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私の雑感・主張 普段着の談話室

中九州高規格道路  教育委員会汚職事件  新生竹田市の課題

「国も政治も地方から変わる」、そう言われておりますが、いままさに日本は中央集権体制から、地方の企画立案力を基軸にして地方政治、地方行政から立ち上がっていかねばと思っております。
県民の皆さんの声に耳を傾け、夢と希望を実現できるボトムアップの政治・行政を実践していく推進力になりたい。
皆さんに普段着の気分でお話をしてみたい。
お堅いことも、楽しいことも気軽に綴ってみます。
地域の皆さんと「気づき」を共有できたら幸せです。

山頂のポプラ 号外2

平成21年2月12日 pdf文書ですクリックしてご覧下さい。

1面 2面

山頂のポプラ

 私の生家からほど近い公園の山頂に一本のポプラが空に向かって突き立っている。まさに、突き立つという表現がぴったりの姿なのだ。
物心ついた時分は、たしか二本だったと記憶するのだが、古老の話によれば昭和初期に、地元の青年たちで結成した『洗心クラブ』が植えたものだそうな。
 川岸に残る桜の老木も、青年たちの熱き挑戦の名残なのだ。戦前戦後を通じて、土地に住む若者たちは一様にふるさとを愛した。どこまでも純朴に。
すべてが貧しい時代だったけれど、その行動には夢を感じる。高い志を感じる。未来への明るい予感が若者たちを、まさに突き動かしたのであろう。
 思い悩む時には、山頂のポプラを見上げよう。遠い時空から、先人たちの励ましが聞こえてくるような気がするから・・。

中九州地域高規格道路
    大野〜竹田間が見えてきた

 いよいよ中九州地域高規格道路大野−竹田間の線形が決まり、竹田インターチェンジ鏡地区付近の完成予想図が公表されました。
 国家プロジェクトでもあり、大分県も広瀬知事を先頭に議会も全面的に推進しております。
 東九州自動車道と共に一日も早い完成が待ち望まれます。と同時に私たち市民が取り組まなければならないのは、これからです。
 つまりこの道路をどれだけ有効に活用し、魅力ある地域づくりを進めることができるか。ややもすると、道を整備することだけに気が奪われがちですが、大切なのは「道をどう活かすか」にあります。
朝地の構想
 鏡付近の状況は写真のとおりです。高規格道路と国道57号線、そして県道竹田直入線が見事な線形で接続されています。
 このようなインターチェンジは大野町、朝地町にも整備されるわけですが、いま朝地町では地元市議会議員さんや市長さんらが真剣に取り組んでいる構想があります。それは、「いかにして朝地インターに降りてもらうか」というものです。
 その地域に魅力がなければ当然、人は来ないわけで、それは道ができても同じことです。単なる通過点にしかならないのです。そこで朝地地区では、朝地の観光地や食文化に磨きをかける一方、「開発が決定した三宅山林道と県道竹田直入線、県道朝地直入線をうまく連結させ、長湯温泉や久住高原、さらには九重の夢の大吊橋への玄関口にしたい。」と話しています。そのために、県道朝地直入線の早期整備を果たしたいと。朝地には朝倉文夫記念館や用作公園、道の駅もありますが、まずはインターチェンジで降りてもらえるかどうか、危機感を抱いている朝地の取り組みは、私たちに取って大いに参考になります。

魅力の連結
 さて、では竹田市ではどんな構想が必要なのでしょうか。
 大分方面から城下町を目指してほしい。そして地元から見れば荻町の産業振興のためにも是非、熊本に向けての連結に期待を寄せたいところです。この期待は今後も強めていかなければなりませんが、ここでは竹田のインターチェンジを活かす手段について考えてみます。要素は大きく二つの分野に分かれます。ひとつは城下町への誘客と荻町の連結。そしてもうひとつは県道竹田直入線、国道442号線を活かして直入町や久住町の魅力で観光動線を強化することです。

歴史と文化の道
 前者は何と言っても城下町の魅力再生にあると思います。恒常的に誘客のできる町づくりの実現、地域外貨を獲得できる手法を考え直すことでしょう。
 いま竹田市が行っている雇用創出大作戦(竹田市経済活性化促進事業で行っている新パッケージ事業)により展開されている各種研究開発事業が、これまで竹田で生み出せなかった新たな可能性を生み出してくれることを確信しています。
 詳しくは別の機会に話したいと思いますが、歴史や文化は言うに及ばず、竹田には竹田にしか無い潜在能力のあることを忘れてはならないと思います。それに明治、大正、昭和にかけ先人達が築いてきた荻や菅生、市の南部地域にある農業遺産や農産物、これらをツーリズムと食文化を絡めることで新たな魅力が生まれると思います。

新たな動線
 後者は、ここ20年間で県下でも多くの交流人口を得てきた地域です。ただ、最近のマンネリ化をどう克服するか、そして更に大切なのは、その動線となる県道、国道の整備です。加えて三宅山林道の活用も視野に入れておきたいものです。
 県道竹田直入線は、改良工事の方向性が見えてきました。この路線からの竹田盆地の景観のすばらしさをどう活かすか。また、国道442号線も着実に改良工事が進んでいますが、「ぐるっとくじゆう周遊道路」で九重との観光動線をどう復活させるか。ここにも、大きな可能性が潜んでいます。これら道路がもたらしてくれる可能性の掘り起こしこそが市民運動の最大の課題だと感じています。
 地域高規格道路整備では、特に関係地区民の皆さんには、用地やその他の関係でご迷惑をお掛けすることと思いますが、是非ご協力をお願いします。

私的報告と見解
   県教育委員会汚職事件について  

議会側にも大きな責任
 このほど発覚した大分県教育委員会の汚職事件に対し、まずは私からも県民の皆さんにお詫びを申し上げます。
 教職員の採用試験にあって、想像も出来ない悪質な不正行為があったわけです。特に、一次試験の結果を改ざんし、本来合格をしていた受験者を落としたり、はるか及第点に及ばなかった受験者を合格させるなど、信じがたい工作が行われ、またそこに金品の授受があったという事実は深刻に受け止め、相応の処分が行われなければなりません。また、学校現場における混乱、特にこどもさんたち、保護者の皆様への現場に対する不信感が早急に解消されるべき措置を講じなければなりません。教育委員会では、教育行政改革プロジェクトチーム (PT) を立ち上げ、腐敗構造の究明と善後策に取り組んでいるところです。これらの取り組みについでは、県警や報道機関からの情報提供で詳しく知ることもできるでしょうし、私たち県議会も県民の皆様から理解されうる真相の究明と責任ある対応に取り組んでいるところです。


私自身はどうしてきたか
 ここでは、私自身はどうなのか、竹田市民の皆様から選出された県議会議員としての責任をもって報告させていただき、また今回の事件に対してどういう見解をもっているのかも申し述べさせていただきます。
 まず、今回のような不正行為には一切関わっておりません。そもそも、試験結果の工作ができるなどという認識はなく、それは県議会議員の誰もが同じだと信じています。「では、口利きはどうか。」 私には、いまマスコミ報道されているような口利き行為はありませんし、そんな行為が試験結果を左右するということもないと、今でも確信しています。
 では、受験した本人や家族、関係者からの依頼はなかったか。この点に関しましては、過去に数件あったと、はっきりと報告させていただきます。教育関係も含まれております。その時の私の対応は、全てに対して同様ですが、内容は次のとおりです。
 まず、その分野で卓越した見識をもっている人にレクチャー(指導)してもらうよう勧めるということです。「教員として、また公職を目指す者として必要な心構え、あるべき姿、ものの考え方をしっかりと指導してもらい、理解できた上で試験に臨んで欲しい。」と伝えることが私の使命であり、その時々にふさわしい見識者を紹介させていただきました。さらに、私自身が信じる「あるべき姿」をご本人にお伝えするということもあり、中には時間を忘れて真剣に話し合ったこともありました。もちろん、どの場面においても見返りは求めておりません。
 私にとって無縁の人ではないのですから、なんとか、力になってあげたいと思うのは、心情として当然でしょう。しかし、面接や論文は勿論、ご本人の力が認められなければ合格するはずもないのですから。そんな思いで助言させていただくのが常でしたし、これからもアドバイスを求められれば、そうするつもりです。「公務員を目指そうとする自分のあり方がはっきり確認できました」 「教員としてどうあるべきか、目から鱗が落ちたような気がします」。縁のあった受験者は一様にそんな言葉を残していきました。
 ただし、当然ながら皆が皆、合格したわけではありません。中には、三度とも最終選考に残りながら願いを果たせなかった人もいました。それでも、くじけることなく、別な職に就いて、頑張っておられます。「こんな人が公職に就かれるといいのになあ」と思うこともありました。

いま求められるもの

 さて、先般、私は議会の総務企画委員長が「充て職」の会議に出席いたしました。冒頭、担当課長が県庁職員として同僚の不正を出席者に詫びました。その言葉の中に「今回の事件は教育委員会で起こったわけですが、私たち知事部局でまったく存在しないことかと問われれば否と答えざるを得ないと思います。職員の人事に関しましても何の意志も作用しないかと言われれば、これも否と言わざるを得ません。意欲に燃える公僕が能力ある職について、県民のために闘えるような職場にしていかなくてはなりません。」というのがありました。
 私も公務員としての経験があるだけに、この管理職の言葉には少なからず感動しました。ご本人が東大出身の優秀な職員であることも知っておりましたし、全国に通用するトップレベルの能力を持っていることも知っていましたが、何より、その志の高さは何とも嬉しい限りでした。「教師は子供たちに人格的感化のできる聖職である。だから誇れるし、だから責任も大きい。」と話してくれる恩師がいます。私の周りには、すばらしい先生、そしてすばらしい行政マンがたくさんいます。
 政治にも、行政にも、そして地域住民にも、「闇の力が作用しない、作用させない」社会を築き上げていく責任のあることを、改めて教えられた事件であったと思います。私は今回の事件をわがこととして謙虚に受け止め、それでも、必要以上に萎縮することなく、お互いに信頼の絆を強めながら、より良き大分県、夢の持てる竹田市の実現のために努力して参ります。ご指導ください。

岐路に立つ新生竹田市の課題

ケーブルテレビ

 まず、いま市民の皆さんが一番不安に思っている案件はケーブルテレビであろう。国や県の補助事業でもあることから、竹田市当局から何らかの相談や説明があるのでは、と思っていたが、当初から打診さえなかった。むしろ、県の担当課から竹田市が手を上げたという報告を受けて、考え込んでしまったのを記憶している。
 市長が最重要課題として、政治生命をかけて判断した事業であろう。議会にも市民にも、充分な時間を費やし、説明責任を果たしてくれるものと期待していたのだが。
 私自身は、行政マン時代、二十二歳から十五年間、広報マンを拝命し、広報紙はもちろん、個別受信機を通して町民の皆さんに情報を発信し続けた経験がある。広報は十五年間、無線もほとんど毎日、五年間続けさせていただいた。だから行政の情報伝達の重要性は熟知しているつもりである。
 私と同時期、ケーブルテレビの活用で全国のトップレベルの実績を残してこられた大山町の緒方英雄さんとは、いまでもお付き合いをさせていただいている。番組編成から取材活動まで、どれほどの情熱と行動力、そして情報の価値判断能力が必要か、今でも論じることがある。彼は、大分合同新聞で、これまた友人の佐伯市米水津の高橋治人さんと「私の紙面批評」という辛口コラム欄にたびたび登場している。
 「情報化社会に対応したい」と希望するのはいい。しかし、発信者には相当な技量が求められるということも知らなければならない。現役時代、緒方氏が「ケーブルテレビ、ソフトなければ、ただの線」と警鐘を鳴らしていたのを思い出す。そんな重責のことも思い巡らせていただいているであろう。ハード事業とともに、すでに職員の養成も平行して取り組んでいると信じたい。
 いま市政に求められているのは、広く深く市民の皆さんに対し、説明責任を果たすことだと痛感する。市民の皆さんも大いに関心を寄せている。この事業を推進しても、老人活動や住民運動には影響がないのか。福祉や医療の充実が他の市町村より遅れることはないのか。教育関係や道路などの生活環境整備に影を落とすことはないのか。「最優先されるべき事業がこれだ」と、多くの市民が納得できれば言うことはない。しっかりと、わかりやすく市民に問うてほしいと念じる。

