L<「人間の感情・心理」について>

1.
「人間は、こわいと思う人のことは軽蔑しないものである。」
(『白痴』より。)

「敵に対する恐怖は、敵に対する憎悪(ぞうお)をも根絶やしにしてしまうものである。」
(
『悪霊』より。)

2.
「感情は絶対的なものである。なかでも嫉妬(しっと)はこの世の中で最も絶対的な感情である。」
(『永遠の夫』より。)

3
.感覚というものは知力には従わない。」
(
『虐げられた人びと』より。)

4
.怒りは最も神聖なものであり、怒りを発するためにはハートが必要である。」
(
『評論集』より。)

5.〔以下は、後に、追加します。〕
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M<「苦悩」「苦痛」について>

1.苦悩苦痛は、広い意識と深い心の持ち主にはつねに必然的なものなのだ。ほんとうに偉大な人間はこの世では大いなる悲しみを感じるはずだと思うのだ。」
(『罪と罰』のラスコーリニコフの言葉より。第3部の5。新潮文庫の上巻のp464)

2.
苦痛こそ生活なのだ。苦痛がなければ、いったい、人生にどんな快楽があろう。なにもかもが一様に、きりもなくだらだらと続く祈祷(きとう)になってしまう。」
(『カラマーゾフの兄弟』より。)

3.
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N<「言葉」について>

1.「これもわたしの意見だが、ロシア語でものを書くのは、どのヨーロッパの言葉で書くよりも、厄介なことらしい。わたしはいま書いたことを読みかえしてみて、書かれたことよりも自分のほうがはるかに利口だと思う。利口な人間の言ったことが、その人間の中にのこっているものよりも、ずっと愚かだなどと、いったいどうしてそういうことになるのか?」
(『未成年』の第1部第1章第2のアルカージイの言葉。)

言葉にあらわれるものよりも、内部に残っているもののほうが桁外(けたはず)れに多いのだ。人間の思想は、それがりっぱなものでなくても、心のうちにとどまっている間は、つねに深遠なものであるが、言葉にあらわれてしまうと、それは滑稽で不当なものになる。」
(『未成年』のアルカージイの言葉。第1部第3章第1)

2
.言葉―民衆、わが国の言葉ではこれは同義語である。そしてこの中にはなんと豊かな深い思想が含まれていることか!」
(『作家の日記』(1876年の「78月号」の第3章の2)より。ちくま学芸文庫『作家の日記』の第3巻のp84)

3.
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O<「宗教」「信仰」について>
1
.「人間存在の法則は、ことごとく一点に集中されています。ほかでもない、人間にとっては、常に何か無限に偉大なものの前にひざまずくことが必要なのです。人間から無限に偉大なものを奪ったなら、彼らは生きていくことができないで、
絶望の中に死んでしまうに相違ない。無限にして永久なるものは、人間にとって、彼らが現に棲息(せいそく)しているこの微少な一個の遊星と同様に、必要欠くべからざるものなのです。」

(米川正夫訳。『悪霊』のステパン氏の言葉。)

2.
宗教的精神にもとづく自己完成が、国民生活におけるいっさいの基礎である。」
(
『作家の日記』より。)

3.
「霊魂の不滅こそ一切の救いの基である。」
(『作家の日記』より。)

4
.「もし肯定のほうへ解決することができなければ、否定のほうへも決して解決せられる時はない。」
(『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の言葉より。第2編第6。新潮文庫の上巻のp131)

5
.「完全な無神論の方が、俗世間の無関心な態度より、ずっと尊敬に値しますよ。完全な無神論者は完全な信仰に達する最後の一つ手前の段に立っておる(それを踏み越す越さないは別として)。」
(『悪霊』のチーホン僧正の言葉より。「スタヴローギンの告白」の第1より。新潮文庫の下巻のp542)

