11月27日(木)

 目覚めたときにはもう午前8時を回っていた。予定通りぼくは男に戻っていた。新聞を取りに出たら、出掛けようとしていた篠田と丁度目が合った。にやりとぼくの方を見て笑った。部屋に戻って笑い転げた。今日も休みだし、女になって仁美の所に行こうかとも思ったが、2日続けて変身して、もし男に戻れなかったらという危惧を覚えて止めにした。今日はバイトをしよう。
 店長に電話したら、佐田も佐和ちゃんも急に休みを取ってしまって困っているという。二人がつるんで休む理由らしきものをぼくは知っているが、そんなことはおくびにも出さず、すぐ行きますと告げて店へ向かった。
 山本も来ていた。長年ペアを組んでいる佐田よりも何だかほっとする。何故だろう。彼は男なのに、恋人がそばにいるような感覚を覚えてしまう。
 1日の仕事も終わりに近づき、午後9時半を過ぎた頃、閉店の準備にかかる。
 「ここは24時間営業じゃないんですね」
 山本が床に箒をかけながら聞いた。
 「そう。午前9時から午後10時まで。ぼくがバイトに来始めた頃は24時間営業だったんだけど、午後10時以降の売り上げが極端に少ないから、今の体制になったんだ」
 「それもコンピューターの分析で?」
 「その通り。お蔭で、ぼくの稼ぎが減ったけどね」
 「中山さん、彼女とかいるんですか?」
 「何だよ。突然」
 「山本君、中山君には彼女はいないよ。ちょっと前までいたらしいけど、振られたんだって」
 レジの整理をしながら店長が言った。
 「店長、余計なことは言わないでよ」
 「振られたんですか?」
 「インターネットで知り合った子だとか言ってたなあ」
 「店長! 止めて下さいよ」
 「中山さん、インターネットとかやってるんですか?」
 「・・・・やってることはやってるよ」
 「お金がかかるんでしょう?」
 「アパートからやる金ないから、研究室で内緒でやってるんだ」
 「研究室でって言うと、ただで?」
 「勿論さ。学生は大抵やってるよ」
 胸を張って言えることじゃないけどとは思ったけれど、山本ならわかると思った。
 「じゃあ、ウイークデーの昼間だけだね」
 「そうだな。研究が遅くなって、土、日や夜する事もあるけどね。大抵は昼だな」
 「なるほどね。それで、振られた彼女って言うのは、どうだったんですか?」
 「変なこと聞くね。どうでも良いじゃないか」
 「興味があるんですよ。インターネットって、顔が見えないでしょう。どうやって好きになったり、嫌いになったりするのかなと思ってね」
 女に振られた話など、他人にしたくはないのだが、山本には話してもいいような気がした。その理由は自分でも分からない。
 「それなら話してやるけど・・・・。そうだな、顔が見えない分、文章の内容とか、書き方とか、まあ、フィーリングだね」
 「気が合ってたんでしょう? その人と」
 「まあな」
 「じゃあ、どうして振られたんですか?」
 「ネット上だけにしておけば、良かったんだけど、長くチャットしていると、会いたくなるものなんだ。初めは、ぼくは彼女が男だと思っていたし、彼女はぼくを女だと思っていたから、同性同士で会うつもりで、待ち合わせしたんだ」
 「へえ、顔が見えないから、そういうこともあるんだ」
 「一目惚れだったんだけどなあ」
 「そんなに美人だったの?」
 美人という言葉が仁美に当てはまるかどうか判断の分かれるところだろう。
 「デカ女だけど、ぼくの好みだった」
 「デカ女?」
 山本はちょっと眉をひそめた。
 「そう、ちょうど山本君くらいかな」
 「ぼくくらいだったら、たしかに女としては大きいよね。いや、デカ女という表現がぴったりかな? それで?」
 「二度目のデートの時、振られたんだ」
 「どうしてまた?」
 「・・・・ホテルに誘われたんだ」
 「女の方から?」
 「そう」
 「冗談じゃなかったの?」
 「冗談には聞こえなかったけどね」
 思い出してみる。どう考えても冗談だったとは思えない。
 「それなら、行けば良かったのに」
 「急に言われて心の準備が出来ていなくてね。そんなつもりじゃなかったから。仁美はそんな女だとは思っていなかったから」
 「ひとみっていうんだ。その彼女」
 「うん。ぼくが躊躇っていたら、怒って帰ってしまったんだ」
 「ふうん。ほんとに怒っていたの?」
 「・・・・分からない。もう帰るって急に言って、さっさとタクシーに乗ってしまったから・・・・」
 「何か他に理由があったんじゃないかなあ」
 考えてみても、他に理由があったなんて思えない。
 「理由なんてないと思うよ。ぼくが彼女の期待に応えなかったからさ」
 「たとえば、急に生理になったとか」
 「自分から誘っておいて、それはないだろう」
 「結構あるらしいよ。まだ余裕があると思っていたのに始まるって事が」
 「山本君は変なこと知ってるなあ」
 ぼくは山本の顔を見上げた。山本はちょっと照れくさそうに言った。
 「この前あったんだ、実際に。その気になって彼女とホテルに行ったら、始まっちゃったと言われて、ホテル代がパアさ」
 「そんな様子はなかったけどね」
 あの夜の仁美の様子を思い出す。まったくそんな風には見えなかった。
 「女はそんな素振りは見せないんじゃないのかい?」
 「そうかなあ」
 「中山さんの同級生を思い浮かべてみなよ。いつ生理がきたかってわかる?」
 南や佐和ちゃんのことを思い出してみた。確かにわたしは生理ですなんて様子を見せたことはない。
 「そうだったのかなあ・・・・」
 「その後は会ってないの」
 「会ってないよ」
 「ほんとに振られたのかな? 中山さんの思い過ごしじゃない?」
 「思い過ごしじゃないと思うんだ。この前ね。インターネットのチャットルーム、おしゃべりするところだな。分かる?」
 「知ってるよ」
 「そこに仁美が出てたから、声掛けたんだ。そしたら、お客が来たって、急に引っ込むんだ。絶対嫌われているよ」
 「ほんとにお客が来たのと違うかい?」
 そんなこと、考えもしなかった。
 「確かめようがないよ」
 「体当たりして、確かめたら?」
 「この前、店長にもそう言われたんだけど、勇気がないよ」
 「好きなんだろう?」
 「もう、いいよ。終わったことだから」
 「ほんとに好きだったら、諦めない方がいいと思うけどね」
 「いらっしゃい。話しは終わり。仕事、仕事」
 (良い方に解釈すれば、山本の言うようにぼくは振られたわけじゃないかもしれないなあ。しかし、どう考えたって、そんな筈はない。いや・・・・。分からない・・・・)
 山本と仁美の話をしたせいで、バイトが済んでアパートに帰っても、仁美のことが頭から離れず、また眠れなかった。
 (早く仁美の本心が知りたい)
 今日も会いに行っておればよかったと後悔の念が頭を渦巻いた。明日は研究室に行かなければならない。どうしようもない苛立ちが募った。