直入荘
    
 私は、合併後の地域エゴが新しい町を閉塞感で包んではならないと憂慮してきた。うれしいことに、旧一市三町の市民の皆さんはその壁を越えたと私は思っている。だからのちほど敢えて花水月のことにも触れる。
 そして、さらに長湯温泉の発展を支えてきた施設のことについても言及したい。
 国民宿舎「直入荘」と、歴史的な施設で、長湯温泉のシンボルともなっている「天満湯」のことについて触れたい。
 直入荘は、黒字経営が続いている。原油高騰の影響をもろに受ける高級旅館を尻目に、庶民的で安価、安心して泊まれる公共施設として、その存在価値は年々高まっている。重要な雇用確保の場でもある。なのに、なぜ閉鎖ありきの議論が先行しているのか。
 これまた、竹田市当局から一般市民は説明も受けていない。聞くところによると、耐震構造が限界だという。改修するには一億円のお金がかかるとか。私は、旅館、ホテルの経営者でもある。建築の世界の専門家も知っている。気になったから、二名の著名な建築家に直入荘の状況を調査してもらった。そして驚いた。両者が診断した結果がほぼ同様のものだったのだ。「昭和五十年前後の建物にしてはコンクリートの強度が予想以上に良好でした。老朽化している水道管などのやり代え、耐震構造の経費を加算しても四千万円から五千万円の予算で再生が可能だと思われます」と。
 市側は正規の耐震診断を行ってはいないと聞く。一億円という数字はどこから、誰が公表した数字なのだろうか。
 黒字を生んでいる大切な施設だ。貴重な泉源も二本ある。職場を愛し、懸命に働いている市民がいる。このまま、黙っていれば、本当に閉鎖になってしまうのではないかと心配だ。検討委員会でも「継続すべき」という意見が大半を占めているというのに。
「天満湯」についてもしかり。施設が消えるということは、歴史も消し去るということだ。神社のこと、薬師堂のこと。机上の数学では見えない価値のことも視野に入れた議論が今こそ必要なはずである。


花水月

温泉館「花水月」 のことについては過去にも触れた気がするが、ここで改めて考えを述べてみたい。
 「花水月」に対して年間赤字補填をいくらしているのか。これまでどれくらいの一般財源をつぎ込んできたのか。しかも、花水月は十九年度に第三セクターから市の直営施設に移管されている。何が原因で赤字だったのか、現在の収支はどうなっているのか。議会はもちろん報告を受けているであろうが、市民にわかりやすく説明することが大切ではないか。
 うわべのいい話だけでなく、市民は明確な数字を知りたがっている。課題や危機感を地域住民と共有するという市政が求められてはいないか。
 大分県は、想像以上の財政難と向き合った。広瀬知事になって、年間一億円のお金を持ち出していた「香りの森博物館」をすぐに閉鎖した。そして、利用方法を専門家を交えてとことん議論し、その末に売却という思い切った決断を下した。
 私自身は、ダムが整備され、周辺道路が完成すれば状況は一変するからと、当分の間は閉鎖のままで辛抱してほしいと関係地域の首長さんらと主張した。閉鎖は仕方ないとして、必ず再生の道があると考えたからである。結果はどうあれ、知事と対時して議論したことに悔いはない。
 さて、「花水月」は市民の税金がどれだけ使われているのだろう。早期に公表すべきだろう。

人が亡くなる もうひとつの恐怖

 
日本政策投資銀行に勤務していた友人と久しぶりに逢った。積もる話も多かったのだけれど、日から鱗が落ちるような話を聞かされた。一人で納得しても始まらないので、敢えて紹介しておきたい。
 「竹田市も少子高齢化、過疎化で大変なようですね。合併をしたあとも年間500人規模で人口が減少しているようですが」挨拶代わりの言葉がこれ。ちょっと不機嫌な顔をして見せたら、「こどもみたいに怒らないでくださいよ」と言いながら、さらに語気を強めて襲い掛かかってきた。「竹田市と同じような田舎の金融機閥でいま起きている最大の危機は何か知っていますか」。「お年寄りが亡くなるでしょ。平均で一日にお二人くらいですか?」と聞く。平均はそんなものだろうが、人が亡くなるのは不思議にも連鎖反応のように1日に3人だったリ、4人だったリ。そう答えると、「そうでしようねえ。そんな時、銀行は危機なんです。 なぜかわかりますか。
都会に住んでいる息子さんや後継者の方が、お年寄りがコツコツと預金してきた財産をハンコひとつで自分が住んでいる都会に持って帰るんですよ。その額は半端じゃありません。 中には億単也のお金が銀行から都会に動くんですから」これ以上ショックな話は削除するけれど、亡くなっていくのは人間だけではなく、地域財貨もだということを知らなければならない。
 当たり前だと思った人は救いようがない。その次に失うものが見えていないから。実は私もそうだったけれど、これ以上のことは胸に収めて溶かしてしまいたいほどなのである。 鳴呼。



管総務大臣は立派だった
 ふるさと納税制度の導入に大賛成


爽やかな弁舌と温和な中にも、芯の強い政治家という印象の菅総務大臣。
『頑張る地方応援プログラム』などの発案者でもある。

『所得税を納めるようになった個人を育てたのは、個人のふるさとである。人間形成、技能修得の大切な時期を過ごしたふるさとに、恩返しの意味で所得税の一定割合を納税することは、理にかなったことである』として、ふるさと納税制度なるものが重要課題として真剣に検討されている。そして、先日、竹田市に遊説に訪れた菅総務大臣も今年中には、実現させたいと私たちに誓ってくれた。
 個人の所得税の一定割合を、個人が育ったふるさとに納税するという新しい納税制度は、都市と農村の地域間格差を埋める妙案のひとつである
 長者番付で上位のユニマットグループの高橋代表は、沖縄の宮古島の上野村(ここもドイツとの交流がさかん)に住民登録した。そのおかげで、村の住民税収入は一挙に3倍に膨らんだという例もあるのだ。そして、大リーガーとなって活躍しているイチローも、オリックス時代にふるさとに住民票を置いた。なんと、納税額は5千万円だった。ふるさとへの恩返し。生まれ育ったふるさとを廷らせたいとする気持ちが制度になれば最高だ。 ちなみに、県内一周駅伝大会や国体でも、『ふるさと選手』が認められているのだから。 それにしても菅大臣。やはり、いい政治家は企画力に富んでいる。

いまこそ足元の歴史に光を当てて

まちづくりとは、新しいものを創ること?

 選挙戦を終えたとたんに、潮が差し切るように、不思議なものが続々と身に寄ってきた。
 まずは、田能村竹田先生とその師である唐橋君山先生の遺墨。ともに豊後国誌の編纂に携わった人物で、竹田市の歴史を語るに欠かせない。東京の知人から、「あなたの町がもつべき財産ですよ」と贈られた。専門家と検証して、その見事さに小躍りして喜んだ。

 二つ目は、岡藩の第3代の殿様、中川久活公ほか9通の直筆の書簡である。久清公と言えば、大船山を好んだ『入山公』のこと。あまりの貴重さに、先哲資料館が解読に乗り出した。
 選挙遊説の折に足を運んだ十川(そうがわ)や、幻の城下町と言われる田町の家並み跡。そして、由学館の周辺の武家屋敷跡、岡城の登り道。夏目屋敷や粟生屋敷のこと。
 時代や地域を越えて、人と人、人とモノが出会う機会を授けられた幸運。さて、これをいまにどう活かすか。
 先日、テレビでアレックス・カー氏が登場し、日本人が何を失い、何を求めてきたかを問い質していた。
 何に価値があるか。このことに気がつかないでいると、時が生み出してきたものをすべて失いかねないと危惧するのである。

こんな林道いかがですか  楽しみな課題をひとつ

 予算の厳しい時代。でも、中九州自動車道や稲葉ダムなど、国家プロジェクトは大丈夫。知事も県議団も最大課題で取り組んでいますから。これからは地元の皆さんとの用地交渉がスムーズであれば、大きな心配はいりません。むしろ、どんな魅力づくりが先行するかであります。ここからが市民の熱意の見せ所。頑張って参りましょう。
 ところで、想定していない事業を創出するのが何と言っても楽しいのですが、いま私の視野に入っているのが、『林道』です。普通の道路整備もほぼ予定どおりに進んでいるのですが、市や地元の負担金がなくて道路ができたら、どんなにうれしいことか。
 ここで頭のスイッチを切り替えるのであります。道路、道路と叫ばなくても、予算の取れ易い林道があるとすれば。たとえば、竹田市が誇る三宅山。その昔、殿様が狩をした歴史的な価値を持つ山に林道が走れば。林業振興は言うに及ばず、観光道路、生活道路としても多様な機能を併せ持つ 『道』が実現するのです。
 赤岩付近から明治・岡本を結んで朝地町へと連絡する林道ができたなら。対象となる森林面積は400ヘクタール、林道の総延長は約10キロメートル。10億円ほどの予算が付けば、地元経済も多少は活気付くでありましょう。鳴呼、楽しい。うれしい。

二条大麦と竹田名水のハーモニー
 『自然麦』ブランドへの道

 久しぶりに東京銀座の 『坐来おおいた』に行った。キヤノンの御手洗会長らを招いての開店祝いのパーティー以来であった。順調な営業成績と、大分の食材が首都圏の胃袋を満足させていると聞いてうれしかった。さらにうれしかったのは、メニューにあった焼酎の銘柄。いいちこや二階堂など大量生産されている銘柄はひとつもない。大分の田舎で本物の手造りのこだわっているものばかりなのだ。そして、勧められるままに千歳村の『自然麦』を口にした。25度のオンザロックだ。とたんに脳天を砕かれるほどの衝撃を受けた。恍惚と粉砕させてくれる、かの開高健先生ならそう叫んでいたであろうほどの力があった。藤居酒造のこだわりだ。原材料もうれしかった。二条大麦のニシノチカラと割り水は竹田名水なのだ。
 竹田市には、全国区の清酒『千羽鶴』があるが、名水どころとしては、まだまだブランド化できるものがあっていい。
 自然麦の力を借りて、大きな夢を描こうではありませんか、左党諸君。