6
.「我々はすべて無政府主義者だの、無神論者だの、革命家だのというような社会主義者めいた連中は、あまりたいして恐ろしくないです。我々はこの連中に注目していますから、やり口もわかりきっていますよ。ところが、その中にごく少数でありますが、若干(じゃっかん)毛色の変わったやつがいます。これは神を信ずるキリスト教徒で、それと同時に社会主義者なのです。こういう連中を我々は何よりも恐れます。じっさい、これは恐ろしい連中なんですよ!社会主義のキリスト教徒は、社会主義の無神論者よりも恐ろしいのです。」
(『カラマーゾフの兄弟』でミウーソフが紹介しているフランス人の言葉より。第2編第5。新潮文庫の上巻のp125)

7.
宗教は単なる形式ではない、それはすべてである。」
(「メモ・ノート(18761877)」より。『ドストエフスキー未公刊ノート』(小沼文彦訳、筑摩書房19977月刊)p122)

8
.「道徳というものはどんなものでも大本(おおもと)宗教だ、なぜならば宗教は単なる道徳の公式にほかならないからである。」
(「メモ・ノート(18751876)」より。『ドストエフスキー未公刊ノート』(小沼文彦訳、筑摩書房19977月刊)p100)

9
.宗教的感情の本質というものは、どんな論証にもどんな過失や犯罪にも、どんな無神論にもあてはまるものじゃないんだ。そんなものには、何か見当ちがいなところがあるのさ。いや、永久に見当ちがいだろうよ。そこには無神論などが上っ面(うわっつら)をすべって永久に本質をつかむことができない、永久に人びとが見当ちがいな解釈をするような、何ものかがあるんだ。(以下、略)
(『白痴』の第2編の第4のムイシュキン公爵の言葉より。新潮文庫の上巻のp411)

10.
「お祈りはいいものだよ。心がさわやかになる、眠るまえにも、朝起きたときも、夜中にふっと目がさめたときも。」
(
『未成年』のマカール老人の言葉。第3部第1章の3)

11
.「いったい苦痛とはなんだ!おれはたとえ数限りない苦痛が来ても、決してそれを恐れやしない。以前は恐れていたが、今は恐れない。(途中一行、略)おれのなかには、今この力が非常に強くなっているので、おれはすべてを征服し、すべての苦痛を征服して、ただいかなる瞬間にも、『おれは存在する!』と自分で自分に言いたいんだ。幾千の苦しみの中にも、――おれは存在する。拷問にさいなまれながらも、おれは存在するんだ!磔柱の上にのせられても、おれは存在している。そして太陽を見ている。よしんば(=かりに)見なくっても、太陽のあることを知っている。太陽があるということを知るのは、――それがすなわち全生命なんだ。(以下、略)
(『カラマーゾフの兄弟』の中の、アリョーシャに向けてのドミートリイの言葉。第11編の4。新潮文庫の下巻のp161p162)

、ドミートリイの絶唱。上の言葉の中の「太陽」は、ドミートリイにとっての「神」のことを言っていると思われます。

12.
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P<「文学」「芸術」について>

1.「それにしても文学というものはいいものですね、ワーレンカ、実にいいものですよ。これは一昨日あの人たちのところではじめて知ったことなのです。なんとも言えぬ深みのあるものですよ!人間の心の支えになり、教訓を与えてくれるものです。それに――まあこういったいろんなことがまだたくさん、あすこにある本に書いてあるんです。それが実にうまく書いてあるんですよ!文学――それは絵である。つまり、一種の絵であり鏡である。情熱の表現であり、きわめて鋭い批評であり、道徳に対する教訓であり、同時にまた人生の記録である。」
(小沼文彦訳。『貧しき人びと』のジェーヴシキンの言葉より。新潮文庫のp101)

2.
「われわれは文学をほかのものに見替えるようなことはしないし、われわれはそれを高く評価している……文学は――人間のあらゆる生活の表現である。」
(「メモ・ノート(18601862)」より。『ドストエフスキー未公刊ノート』(小沼文彦訳、筑摩書房19977月刊)p6)

3.
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