとり憑(つ)かれたキリーロフを徹底的に政治的陰謀
                              の次元で利用し、彼の遺書さえ自分の思い通りに口述筆記させようとしたピョートルの
                              ことだ、ニコライの死の現場に置かれた紙片に書かれた〈遺書〉らしきもの『だれをも咎(
                              とが)むることなかれ、われみずからなり』を、ニコライ自身が書いたなどとうかつには断
                              定できないのである。」
(前書のp157より。)

                           清水正氏の「スタヴローギン他殺説」は、上で触れているように、
                           清水正氏がより確信を持って主張している、

                              「ピョートル=政府当局から派遣されたスパイ(二重スパイ)」説

                           を前提として、当時、ほのめかし程度に述べている考えのようです。