懇談会が活発に行われています情報共有と政策研究がスタート

 県政と地域の皆さんとの情報共有の場が必要という声にお応えしています。すでに、宮城地区における『出前県政』や、商工会議所青年部との懇話会、さらには商工会議所と商店街、観光協会や行政が一体となって2ケ月に1回のペースで懇談会が開催されています。
合併を象徴するイベントの開催や、経済圏エリアの共有など、実践を見据えた政策研究の場づくりが着実に進んでいます。
 地域皆さんの要望に精一杯お応えできるように、色々なお話をいたしましょう。
遠慮なく、事務所にお電話ください。

心の内を読む脳内メーカー  夏の夜の寒い話し

 ある日、友人から 「脳内メーカーのことを知っているか」 と電話があった。インターネットで 『脳内メーカー』を検索し、名前を打ち込むと、その人の脳内イメージが表示されるというのだ。その神秘性に惹かれて、ものすごいアクセスが押し寄せている。なかなか接続できないのだけれど、翌朝早くに覗いてみた。
 『首藤勝次』 と打ち込んだら、頭の中は全部『夢』という文字で埋まって、真ん中に 『休』がある。ちなみに、息子の名前を打ち込んだら、前頭葉に 『悩』・真ん中に『遊』・後ろに少し 『金』。おもしろくなって、あらゆる人の脳内を覗いてみると。
『悪』・『欲』・『友』など、恐ろしくなるほどに当たっているような気がしてきた。さらに、『食』・『酒』・『秘』など、おもわず失笑を誘う因子がたくさん出てきた。とても人間性のある友人のことを覗いてみたら前頭葉がすべてピンク色のH(ハッピー)で、これが最も理想的なんだとか。
 どんな仕組みになっているのか、とにかく見えないものを見せてくれる不思議な世界なのだ。あなたも、一度覗いてみたら。でも、あまり深入りはしないことですぞ。

経済動向政策委員会講演録 宮城県での講演から


これは、平成20年10月から12月にかけて実施する大型観光キャンペーン 「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」 に向けた地元商工業者の対応策についての提言を7月にとりまとめた当所経済動向政策委員会(委員長‥亀井昭伍副会頭)が、提言の実現促進に取り組む際の重要な足がかりとするために開催した講演会の内容を要約したものです。

歴史や伝統の足音に耳を澄ますとき
 わが直入町 (なおいりまち) は、昨年4月に1市3町が合併して誕生した大分県の新生・竹田市にあります。合併前の直入町の人口は約2850人で、平成元年には7万人だった交流人口が、昨年80万人を突破しました。15年ほどで交流人口が10倍以上に伸びたことで、「奇跡的な再生を図ることができたまち」として紹介され、視察に来られる方も多いまちです。地理的には、大分県の湯布院、熊本県の黒川温泉、そしてわがまちの温泉である長湯温泉がトライアングルの関係にあり、当方から両温泉までは約一時間と いう距離です。
 必要なのは「精神の開拓」
 昨日、村井宮城県知事とお話をさせていただく機会があり、市町村合併のその後について意見を交わしました。 合併の効果を眺めてみると、総じて全国的にあまり芳しい状態ではなく、特に人口の少ないところ同士で合併した地域の衰退ぶりは、予想以上に大きいという内容でした。では、このような苦しい事態を招いた原因は何か。私はこう考えます。「みんなで肩を寄せ合えば体力は増していく」という思い込みではなかったかと。  合併は一以上の力を持ったところが連携した場合は別ですが、一に満たない力しか持たないところ、例えば0.8のまち同士が一緒になる場合、結果は 「足し算」 ではなく、「かけ算」 になるんです。つまり、1.6ではなく、0.64になってしまうということです。この現実を見落としてきたことが大きかったですし、さらに財政面の厳しい現実を突きつけられ、新しい自治体は動揺しました。そして自らが本来持っていなければならなかったはずの地域のテーマや政策が、その動揺と共に吹き飛んでしまったわけです。  特に地方に暮らす私たちは、ここでどんな道を選ぶべきなのかを考えることがとても重要になっています。ポイントは各地域が持っている潜在能力に火をつけ、地域の個性を特化させていくこと。今回のデスティネーションキャンペーンもそうですが、その根底に流れる精神の開拓がなされなければならないと私は思うのです。
 「誇り」と「あこがれ」
 地域の力を兄いだす。その打開策は「過去」にあるのではないでしょうか。 その好例を『ブランド王国スイスの秘密』という本から、ご紹介させていただきます。  スウオッチは一九八三年にスタートした世界的に人気のある腕時計メーカーですが、同じくスイスの一流ブランドであるオメガやラドー、ロンジンなどが、このスウォッチの傘下にあることをご存じでしょうか。
 スウオッチの創始者は、M&A後も表に出ることはせずに、陰から一流ブランドの後押しをすることに力を注ぎ、ブランドの持つ力を増幅していったのです。つまりブランドが培ってきた歴史や伝統を個性として受け止め、特異性を伸ばす戦略に徹したわけです。
 そしてもう一つ。私たち日本人は物語性、ストーリーをつくることの意味を軽視してきたような気がします。 これはミスター電通こと、藤岡和賀夫さんが教えてくださった話ですが、1912年に英国のタイタニック号が世界一周の処女航海に出かけ、不幸にも氷山に激突して多くの尊い命が奪われる事故が起こりました。
 その時に引き揚げられた遺品の中に、一つの旅行カバンがあったそうです。開けてみると、驚くことに中に入っていたドレスは一滴の海水にもおかされていなかったというんですね。その情報を発したのは誰だったか。今をときめくルイ・ヴィトンです。藤岡さんはこういいました。「いろいろな地域戦略が考えられているが、それは後世に語り継がれていく力を有しているか否かで大きな差が出る。素晴らしい力を有するものは、文化も歴史も立ち止まることなく未来の世界へ繋がっていく」 と。
 私たちはスピードを上げて経済大国への道を歩んできました。しかし今こそ、地域が培ってきた、かけがえのない歴史や文化の足音に耳を澄ます時ではないでしょうか。
 観光の原点は、その土地に住んでいる人々が自分たちの地域を誇る。その姿に外から来た方々があこがれる。つまり「誇り」 と 「あこがれ」 が環流するエネルギーが地域を活性化する原点であると私は思っています。では 「誇り」とは何か。それは地域の特異性であり、歴史や文化を学ばずして地域に誇りを生み出せるわけがないのです。
東北六県が持っている歴史、伝統のポテンシャルの高さにはすさまじいものがあると思います。その一つ一つの個性に本当に光が当たっているか、土地の人たちがそのことを誇りに思っているかということを、今を生きる私たちが、しっかりと捉えておかなければな らないのではないかと思うのです。
  交流拠点「御前湯」の誕生
今日は現場から二つほどお話をしたいのですが、一つ目が直入町の温泉療養文化館「御前湯」の話です。もともと直入町は昭和初期にドイツを見聞してきた温泉博士の提唱によって、日本一の温泉保養地を目指そうという呼びかけから始まったものでした。悲しいことに戦渦に巻き込まれて消滅し、50年の永い眠りについた時代もありました。
 しかし、このストーリーを今に蘇らせようと、ドイツとの交流を始めて十年が経過した平成10年に、温泉療養文化館「御前湯」が完成しました。 建物の設計をしてくださったのは、沖縄県名護市役所で日本建築大賞を受賞した建築家の富田玲子さんです。
 実はこの 「御前湯」 には温泉機能以外のレストランや土産店などの施設は一切ありません。もともと地域が持っているものはあえてつくらずに、地域の持っている可能性を伸ばすことに徹したのです。結果的に、ここから生み出される数々のストーリーが、今のまちを築き上げてきて、かつては7万人であった交流人口を80万人にまで増やす一つの拠点になりました。  
 語り継がれる夢が原動力
 平成元年、温泉をかけ橋にして交流が始まったドイツのバートクロッィンゲン市は、直入町の姉妹都市であり、そこで産出されたブドウでつくられたワインが 「友情」という意味の 「フロイントシャフト」という銘柄で、直入町に入ってきています。
 そのブドウ畑には、ドイツ人と私たちのロマンが結集されているところでもあります。何とそこには『我がまちバートクロッィンゲンと東洋の友、直入町の永遠の友情のために、このブドウ畑を直入町に捧げる』と記された銘板が立てられているんです。子どもや孫の代まで、友情という名のワインが九州の山の中に輸入され、感動を生み、エネルギーとなって次の世代に伝え継がれていくでしょう。

バートクロツィンゲン市にある直入町のぶどう畑

 このようにさまざまな交流が展開されていく中で、私は建築の大家である藤森照信さんと出会う機会を得ました。先生が直入町にお見えになり、楽しみにざれていた炭酸泉の温泉に入った時、全身を銀色の泡が包んでくれる優しさに、相当なカルチャーショックを受けられたようです。そして、当社の 「ラムネ温泉館」 の設計をお引き受けいただいたわけです。
 昨年、この建物に12万人の利用者が駆けつけてくれました。働いているのは、館長である私の24歳の次男坊と、彼を含めて20代が3人で、その他、おばちゃん、おいちゃんたちが手伝ってくれるという、たいへん簡単なものです。しかし、その志の高さ、藤森先生の感性の素晴らしさ、文化的な財産の結集が、この秋、イタリアのベネチア・ビエンナーレ世界建築展に出展されることが決定しました。
 人口わずか2850人のまちに、御前湯という日本建築大賞を受賞した富田玲子さんの建物が建ち、そして今をときめく藤森照信さんの作品が息づいていく。50年、100年の経年変化を楽しみながら、その時にどういう志が、このまちに結集されたのか、どんな夢が語り継がれていこうとしているのか…ということに思いを寄せてみる時、私はお金の力では決して手に入れることのできない、とても重要なものがこのまちに授けられていることに、誇りさえ感じるのです。これからも、二世代、三世代と私たちが経験したような感動を求めて、新たな挑戦をしてくれることでしょう。そのエネルギーこそが、まさに人を引きつける魅力ある地域戦略を生み出していくのではないかと思っています。

道州制の導入・地方交付税の減額
    地方に負担を押し付けてはならない

安倍首相は9月29日の所信表明演説の中で、「地方の行財政改革を進め、自治体の再建に向けた地方の自立を求めていく」とした上で、「道州制 の本格的な導入に向けたビジョンの策定など、行政全体の新たなグランド デザインを描いていく」姿勢を明確にした。 しかし、その一方で、財務省諮問機関である財政制度等審議会は、11月10日に、『地方交付税を減額』、『道路特定財源は一般財源化』すべしとの素案を提示した。

基礎自治体をまず強化させること

 道州制導入についての議論は様々であるが、まず、ある経済界の意見を紹介する。
 それは、『道州制が目指すのは地域主権の確立であり、単に都道府県を広域の道や州に再編することではない。その本旨は基礎自治体の強化でなければならない』とするものであり、『生活行政を担う地域行政は住民に最も近い基礎自治体の権限とし、その範囲だけでは解決のできない課題のみを広域行政、つまり道や州に委託するものでなければならない』というものだ。
 ここで言う基礎自治体とは、市町村レベルのことであり、こうした仕組みを適用することにより市町村が権限と財源を確保し、地域主権の独自行政が実現する、という論旨である。
 そして、基礎自治体を財政的にも自立可能にするには、人口30万人から朝万人規模の市にまとめあげるべきであり、そうすることで基礎自治体は全国で300程度に再編できるとする。
 この手法が実現すれば、一定の人口を確保でき財政力が高まり、高齢者福祉などの社会保障サービスや学校教育、消防や警察などの生活行政のほとんどを自治体が自らの責任で 負うことができるとしている。
 さて、ここで唱えられている、道州制が目指すべき原点は 「基礎自治体の強化」 であるとする考え方は大いに共鳴できる。地域住民の生活に直結する市町村の体力強化が一番の課題だと思うからである。
キーワードは政策連合
ところが、与えられた権限を行使する、そのための財政的体力や地域の再生、活性化を実現するための財源はどこにあるのか。  これまでの日本の行政は国から県、そして市町村という縦割りの弊害の中にあった。道州制を導入しようとするのであれば、それらの事務分掌を『それぞれの任務を果たす』 ことを視点として考え直し、地方自立のための財政環境を整えるべきである。  この経済界幹部は、自分の身の回り、つまり首都圏や経済基盤の磐石な地域の視点で道州制を説いてはいないか。なぜなら、社会保障サービスや消防防災業務など生活行政のほ とんどを自治体自らの責任で全うできるには、相当な財源が必要であることの実態が見えていないように思えるからである。  それに、人口30万人から40万人規模でまとめあげればいいと言うが、あらゆる社会環境の整備が充実した地域ならいざ知らず、少子高齢化、そして過疎化に悩む地域を包含する ことになる自治体は、机上論で完結するほど抱える課題は小さくない。  道や州がこの弱点をどうカバーしながら、その役割を果たしていけるのか。日本列島津々浦々に培われてきた歴史や文化、風土といった個性が尊重され、その上で、基礎自治体の強化のための具体的戦略が示されない限り、道州制の導入は、市町村合併以上の消化不良を引き起こすのではないか。私はそう危倶しているところである。  いま重要視されるべきは自立可能な財政運動の推進であり、政策論争ではないか。道州制の核は、『政策連合』がキーワードであると私は考えている。

随想 心の闇を照らす

 人間心理はとかく複雑で、シベリアの森のように静かで重たいものが潜んでいるものだ。  ある女優さんがテレビで話しているのを聞いた。「女っていうものは、底が知れているものよ。たとえば、姉妹のように仲の良い二人組みがいるとするでしょ。二人の仲を裂くのは簡単。どちらでもいいから、一方の女性をとことん褒めてあげるの。
二人が揃っていない時、陰でとことん褒めるの。どうなると思う。たいていはもう一人の女性がこう言うのよ」 と、「あなたはそう褒めるけど、彼女は一筋縄じゃいかないよ。とんでもない一面を持っているんだもの」と必ず一方の女性の欠点を話し始めるというのだ。
一緒にテレビを見ていた女性たちも、「恥ずかしいけど、本心を突かれた気分だわね」 と苦笑いしていたのを思い出す。
 これは何も男とか女とか、そんな次元ではなく、人間が等しく持っている『闇』でもあろう。醜いとわかっているその闇を自ら理性の光で照らしていくのが 「魂を鍛える、浄化させる」 ということかもしれない。

 自分に巣食った最初の闇はこうだった。私は同級生らとともに小学校4年生から剣道を習い始めた。そして、小学校を卒業するまでに一級に合格したのは、3人だけ。私と、そしてごく近所に住む竹馬の友だった。
 そのうちの一人は中学校でバスケット部へ、私とT君はともに剣道部に入部した。そして、夏場の昇段試験。 一年生で初段に挑戦するのは例のないことだったが、私と彼だけはそれを許された。そして、その結果、T君は開校以来初の一年生初段となったのである。
 実力の差は認めてはい るものの、うぶな感情は悔しさで一杯だった。すると、帰宅した父親は私にこう促した。「快挙だな。小さいときから一緒に育った友だちだ。これを持ってお祝いに行ってきなさい」。
 私は悔しさを隠しながら彼の家の戸を開けた。そこに満ち溢れていた明るさはいまでもはっきりと記憶に残る。「勝ちゃん、すんません。わざわざありがとう。」 おばあちゃんも、ご両親も、そしてT君も本当にうれしそうに私を迎えてくれた。 「人の喜びを共に喜んであげるということは、こんなにも気持ちのいいことなのか。」経験したことのない異質な喜びのせいか、知らずのうち目は涙で一杯になった。
 歩きながら見上げた月が、あれほどに美しく感じられたことはいまだにない。私に巣食った最初の闇を照らしてくれたのは、口数少ない父親の教えだった。
 あれから40年。ふるさとに寄せる身も家もなくなったT君は、それでも毎年一回、家族をともなって私の家に帰ってきてくれる。

歴史や文化をただの過去にしない責務

この夏は東北との縁が広がった。岩手県の小岩井農場、宮城県の鳴子温泉郷、そして山形県の酒井市。宮城県では村井知事との対談もさせていただいた。おまけに、長年の夢だった宮沢賢治記念館を訪れることができた。記念館は、花巻空港からほど近い森の中に静かに佇んでいた。
 宮沢賢治のことに関しては、私よりも長男や次女の方が興味を寄せているようなのだが、私の記憶に残るのは、小学校の教科書にあった小さな物語と、友人の事務室に張ってあった『銀河鉄道の夜』の書き出し原稿のことくらい。「これ、賢治の直筆原稿なの」と聴いて恥をかいたのを思い出す。それでも最近は、世の中、特に農村・農業のあり方や食に対するあるべき姿勢が問いただされていたり、長男が真顔で「おれの尊敬するのは宮沢賢治だ」と言い出したりするもので、あらためて賢治の世界を覗いてみたい気になっていたのである。
 管内を一回りしてイスに腰を下ろしたその瞬間、目に飛び込んできたのは、かって恥をかかされた直筆原稿。いや、もちろん工芸品、つまりコピーの類なのであるが、これが絶妙な技法で再現され販売されているのである。「長男を驚かせてやろう」、そう思って手にしたのは、かの『銀河鉄道の夜』と、『雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ』を綴った手帳の復刻版などであった。手帳はその鉛筆差しの穴に丸めて押し込んでいた紙切れまでがそのままに復元されていた。
 製作者の志は高い。これらの複製を手にした人々に、賢治の精神が伝わりますように、そして賢治の息遣いや生き様を感じ取っていただけますようにと、そんな熱意で取り組んだに相違ない。すべての工芸品に、賢治を慕ってくれる未来の人々にためにという思いが感じられた。
 ひるがえって。新生の竹田市には田能村竹田先生をはじめとする南画家の作品、さらには久住高原や長湯温泉、白水の滝を訪れ愛でた文人墨客らの遺墨も少なくない。しかし、ややもすると、それら先人たちの作品群を世に知らしめようとするよりも、懐に隠し持つのを美徳とする風潮も見えなくもない。個人の好みで愛蔵しているものを無理にあからさまにと、そう言っているのではない。地域の歴史や文化を物語るもの、地域のあるべき未来の指針となるような資料の類は、もっとオープンであっていいと感じるのである。
 そういう姿勢のない地域に、過去の歴史を誇り、地域を深く学ぼうとする潮流を生み出すことができようか。
 幸いにして、私は合併ののち、旧竹田市のU家やO家、加えて某寺に保存されている歴史資料や先祖伝来の品々を数多く見せていただいた。皆さん総じて親しみ深く、視察にとても好意的であった。
 新生竹田市に一番大切なもの、それは『地域学』かもしれない。
掘り起こされることなく、また一般的に知らされていない貴重な歴史が山のようにあるということを、いまを生きる私たちがまず謙虚に受け止めるべきだろう。
 「文化や歴史は立ち止まったら、ただの過去になってしまう。いまに働きかけてこそ、その意義が生きてくる。」そう話した歴史小説の大家、吉川英治先生の言葉が胸をよぎる。

他人に支配されていた人生

ドイツにあるバーデンバーデンは、温泉地としても有名だが、歴史的景観もヨーロッパ屈指、さらにカジノやオペラハウス、美術館など文化的施設も充実した町である。世界中から質の高い観光客が訪れることでも知られるが、女性市長のラングさんは、「それでも、水面下では悪徳経済人との闘いの日々です」と打ち明けてくれた。
 悪徳の人々の攻撃はこのようだとラング市長は話した。『キリスト海を渡る、という話があります。
 キリストが海の上を歩いて対岸に渡りきる奇跡の姿を見て、衆人を操ろうとする悪人たちは何と言ったか。「見ろ、あやつは、海を泳いでは渡れないのだ」と。次元の違いすぎた逸話でしょ』。「そんなことに似た社会が、いまの世の中にも存在するのです。正しいこととわかりながらも、自分の利益にならなければ執拗に反対し、邪魔をするのですから。このバーデンバーデンにだってあるのですよ」と市長は教えてくれた。
  そして。最後にこう付け加えた。「自分の利益や妬み、やっかみで、私を含めた市民たちを攻め続ける人たちは、悲しいですよね。だって、結局は私たちだけを視野に入れて、何とか苦しめようとか、邪魔をしてやろうと思っているのでしょ。でも、私たちはそんな下劣な行為は無視して、みんなで明るい未来を夢見て正道を歩んでいくのですから。」 「気がついてみると、妬んだり、やっかんだりしている人たちは、その対象の人の人生に支配されているということ。何年経っても、発想に前進はないし、むなしい時間に絡め取られているだけなんですからね」と結んだ。
 洋の東西を問わず、教訓にあふれる言葉である。

田んぼと川に託した夢の続き

 中学生の頃、父親の勧めで竹田市内の英語塾に通った経験がある。バスの中で過ごす時間がもったいないからと、本読みを試みたりするのだが、当時の赤岩線や綿田線はでこぼこ道で、蛇行する狭い馬車道そのままだったから、とたんに車酔いしてしまう。仕方がないので、車窓の景色を楽しみながら時間を過ごす。
 四季折々に映し出される当時の景色はいまでも懐かしく思い出すことができるのだが、今と変わらぬ光景に出くわすこともたびたびだが、皮肉なことにそれは田んぼの倒された稲の姿だ。昔と同様のむなしい気持ちにさせられる。「どんなに風が吹いても稲が倒れない方策はないものか。部分的でもいいから、竹を打ち込みナイロン糸を張り巡らせたらどうか。
 風の強い場所がいつも一定しているのなら、相当に効果があるはずだ」。品質を害することなく、収量も多く、刈り取りも楽ならば、やってみる価値はあるはずだと、そう思った40年前も、そしていまも本気なのだが、だれかが試したという話も聞かないから効果はないのか。たとえあるとしても、低価格なら゛骨折り損のくたびれ儲け゛がいいとこなのだろうか。
 小学生の頃、偶然に釣り上げたエノハの美しさに、「大人になったら、芹川を幻の魚がたくさん棲む川にしたい」とそう思った夢は、社会人になってすぐに、仲間とともに実現させることができた。
 子供の頃、思い描いていたにもかかわらず、いまだ実現していない夢があったら、思い出してみることだ。今なら実現できるかもしれない。そこには、社会に貢献できる純粋な世界が潜んでいるような気がする。

感性の受け皿で決まるイベントと視察力

昔、テレビで連想ゲームというのがあった。壇ふみさんが活躍していた番組だ。そんな懐かしいことを思い出させたのは、愚息だった。私が好みのきゅうりの漬物を食べるのを見て、「きゅうりのにおいはカブトムシを連想させる」というのだ。
 ひな鳥は最初に目にしたものを親と思うというが、長男にとって最初にきゅうりを目にしたのは、虫かごの中だったのかも。刷り込みされたと思うがいいか、人間離れした発想力を有しているというか。不安に包まれた一瞬だった。
  同じものを見ても、感性のあるなし、発想力のあるなしで、実はまったく違うものとして捉えられているケースも多いということに気づく。所詮は、どんな受け皿を持ち合わせているかが勝負なのである。 イベントのセンスや視察の効果なども、おなじような次元。 先進地の施設を見て、「こんなものを作れば成功するんだな」と短絡に思い込んでしまう人。

「どうして、このような施設を作り出せたのか。自分たちにふさわしいものを吸収できるとしたら、どこにポイントがあるのだろう」と思いをその背景にもめぐらせてみる人。
  受け皿を持ち合わせていない人たちの意見に従うのは怖い。悪気ではないだけに、始末が悪い。
 世界に通じる感性とストーリー性。その基盤の上にこそ、経済力も後を追ってついてくる。

子牛市場の統廃合に思う

 総論賛成、各論反対のゆくえをどう判断するべきか

 先日、竹田地区の畜産振興会の役員さんが事務所を訪ねてくれた。いま豊肥地区の畜産関係者の間で、子牛市場の統廃合が大きな波紋を広げているのである。
 先の定例県議会で、私は、「畜産はいま、やらなければならない県政最重要課題のひとつ」として、哺乳ロボットの導入や低コスト畜舎の補助枠拡大を訴えた。そして、広瀬知事は、畜産の重要性を認識しながら、子牛市場の統合問題に触れた。「これまで検討課題となりながら、果たせなかった市場統合を強い決意で実行していく」と。
 現実味を帯びてきた市場統合問題を取り上げたい。
 現在、県下には豊肥、玖珠、大分、県北の4市場がある。豊肥と玖珠は大分県を代表する畜産基地であり、農家数も飼育頭数も多い。だから、もし統合をするとすれば、まず4箇所から2箇所へという声が大半であり、他の市場関係者もやむなしというのが総論のひとつ。もうひとつの総論は、高齢化が進み、ここ10年で間違いなく規模の小さな、高齢者の営む畜産農家は激減し、意欲のある生産者に集約されてくるであろう。そうなれば、10年先を読んで、県下1市場にするべきである。そうなると、各月出荷が可能であり、購買者も多く集まるので高値安定が大いに期待できるというものである。
 現実的に考えると、市場統合をするならば、1箇所にすべての施設機能を完備させたものを建設するべきあり、そして、場所は県下各地から平等な距離にあり、冬場の運搬にも不安のない地域、その上高速道路も利用できる地域であれば理想的であろう。しかし、ここにも不安材料がないわけではない。「県下の畜産農家の7割が高齢者による小規模経営なのです。規模拡大のできる若い世代の要求は理解できるけれど、一足飛びに1箇所に統合してしまうと、これら高齢の畜産農家がやめてしまうのではないか」。市場統合が一時的とは言え、畜産農家の激減を招くと危惧する声も多いのだ。
 現場の声を聞き、政治がリードしなければならない政策を打ち出すとするならば、私の方向はこうだ。
『まず市場は4から2へ統合。これで生産者も購買者もどのような変化が現れるのか、しっかりと把握する。高齢の畜産農家の離脱は自然現象として進むであろう。だとすれば、ここ5年を臨界期と見据えて、県も1市場を視野に入れ、5年後に10億円規模の機能万全の施設を建設する準備にかかる。集約化を望む若手経営者はその時に備えてあらゆる分野での基礎体力をつけていく。県もその意欲を支援して、1市場体制に備える』というものである。
改革というのは、何もかも切り捨ててがむしゃらに突進すべきものではない。小規模の、そして高齢化している畜産農家の現場を無視していいわけはない。しかし、そこにいつまでも留まっておくか。答えは否だ。一方で、将来のあり方、時代の先を読み取る力は強く意識していかねばならないだろうと思う。
9月の定例会までに、関係者の声を十分にお聞きしておきたい。
大局観を失わず、正しい未来へ導くべく議会で真剣な議論をしたいからである。蛇足ながら、市場に深くからむ全農の存在意義もこの機会に十分議論していくつもりだ。

学校の統廃合問題

事務所での議論を終えて、ふと脳裏をよぎるものがあった。 それは、学校の統廃合問題である。管内を視察調査する時、私はいつもある種のむなしさを禁じえないが、その原因はこうだ。
 「小学校にしろ、中学校にしろ、新築後10年そこそこの学校がすでに閉校してしまっている現実がある」からだ。畜産農家の推移は高齢化だけでは読み取れないが、学校に入学してくるこどもたちの数はほぼ確実に読み取ることができる。大企業が進出するとか、大きな施設が完成するとか、画期的な変化があるなら別であるが、1年間に生まれたこどもの数は、ほぼ入学する数と一致するわけだから、先は十分に読み取れる。10年先もほぼ完璧に読み取れるはずである。
 10年間にわたって、1クラスの人数、全校の生徒数の推移は把握できるのに、つまり、10年そこそこで廃校にならざるをえないというのは、だれもが認識できるはずなのに、どうして何億円もの投資をして学校を新築するのか。
当時の関係者に本音を聞いてみるとこうだ。「理屈はそうなんでしょうが」と前置きしながら、「過疎の地域に生まれたこどもたちの教育環境は貧しくてもいいと言うのか。人数が少なくても、都会のこどもたちに負けない環境で勉強させてやりたいではないか」、そんな一般論に押し切られたというのである。こどもの教育と言われれば、だれも反対できないというジレンマの中で新築作業は進んでいくのである。首長の迷いも、現実を厳しく見つめる人々の視点も、まさに五里霧中となるのである。そして、10年後、ある意味、予測どおりに学校はきれいなままで廃校になる。
わかっているのに。だから、なおさらむなしいのである。 統廃合されても、さらにすばらしい環境をこどもたちに残してやりたいと、どうしてそう考えなかったのか。新築できるお金があれば、複式学級にしなくていいように教師の確保に予算を基金化させるとか、統合を視野に入れた通学バスの運行拡大のための基金づくりを実践するとか。厳しい東北地方では、これら戦略の先例はいくつもあるのだ。
情に棹差して、流されてもいいと思うこともある。いや、ひとりで逆流に向かうくらいなら、いっそ流されたいと弱気になることだってある。しかし、しっかりと捉えておかなければならないのは、流されてしまうのは、自分ひとりではなく、地域全体であり、さらに「いま」だけではなく、「未来」も道連れにしてしまうということだ。それでも、敢えて棹差さずして、流されるか。否である。 ここにこそ、大局観をもった政治決断が求められると、私はそう確信している。

全県で1農協というのは、現実的か

大切なのは、地域農業の総合商社としての力量

 農協合併が唱えられている。全県下を一つの農協に纏め上げていこうとする方向であるが、市町村合併や、これまで達成された農協合併のその後を十分に検証してみる必要がある。私はそう言い切りたい思いで一杯である。
 自治体も農協も体質的に課題にしなければならないのは、その経営力は言うに及ばず、トップや幹部職員の理念が確立されているかにある。「農業者のために結成された農協は、その原点がぶれてはいないか」、「時代の潮流を先読みして、本当に大切な自己改革を展開してきたか」に厳しい指摘が集中していると感じるからだ。
 戦後、荒廃した農村の復興をかけて農協は農家のための総合商社として、生産基盤の確立、生産技術の向上、そして流通販売の促進を3本柱にして、金融や共済事業にも経営の枠を拡大していった。 3本柱のうち、前2者は行政も人的・経済的な支援を強化していき、農家も懸命な努力を重ねてきた。その結果、生産基盤は飛躍的に充実し、生産技術も世界のトップクラスにある。

 しかし、農家が農協にすべての信頼をかけて委ねた流通販売の促進はどうか。市場の動向、消費者の嗜好変化など、最低5年サイクル、できれば毎年、いや毎日検証しても十分過ぎるということがないこの分野での取り組みは果たしてどうだったろう。いま、この課題が急浮上しているのである。
 そのきっかけは、直販店の健闘ぶりである。そして、合併をしなくても十分に全国のトップレベルの経営を維持している単一農協のあることである。直販店の状況は機会あるごとに紹介してきたが、ここでは単一農協として全国にその名を馳せる『大山町農協』の実際にふれてみる。

 この盆休みに、20年来の友人である大山町農協の矢幡欣二組合長と専務の矢幡正剛氏が訪ねてくれた。あらためて、私たちの直面している課題が見えてくるのである。
 いま、大山町農協が経営する直販店は全部で6店舗。福岡2、別府が1、大分がわさだと明野で2、そして地元大山に1である。

 直営のレストランも3店舗。福岡、大山、そして紀伊国屋が進出した明野にも構えた。売り上げは、直販店が・億円、レストランが・億円。矢幡組合長はこう話す。「私たちの軸足は農家にある、当たり前のことですが。ですから、農家の皆さんが生産したものをどれだけ高く売ってあげるかに懸命です。私たちのいただく手数料はわずかに2パーセントなんですよ」。耳を疑った。直販店も含めて、たいていの手数料は5、6パーセントではないのか。組合長が教えてくれる。「うちは全農(経済連)との取引が0。普通は、農協が4パーセントに全農のペーパーマージンが2パーセントで6パーセントほどでしょうが」。話は続く。「たとえば、首藤さんの地元の荻町のトマト。有名ですよね。年間の売り上げが15億円だとすると、農協の取り分が6千万円、全農が3千万円になりますね。大山なら、農協が3千万円だけですから。残りの6千万円は農家の皆さんの手取りに回るということです」。

 なぜ、そうなるのか。大山は長年にわたってブランド力を高めてきた。市場関係者がいつも大山の動向を気にしてくれる。市場から選ばれるのではなく、大山が市場を選ぶのだ。だから、一番高く取引してくれる市場に出荷する。手数料が2パーセントでも、総売り上げが同じ量で他の農協よりも4パーセント以上高ければ、農協の手取りはむしろ多いことになる。農家に喜んでもらい、自らもしっかりと儲けさせてもらう。
 大分県がひとつの農協にと動く中、大山のこの戦略をどう見るか。  「首藤さん、私たちはこのままで独立したいと考えるのですが」。矢幡組合長は決意を聞かせてくれた。私は賛成した。みんなで肩を寄せ合って経営力の不足をカバーできるほど甘い世界ではない。
  合併の前に十分認識しておかなければならないことがあるはずだ。そして、実践しておかねばならないことも・・・。
  私は知っている。矢幡専務は、トキハの地下の食品売り場、福岡の大型デパートはもちろん、先例を聞きつければ全国どこにでも、まさに神出鬼没の人であるということを。 こんなプロ中のプロを育て上げなければという認識が、合併議論の中でどれほど交わされているか。ここが抜けると、取り返しのつかない事態に陥るということを知らなければならない。

大蘇ダムが完成

これからが勝負どころ

 長年の念願であった大蘇ダムがいよいよ完成にこぎつけた。30年の歳月は重かったけれど、あっという間に過ぎ去った。当たり前のことではあるが、当時40歳前後のバリバリの働き盛りも、いまは70歳になった。そんな一人の農業者が話す。「気がつくと自分の体力の衰えは言うに及ばず、将来を託すはずだった後継者も、すでに自分とは違う道を歩んでいる」と。  だからこそ。ここからが勝負なのだと思う。大分県は強力な営農指導に乗り出すべく体制を整えたが、その一方で、未来を見据えたテーマの設定も忘れてはならない。農業関係企業の誘致である。夢にまで見た理想の耕地が手に入るものの、自分たちの力だけでは及ばないものがあるとすれば、英知を結集して他の道を探ることも大切だろう。

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アメリカのある自治体の戦略

『テーマを決める』ことの意味を的確に示した好事例がアメリカにある。人口わずか6000人の町は何をやったか。教育水準を驚異的に高めたのである。すると、高所得者が次々に移り住む、当然、家の需要が増える。自治体は固定資産税を確保して財源を増やした。 学校に限らず、高齢化にかかわる施設や医療を充実させるなどテーマとなりうるものは、いくらでもある。
 そして、そのテーマが地域の特異性に結びつくものであれば理想だろう。
 もう詳しく言い及ぶこともあるまい。大蘇ダムによってもたらされる資源に、どんなテーマで臨むのか。アメリカの例を持ち出すまでもない。企業が誘致できれば、工場や住居の需要が増える。道路整備も必然だろう。人口が増えれば少子化や学校の統廃合も防げるではないか。学校を存続できない、公共事業がないと愚痴をこぼす前に、みんなで企業誘致に取り組むことが先決だ。
 条件の厳しい東北では、自治体に企業誘致班がある。東京の事務所と一緒になって懸命な企業誘致戦略を展開しているのだ。静岡県の長泉町など、国内にも先進事例はたくさんある。地域行政の最大課題ではなかろうか。
 自治体が必死に立ち上がれば、県も国も見捨てはしない。

温泉博士が導いてくれた角界とのご縁

関取の白鵬が大関に昇進し、そして優勝を遂げたことの祝賀会が東京プリンスホテルで開かれた。白鵬はもちろんのこと、白鵬の育ての親である熊ヶ谷親方、そして所属の宮城部屋親方らとも懇談させていただいた。ご両親ともお話できたのは幸運だったが、そのことの一部を県政だよりに紹介させていただいた。

多くの読者から、どうして大関に直接会えたのかという問い合わせが寄せられた。
 種明かしをするとこうである。長湯温泉が先般、九州で初めて「源泉かけ流し」宣言をした。その指導をしてくれたのは、いま日本で一番有名な温泉博士である札幌国際大学の松田忠徳教授だ。
 その松田教授、本来はモンゴル文学の大家なのである。その縁あってか、奥様はモンゴルの文部大臣の娘さん。白鵬も母国がモンゴルということで、大変に親しい間柄なのである。5月に長湯を訪れた松田先生から、「白鵬は性格がいい。間違いなく横綱になるだろうけれど、腰に少し故障がある。本人は温泉で治療したいと言っているから長湯に誘ったら」と提言をいただいた。
そこで、伊藤前町長や佐藤観光協会長らが夢を生み出そうと行動に乗り出したのが今回の祝賀パーティー参加のいきさつである。
 11月の九州場所後、晴れて長湯温泉訪問が実現をすれば、温泉地はまた元気づく。そして、そのことをきっかけにして、白鵬饅頭や横綱の湯なんぞというストーリーを生み出せるかもしれない。
 楽しさは広がるばかりである。
それにしても、温泉でご縁をいただいた松田先生との人脈が角界にまで広がるとは。人脈は目に見えない大きな財産を授けてくれる。

 写真中央が松田忠徳教授ご夫妻


ドイツのアメルンク総領事が市民と交流

7月20日、ドイツ総領事館の赤松書記官の案内でアメルンク総領事が長湯温泉、そして市役所を訪問した。直入とバートクロチィンゲン市との交流の歴史や御前湯、飲泉場などを視察し、夕食懇談会では、過疎化の問題や女性の社会進出、さらには温泉療養の現状などについて活発な意見交換会がなされた。余興では、久住の渡辺重伸・ハツ子さんの民謡や竹田の加藤典子先生の歌などを楽しまれた。同席した牧市長の歌声もなかなかのものだった。

 直入の国際交流はもう18年になるが、大切なのは形而化しないこと。いつも新鮮で、感動ある心の交流が次のエネルギーを生み出すということを忘れてはならないと思う。
合併前、私は交流のある作家の赤瀬川隼先生や高田宏先生、建築家の富田玲子先生や藤森照信先生らを城下町竹田にご案内したこともあった。

 割烹で、竹田ならではの頭料理を自慢し、直入ラベルのドイツワインで祝杯を上げた。
みんな、竹田のファンになって、小説やコラムに貴重な情報を発信してくれた。ことに、高田宏先生がコラムで紹介した自作の句は素晴らしかった。
『薪能 稀有なる刻(とき)へ 旅をする』 頭の言い出しが、「た・け・た」となるのだ。貴重な自筆が市内に3枚残された。
 このような、日常のささやかな人間交流が生み出す力のことにも目を向けてみたいものだ。
お金がない時代だからこそ、その重要性がはっきりとわかるであろう。
蛇足ながら、加藤典子先生をはじめ、多くの音楽関係の知人からの勧めもあって、いま私たちは、チェンバロの購入を目論んでいる。

 かのバートクロチィンゲン市の教会でその音色と風格に魅了されて以来の夢だった。
黒い森の雰囲気が漂うくじゅう高原に向けて、そして瀧廉太郎先生の面影を偲びつつ、チェンバロの演奏会を楽しめたら、どんなにすばらしいだろう。また新しい夢がひとつ産み落とされた。

阿蘇くじゅう十字路会議

「ぐるっとくじゅう周遊道路」が認定されて、道路整備や案内板などが飛躍的に充実している。久住・直入・庄内・九重と、新生竹田市のうち、2地区が参加し、YOU花の会など住民に手による道路空間の整備も魅力的だ。国土交通省が提唱しているシーニック・バイウェイ構想、つまり日本風景街道の創造というテーマが掲げられ始めたが、ぐるっとくじゅう周遊道路は、その先駆的事例としての評価も高い。

 先日、このシーニック・バイウェイ構想のからみもあり、国道442号線とやまなみハイウェイとの交差点の交通渋滞緩和対策をも見据えた懇談会を行った。その名も、『阿蘇くじゅう十字路会議』。(格好いいネーミングでしょ。)
 出席者は熊本県側が佐藤雅司県議会議員、(財)阿蘇地域振興デザインセンターの坂元英俊事務局長、そしてあの黒川温泉を率いる南小国の河津町長、さらに、知る人ぞ知るカドリー・ドミニオン(熊牧場)の小笠原社長。大分県側は県庁道路課の遠藤課長、レゾネイトくじゅうの原田社長ほかと私である。



 河津町長は国道442号整備促進期成会の会長でもあり、この交差点での交通渋滞緩和には一層の関心を示しておられた。地元の佐藤先生も地域からの声が大きくなっていることを実感しておられ、早期の打開策をと、熊本県議会でも一般質問していただいたようである。政治と行政と地元という、三位一体の連絡会議が、これから立ち上がるであろうシーニック・バイウェイ構想に対し、提言のできる組織として存在することの意義は大きい。

 ところで、坂元事務局長が会議ののち3日ほど経って、事務所を訪れてくれた。彼の話を紙面の許す限りで、紹介する。
 「阿蘇市と阿蘇郡の地域戦略はまったく異なります。私たちの財団は細川さんが知事だった時代に、小国町(宮崎町長さん)ら当時の12郡と熊本県とがそれぞれに15億円ずつを出資、30億円で結成したものです。阿蘇市は内牧温泉に代表されるように、肌合いとしては別府温泉の雰囲気に近いわけで、一方、わが阿蘇郡は農村と観光、つまりツーリズムの拠点づくりを目指してきました。ですから、阿蘇くじゅうの連携はイメージを豊かに膨らませてくれるんです」。

 そう言えば、阿蘇市と別府市が何とかいう提携をしたという新聞記事があったのを思い出す。
話は核心に及ぶ。「あと5年ほどで、熊本新幹線が完成します。熊本駅からどのようにして誘客するか。イベントを乱射することでしょうか。私たちは、もっと地に足つけた戦略を築いてきました。  日常的に魅力を感じてもらえる地域づくりが何より先行しなければならないということです」。
坂元さんが手にしている雑誌はそれを証明するかのように、魅力的な場所、人、食が盛りだくさん。住んでいる人たちの自信と誇りが感じられる。

 「新幹線が通るからとか、道が通るから地域は発展するなんて考えていたら、それは大間違い。町そのものに魅力がなければ人は足を止めてはくれませんよ」。そして、手厳しい話が続いた。
 「イベントやっても、人が来るのはその期間だけでしょ。旅行社と組んでも、泊まる所がなければ圏外に流れてしまう。儲かるのは旅行社だけ。いいところばかり食べられて、イベントに頑張った人たちの汗と努力は消えてしまうのですか」。

 イベントの効果はそれなりに大きいと思うのだけれど、坂元さんが指摘するように、日常的な受け皿づくりができていなければ消化不良になるという言葉も胸に刺さる。手厳しいなあ。

 さて。これから秋に向けて、薪能や、くじゅう高原の花火大会や竹楽などが目白押し。楽しみだ。ただ、にぎわいそのものだけでなく、そのにぎわいが生み出してくれるものにも目を向ければ、大切なものが見えるのかもしれない。

蟻台上に餓えて月高し

作家横光利一は1898年に福島県に生まれ、1947年、50歳を目前にしてこの世を去った。
弔辞を捧げたのは、かの川端康成、デスマスクをスケッチしたのは岡本太郎。交友範囲は広く、菊池寛や井伏鱒二ら文壇の重鎮は言うに及ばず、画家の梅原龍三郎、佐野繁次郎らも横光のまわりに集まった。「徳の人だった」と文壇仲間の中山義秀は横光を称えた。
その中山の作品に『台上の月』があるが、その冒頭に引用されているのが、横光の『蟻台上に餓えて月高し』である。
 小さな蟻と静かゆえにその存在感が冴え渡る秋の月を対比させた横光のするどい感性に、文壇のだれもが舌を巻いた。 その直筆と対峙していると、セカセカと徒労の揚句に疲れ果てた蟻と、餓えて意識朦朧としたその視線のはるか先に、偉大なる落ち着きを漂わせて輝く月の存在が、どこにでもありそうな人生の対比と重なって、時に神妙にもなり、また時に超越したような気分にもなる。

わかば公社『道の駅』10周年に思う

先般、城原地区にある道の駅10周年の記念式典が行われた。最近、私は時間に余裕があると久住線を下り竹田市に向かうようにしている。それは、この城原地区のある道の駅を覗くのが楽しみだからだ。
もちろん、家の近くにある温泉市場にもよく出かけるが、土地土地の特色があって興味をそそられるのである。長湯にはなくて、城原にあるものを見つけるのが楽しいのだ。

 家の事情もあり、自炊生活を余儀なくされるのも、却って学生時代に戻れたようで結構楽しいのであるが、自分好みの食材に出会うと、恥ずかしながら口の中は水びたし。さすがに、イヒヒッとは発しないけれど、手をこすりながら近寄って、買い物籠はすぐに満杯になる。

 帰宅して厨房の職人さんに見せると、「どこにあったんですか。こんな珍しいものが」なんて素直に驚いてくれるから、こちらも素直に秘密の場所を耳打ちしてあげるのだ。すると、彼らもいつの間にか城原の駅のファンになっていて、「最近よく料理人の方を見かけますよ」とレジの女性がうれしそうに教えてくれるのである。

 直販の楽しさというのは、こんなところに潜んでいるに違いない。 つい最近、宮城県にある日本一の道の駅と言われる『あ・ら・伊達』というお店に案内された。
 店長は合併前の市長さん。1店だけで年間売り上げが10億円を越えるというのだが、店長が耳元で伝えてくれた『直販店が超えるべき5つの壁』の秘訣。
 いつか、紙面の許すときに、皆さんにも公開します。ただし、すぐに聞きたいという人があれば、電話でも直接でもお教えします。2点ぐらいはすぐに。きっと、目から鱗が落ちますよ。

知的財産の誘致

林の中の小さな図書館

学部は異なるけれど、同志社大学の大先輩(といっても、私は卒業を逸しているから正式には先輩と呼べないかも)に、辻野功という大学教授がいる。

 いまは別府大学に、その前は日本文理大学に在籍。大分では、テレビでの露出度も高いから、お会いすれば「ああ、この先生か」と気づく方も多いかもしれない。著書も20数冊を数えるが、その主なものに、『大分学・大分楽』(2003年刊)、『ホームステイはイギリスで』(1994年刊)、『日本はどんな国か』(1993年刊)、『世界紛争地図』(1985年刊)、などがある。

 先生とは、NHKのニュースコメンテーターでご一緒して以来のお付き合いだが、その博学ぶりにはいつも閉口する。ジャンルも広いし、大分のことも私たち以上にお詳しい。地元大分はもちろんのこと、首都圏に招かれての講演活動も活発だ。大分の情報が先生の口からほとばしって全国に広がっているという構図なのだ。

 さて。その辻野先生は大の竹田ファン。奥様も温泉大好き人間なのだ。吉田松陰先生開設の松下村塾や広瀬淡窓先生の咸宜園ように、全国の若者が集う学舎が竹田に開設できればと、夢のようなことを考えていたら、矢も立てもたまらず、いつの間にか「先生、終の棲家を長湯にというのは、どうですか」。
 自分でもあきれ果ててしまうほどの厚顔ぶりで電話口にいた。もう取り返しがつかないぞ、と自責の念に包まれていたら、「首藤さん、信じていいんですか。家内も大賛成ですよ」と、うれしそうにはしゃいでいる。これで完の璧。
 長年の夢であった『林の中の小さな図書館』構想は、こうして現実味を帯びていくのだった。

福 祉

福祉の原点@ ホスピスの精神性

最近、統合で廃校になった学校施設などを地域の福祉施設として活用したいと申し出てくるNPO法人や地域コミュニティー組織が少なくない。少子・高齢化、そして過疎化に悩む地域社会に貢献したいと願う気持ちには頭の下がる思いがする。国や県、さらには地方自治体で対応できなくなった福祉事業を住民自らの手で取り組みたいとする意欲や情熱に行政はどこまで応えられるのか。重要課題のひとつである。

 福祉の精神、そう問われてすぐに頭に浮かぶことが二つある。 そのひとつは、ホスピス大分ゆふみ病院のことである。ホスピスとは、症状の進行したがん患者さんが直面する激しい痛みや息苦しさを和らげ、最後までその人らしく生きていただけるように援助する働きのことだとされる。死に直面している患者さんに接するわけで、様々な専門家が集まったチームにより懸命なケアが施されるのである。

 医は仁術から算術へと移行してしまったと揶揄する声も高まる時代、精神性の高い優れたスタッフがゆふみ病院で患者と向き合う姿を見ていると、砂漠の中で清澄な泉に出会ったような気分になる。 実は、そのゆふみ病院の創設者であり、中心的ドクターとして活躍しているのが佐藤俊介先生。私の高校時代の級友であり、ともに京都で学んだ男だ。その後、彼はアメリカに渡り、博士号を取得して中央で活躍。大分県医師会長を務めておられた吉川先生の勧めで大分に戻ってきた。眼光するどく、冷静沈着なドクターであり、命を守るということに関しては何ものには妥協はしない。
彼がなぜホスピスの開設に取り組んだか。それは一人の患者さんとともに死を見つめ合い、家族の皆さんとともに患者さんの自宅で最期を看取ったことが大きな動機になったと私は感じている。すべてが落ち着いた時、彼は悔しさの余り歯を食いしばりながら私にこう打ち明けた。「あの人の最後の願いを叶えてあげることができなかった。あの人は、もう一度だけでも桜の花の咲くのを観たかったんだ。あと一ヶ月頑張らせてあげたかった」と。 福祉のあるべき原点を思い起こさせてくれる記憶である。

福祉の原点A ある孤児院での涙

もう五年ほど前になろうか。長女の友人が別府市にあるH園という孤児院に研修に通っていた。
その娘さんの父親と私は兄弟のような付き合いをしていた。どんないきさつだったかは忘れたが、研修の中休みに田舎に帰るというので、私がその施設に娘さんを迎えに行くことになった。場所の確認をしようと彼女と打ち合わせを済ませ電話を切ろうとすると、彼女は最後にこう付け加えた。「おじさん、園内に車は駐車できるけれど、建物の見えない場所で待っていてくれますか」と。

そのことは特に気にも留めずに現場に出かけると、公道から施設の玄関まではかなりの距離がある。荷物を手にして歩いてくるのは大変だろうと、玄関の近くに車を止めて彼女を待った。しばらくして出てきた彼女は後ろを振り返りながら、どこか不安げな様子。そしていつものような明るさがない、そればかりかかなり気分を害している。
 どうしたのだろうと彼女に聞くと、彼女は明かりのもれている窓を指差して言った。「おじさん、あの窓の中が見える」。彼女が指差す窓に目を凝らすと、薄ら明かりの窓辺にいくつもの顔が見える。「おじさん、あの子たちはね、お盆だというのにだれも迎えに来てくれる人がないの。みんな孤児だから。だから私も、気持ちだけはあの子たちと同じでいようと思って過ごしていたの。」話はゆっくりと続く。「こどもたちはいまどんな気持ちで私を見ているかわかる。ああ、あの先生もやっぱりお父さんがいて、そして立派な車で家族の待っている家に帰るんだ。あの先生は帰るところがあるんだって」。
 話の途切れた隙に彼女の横顔を見ると、目に涙を一杯にためている。そうか。この子は自分も一人で重たい荷物を背負って暗闇に消えていくんだという姿を、あの孤児たちに見せたかったのか。
 なんて心根のやさしい娘なんだろう。知らなかったとはいえ、軽率にも彼女の心配りを台無しにしてしまった自分が恥ずかしかった。

 児童福祉、老人福祉。さまざまな福祉事業が求められている時代であるが、こんなすばらしい心をもった若者が育っていることに大きな感動をおぼえずにはいられなかった。すべてに通じる福祉の原点がそこにあった。

福祉の原点B 天涯孤独のおばあちゃんに光を当てた人たち

 あれは、大島千年さんの跡を継いで岩屋万一さんが町長に就任して間もない頃だった。社会福祉協議会がホームヘルパー制度をスタートさせ、日常的に高齢化社会への対応のニーズに暗中模索を繰り返しながら取り組んだ時代だ。もう20年以上も前のことになる。
 ホームヘルパーとして、清水和枝さんとともに家庭訪問を続けていた奥野節子さんが神妙な顔つきで相談に来た。「Iちゃん知ってる?」彼女が告げたおばあちゃんのことは小さな時分からよく知っている。若い頃の苦労がそのままに深いしわとなって顔に刻まれていた。それでも、いつも他人に気遣い笑顔を絶やさなかった。小柄で、足を痛めていたせいもあって杖を頼りに歩く姿は、小学生の頃の記憶とほとんど変わっていなかった。
 奥野さんの話はこうだ。「実はIちゃんは、ずっと自分は天涯孤独の身で肉親はいないと思っていたらしいの。ところが出身地の奄美大島に幼い頃別れた姉さんがまだ健在で、Iちゃんのことを探し続けていることがわかって。Iちゃんは、もう何年生きられるかわからないけど、せめて命のあるうちに一目でも姉さんの顔を見たいって言うのよ」。
 話によるとIちゃんが遠い南方の島を離れたのは10代半ば。流れ着いた長湯で、まさに身を削るようにして浮世を泳ぎ切ってきた。 先行きそう長くはないであろうIちゃんのすがるような願いに接して、奥野さんのやさしい心に行動の灯がついた。「何とかしてあげたいの」、そういう彼女の気持ちを岩屋町長にそっと伝えた。
 何日かして、奥野さんから電話が入った。「町長さんから同行の許しをいただけたわ。自費だけど一緒に行ってあげられる」。  こうして、Iちゃんは姉さんとの面会を果たした。そのときの二人の喜びの様子を奥野さんが伝えてくれたけれど、私の稚拙な筆力では感動のすべてを言い表すことはできようはずもない。 ただ、長湯に帰って自宅まで送り届けてくれた奥野さんに、Iちゃんは、いつまでも、いつまでも手を合わせ、涙を流しながらお礼を言い続けていたという。
 人生は他人にとっては些細に映ることでも、当事者にはかけがえのない大きな意味をもつことだって当然ながら、ある。そんなことの手助けができた人は、やはり幸せな自分を発見するにちがいない。

 報告方々、岩屋町長の机の引き出しに礼状を忍ばせた。Iちゃんの感謝の気持ちをどこまで伝えられたか不安のままに。  しばらくあって、町長室に目をやると、岩屋町長が入口に背を向けて、ぼんやりと窓の遠くを静かに眺めている姿があった。

編集後記   位高ければ務め重し

夏場のぐちではあるまいが、最近『トラの威を借るキツネ』の出現が話題になっているという。社会的に重責を担う人格者のそばで尾を振りながら、一方で一般市民に高圧的な態度を取るのだという。 自分も一緒に偉くなったと勘違いしているのか、権力者になったと思い違いをしているのか。困ったものである。こうした構図が定着したとたんに、町の進歩は止まる。「我欲を捨てて、大儀を持って歩め」と先人は説いた。そして、西洋では『位高ければ 務め重し』と教えた。いま、時代が求めているのは謙虚な演出家だ。 小国町の宮崎町長の笑顔が目に浮かぶ。

行財政改革の本来 香りの森博物館・大分バス・トリニ―タ

去る9月29日、第3回定例県議会が終了しました。今回は香りの森博物館等の売却問題など、重要案件が山積しておりましたし、そのほとんどが私の所属する総務企画常任委員会に付託された案件でした。
その対処について簡単にまとめながら、何が一番の論点であったのかを皆様に報告させていただきます。

県有財産の安易な売却に歯止めを

すでに報道されておりますように、香りの森博物館については学校法人平松学園に2億3千万円で売却。

大分バスについては2千万円の資金援助、さらにトリ二―タについても2億円の融資が決定されたのですが、それぞれに大きな課題を残したと言わざるを得ません。


まず、香りの森博物館はそもそもどこに行き詰まりの原因があったのかということ。建設場所の選択ミスが全面に打ち出されていますが、その陰で、官主導の稚拙な経営対策は全く論じられていません。アジアからの観光客が押し寄せる月曜日をどうして休館日にしたのか、さらには全国でも珍しい香りの製造許可を持ちながら、生産と全国への販売ルートをなぜ確立しなかったのか。周辺の観光地との連携はもちろん、ラベンダーやハーブなどの原材料を農家と契約生産しながら経済的な接点をもつという利点をなぜ築かなかったのか・・・。


思い切った内部評価、厳しい外部評価を断行することこそが改革の第一歩であることを忘れてはならないということ、そして今回のような短期決戦の売却は、次の時代の芽吹きにはならないということを、私どもは事前に強く知事に訴えたのです。


現在の改革の中で最も気をつけなければならないのは、安易に県有財産を目先の金に変えないこと、もっと創意工夫をしながら再生の道を探る努力が必要だという主張でした。

議会と執行部との徹底した議論を

一連の課題に取り組みながら、私は常任委員長報告の中で、「議会と執行部の徹底議論の必要性」を付帯意見として付したのです。
総務企画委員会に所属する議会の全員一致の付帯意見でもあります。つまり、県政の重要課題に対しては、一般有識者と言われる委員による審議会などで方向決定するのではなく、県民代表である県議会にすべての情報を開示した上で慎重な議論を重ねていくことが何より大切であるという指摘です。
もちろん、その一方では、議会も他人事のような批判を繰り広げるのではなく、自らさまざまな情報を集めて議論に参加する力量が求められるということです。

政治力の転換期

大分バスの問題にしても、他の公共交通機関が同様の経営難に陥った場合の救済基準を県民に明確にすること、さらにトリ二―タに関しても経営実態をガラス張りにして県民の理解が求められる仕組みづくりの重要性を指摘しました。

さて、今回はこれらの重要案件を同士5人とともに石川副知事、広瀬知事に直訴しました。県民に不安や不満を抱かせるのではなく、「勇気をもって改革をしてくれた。希望が見えた」と評価されるような最高責任者であってほしいという願いがあったからであります。

こうした私たち若手の取り組みに対して、尊敬すべきある議長経験者はこう話してくれました。「あなたたちはいい挑戦をしてくれた。一部の長老に取り仕切らせたり、裏工作を使ったりというような旧態依然とした手法は通用しない時代になった」ということを、議会も執行部もあらためて感じ始めているようだ。
政策と議論が将来の発展のためには何より大切であるということを教えられた議会でした

大分バス・大丸旅館・首藤家
 天 道 無 私 の 精 神

大分バスが経営危機に陥った。社長交代によって、大分県も2千方円の資金出資で新体制を支援した。
 大分バスは公共交通機関として、自らの経営難を押して過疎地の足」を確保してくれた。前社長の佐藤光一郎氏も、私財を投じて会社の建て直し、社員の救済に懸命な努力を重ねてきたのである。

この大分パスの救済にあたっては「過疎地の足を守る」という理由だけで救済の基準にしてはならない。他の公共交通機関との支援バランスや、将来想定されるケースも視野に入れた支援対策でなくてはならないことを、わが総務企画委員会でも確認したところである。 政治や政策に公私混同があってはならないから、敢えていま、大分バスと大丸旅館、そして首藤家のことについて触れておきたいと思う。

 大分バスは昭和12年10月に、創設者佐藤恒彦の手により資本金10万円でスタートした株式会社である。
 昭和19年には大野郡・直入郡の計18路線を経営下に置き、地域をに密着した公共交通機関として成長を続けた。

 実は、私の生家である長湯の大丸旅館は、鶴崎の高田出身の首藤勝馬が大正6年創業の高田屋を改称し、昭和5年に新築したものであったが、村長や県議を務めるなどの身の上であったこともあり、昭和25年に成長著しかった大分パスに経営権を委譲、私の祖母である首藤ティが館主として派遣されたのである。

 その理由は、佐藤恒彦の妻キヌとティが姉妹であったこと、そしで恒彦の父信吉と勝馬はともに鶴崎の高田の出身で親戚であったことによる。  こうした背景により、大丸旅館は勝馬から大分バスを経由してティの手にその経営が重ねられることになり、ティの長男であった作平、つまり私の父は血縁の役員として大分バスに籍を置き、昭和46年から亡くなる49年まで、地元竹田営業所の所長として地域の皆さんのお世話になっていたのである。

 小学校にあがった当時、自分は長男なのに、なぜ勝次と次男のような名前なのかと父親にたずねると、「この旅館に初めて生まれた男の子。創業者の勝馬爺さんが、自分のあとを次がせたいとの思いを込めたから」と話してくれたのを思い出す。

 混沌とした時化 日本人の精神性も問われて久しいが、特に政治や経済に携わる者の一人として、先人の想いや情熱に対しても、純粋な使命感を持ち続けなければと、あらためて教えられる。そして、その核は「天道無私」である。

人事往来

旧竹田市に住む友人が遊びに来た。合併後の将来に話が及ぶ中、市民としての目線で何が見えているのか、そんなことを教えてくれた。

 私が竹楽の成功のこと、大臣表彰のことを称えると、うれしい顔を見せながらこう言った。「でも、県議。これだけは意識しておいてほしいんです。これは、多くの市民がボランティアで取り組んだ成果だと思うんです。だれが一番得をしているのかなんて、そんなことは言いませんが、外部に向かって話のできる立場にある人たちは、市民ボランティアは当たり前だなんて思ってほしくない。

 だれよりも、感謝の気持ちをもってほしいのです。市民の努力に感謝の想いをもっている人が外に向かって誇りある言動をするのを、市民は心から頼もしく感じるものです」。そして続けた。「薪能だってそうです。晴れやかな舞台にしか目は向かないかも知れませんが、寒い中、交通整理をしたり、裸で神輿をかついで川を渡る若者たちにねぎらいの言葉をかけてくれる人が増えれば、イベントはもっとみんなに愛されるものになっていくでしょう」と。
 市民の目線で政治や行政に携われ。そう教えてくれた前三重県知事の北川正恭さんの言葉が脳裏をよぎった。

 忙中閑。元旦マラソン大会に始まって、公務続きの新年の幕開けでありましたが、7日の午後、空白の時間のあることに気がつきました。普段自分の時間が取れたらあれをしたい、あそこにも行ってみたいと思うものなのですが、いざ時間が与えられると何とはなしにあせってしまうから不思議です。それでも体を動かすか、頭を使う作業をすると時間は有意義に流れてくれるはずだと思い直して、久しぶりに久住町の友人宅を訪ねました。思いは的中。満足のいく時間が過ぎたのですが、網子に乗ってもう一軒。すると、そこでも、とてつもない収穫があったのです。

 いずれ皆さんにもお話のできる日が来ると思いますが、大切なのは地域の皆さんと情報を共有することだとあらためて感じたしだいです。楽しくて、夢の広がる世界はあちらこちらにあるのですよね。ぐちを言ったり、陰口を楽しんだりしていては生み出すことのできない世界。夢は与えられても気分はいいけれど、自分で措けたらなお楽しいものです。さて、新年も夢を描いて歩こう。

平成19年度から始まる経営安定対策
戦後最大の農政大転換 どう進める集団化経営

 農業の構造改革とまで言われる「品目横断的経営安定化対策」この大胆な政策が打ち出された背景には、WTO(世界貿易機関)交渉があります。つまり、農産物の自由貿易化が迫りつつあるのです。こうなると、これまで農家の収入安定化を支えていた交付金制度を続けられなくなり、特に、米・麦・大豆にあっては60キロあたりの収入が3分の1ほどに減少してしまいます。
ばらまき補助金から、集約的な支援体制に切り替えない限り、日本の農業を支えていく方策は見当たらなくなってしまうのです。

まずは、「担い手」の要件を満たすこと

 そこで、国は経営の安定化を目指していく方針を打ち出したのですが、支援する対象を「担い手」に絞り込みました。
この担い手とは、4ヘクタール以上の経営面積を有する認定農業者、もしくは20ヘクタール以上の集落営農組織のことを言います。
この要件を提示したのは、農業を主体にして生計を維持していく農家を最優先に救うという目的があるからです。
 世界を視野に入れた農業政策でなければ、21世紀は生き残れないとする瀬戸際の手立てであるとも言えます。この国の支援システムを受け入れなければ安定した経営は展望できないということを意織しなければならないでしょう。
何より、補助金を導入できる受け皿とならない限り、安定経営は実現できないと言えます。まずは、担い手として認知してもらうこと。ここから始めなければならないことを覚悟しておかなければなりません。


中山間地域の実情を訴えて知事特例を
 ただし、竹田市のように、そのほとんどが中山間地域であると、集落ごとに結束しても20ヘクタールという経営面積を確保するのはむつかしい地域も多くありますし、認定農業者になろうにも、経営面横が4ヘクタールに満たない人も多くあるはずです。

そこで、私たちは国が認めている「知事特例」により、この面積要件を緩和するように検討を促しています。滋賀県では、集落営農組織の面積要件を20ヘクタールから7へクタールまで緩和している例もあるからです。
 近いうちに、この緩和政策の方向性などについて、私は農業会議の森田会長とも意見交換したいと考えています。

集落一農場方式を生み出す

「机上論だけで対応しようとしてはいけない。」私は県の担当者との議論の中でそんな話をさせてもらいました。
なぜなら、先祖伝来の農地を受け継いだ人たちは、「自分の農地は自分で守る」という使命感を強く持っているからです。
自分の土地は決して売らない。そして、貸さない。そんな心情もよく理解しておく必要があります。
 ただ。日本列島全体に言えることですが、地方の、それも農村部の過疎高齢化は予想以上のスピードで進行しているということです。田畑を耕したいけれど体が思うままにならない。若い後継者も街に出て、農村は高齢者ばかり。そんな環境の中で、どうしたら、農村、農地を守っていけるのか。
 結論は見えているように思えます。つまり、自分の農地は自分で守るという考え方を脱皮して、地域全体で自分たちの農地を守るという発想の転換が求められているということです。
農地の所有権はそのまま、でも耕作権は組合に委ねる。これが最高の方策だと考えます。このように、土地の利用権設定が実現すれば10アールにつき4方5千円の助成金を得られるのです。
 地域みんなの結束力を高めて、集落で1つの農場を経営するという取り組みを実現したいものです。

見落としてはならないもうひとつの道

 認定農業者として、あるいは集落営農組合として生き残る道を生み出すことが何より大切ですが、私はもうひとつの道を提案しておきたいのです。
それは、集約化や大規模化の流れを作り出す一方で、道の駅などの直販システムも活用する方法です。水田を中心にして、ほとんどの耕作権を組合等と小作契約していく一方で、「1反くらいの畑は自分の楽しみに残しておく。気の向くままに野菜などを作って販売所で売ると年間用100方円くらいになる。これと年金を合わせると、そこそこの生活ができる」という道です。
 健康のため、そして日々の楽しみをつくる。これは農家の皆さんしか味わうことができないのです。
 農村を守る。農業を楽しむ。いまが時代の分岐点でもあります。
今年の夏場までには、補助金を受け入れることのできる「担い手」の対象者が決まります。農業委員さんなどを通じて、じっくりと将来を考えてみてほしいと思います。
 私も、面積緩和など知事特例の実現に向けて、執行部と協議を重ねます。

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