11月23日(日)

 小鳥のさえずりに目が覚めた。胸がまだある。
 (男に戻っていない! どうしよう・・・・)
 パニックになりそうになって、時計を見た。まだ六時半だった。
 (そうだ。午前9時頃までは元に戻らないんだ。その筈だ)
 そう思いながらも、不安だった。
 (もし元に戻れなかったらどうしよう)
 どんな心理状態でも腹が減る。いつものようにインスタントコーヒーを入れて、パンを焼いてマーガリンを塗って頬張る。
 時間はなかなかたたない。

 突然、ドアがどんどんと叩かれた。
 「おい、中山! 俺だ。篠田だ。開けてくれ」
 隣の篠田の声だ。時計を見るとまだ7時を回ったばかりだった。
 (こんなに朝早くから何の用だろう)
 ぼくはまだ女の姿だ。出て行く訳にはいかない。
 「中山! もう起きてんだろう。金貸してくれないかなあ。おーい、中山。黙ってないで、出てきてくれよ。この前、お前に貸してやったじゃないか。おーい」
 ドアがどんどん叩かれる。何と言われようと、たとえ親が死んだといわれても、今は絶対出てはいけない。黙って篠田が諦めるのを待っった。
 何分たっただろうか? 漸く篠田は諦めて、階段を降りていった。今度会ったら、何と言い訳するかな? そうだ。トイレに入っていたことにしよう。下痢していて出ていけなかったことに。ただし、男に戻れたらの話しだけど・・・・。

 男に戻れないのではという一抹の、イヤ、大きな不安を抱きながら、時計と睨めっこして薬が切れるのを待つ。午前9時少し前になって、急に眠くなってきた。
 (良かった。この前と同じだ。元に戻る前兆に違いない)
 目を覚ますと、予想通り男に戻っていた。もう間違いないと思った。薬の効果は24時間だ。
 (素晴らしい人生とはいかないが、いい薬が手に入った。とにかく仁美の本心が分かるまで、何度でも出掛けてみよう)
 財布を覗いてみる。衣装代に金を使いすぎた。預金通帳に多少は入っているが、今後のことを考えれば、おいそれと使ってしまう訳にはいかない。少し稼いで現金を手に入れておかないと決めてコンビニの店長に電話した。
 「あっ、店長ですか? 中山です。昨日はどうも申し訳ありませんでした」
 「もう良いのかい」
 「万全ですよ。24時間だって働けます。それでですねえ、昨日の埋め合わせと言ったらなんですけど、今日1日やらしてもらえませんか?」
 「そうか、それはちょうど良かった。佐和ちゃんも良介も休みで困っていたんだ。中山君も出て来られないと言われたらどうしようかと思案していたところなんだ。すぐにでも来てくれないか?」
 「じゃあ、すぐ行きます。10時までには入りますから、よろしく!」
 助かった。12時間は働ける。いつもの2日分以上だ。昨日の分が取り返せる。着替えをして、髪を後ろで括ると、バイクに乗ってアパートを出た。

 店に着くと、店長が待っていた。見慣れない、ぼくと同年齢くらいの若い男がそばに立っている。何処かで見たことのあるような顔だが思い出せない。
 「やあ、中山君。すまんね。病み上がりのところを。来てくれて助かったよ」
 「店長、気にしないでください。ちょっと使い込んでピンチなんです。ぼくこそ助かりましたよ」
 「紹介しよう。君も来ないかと思ったんで、臨時でバイトに来て貰った山本君だ。コンビニでアルバイトするのは初めてらしいから、良く教えてやってくれ」
 「山本です。よろしく」
 「中山です」
 「じゃあ、二人とも頼んだよ」
 新入りの山本は、すらりと背の高い好青年だ。お互い簡単に自己紹介し、山本のファーストネームは明だと教えられた。二十四歳で就職浪人だということだ。やっぱり何処かで会ったことがあるとは思いながら、山本明なんて名前にまったく覚えがない。彼の方もぼくとは初対面のようだから、他人のそら似だろうと、それ以上のことは聞かなかった。
 レジはぼくが担当することにして、店に来たお客への挨拶の仕方と、品物の包み方を教えて、仕事が始まった。これまでの新人は、二,三日は役に立たず、給料泥棒だなと思っていたが、山本はまるで何年も前からやっているかのように、てきぱきと仕事をこなした。
 「結構お客さんが多いですね」
 「店の前がバス停だし、近くに団地があるからね」
 「大きなショッピングセンターが近くにあるのに?」
 「この種のコンビニは、在庫管理が徹底しているからね」
 「どういうことですか?」
 「曜日毎、時間帯毎の商品の売れ具合が徹底的に分析されているんだ。売れる物しか置いていない。売れないものはすぐに在庫から外されるんだ」
 「なるほどねえ。店にないものを欲しいと言われたらどうするんだい?」
 「丁寧にお断りするんだが、それも記録しておく。要望の多い商品は在庫に加えるんだ」
 「すごいね」
 「それにここは遅くまで開いているから、仕事で遅くなった人たちが結構買っていってくれるよ」
 「ぼくも夜食なんか買うのに重宝しているものね」
 「そういうこと。学生何かにとっては、冷蔵庫代わりと言ったところかな。レンジもあるし」
 「ところで、中山さんはこの店、長いんですか?」
 「大学入ってからだから、もう六年になるな」
 「ベテランなんだ」
 「ベテランってことはないけど、長いのは確かだな。院を出て、就職口がなかったら、このままここに就職しようかな」
 そんな気はないけど、店長に聞こえるようにわざと大きな声で言ってみた。
 「中山君、そうしてくれ。俺も助かるよ。君みたいなやつがいてくれると俺も安心だ」
 そんな返事がすぐに戻ってくるとは思わなかった。佐田もバイトだし、正式な店員は佐和ちゃんだけだから、就職してくれる人間が欲しい気持ちはよく分かる。
 「店長、ありがたい申し出ですけど、他に良いところがなかったらですよ」
 「正式な店員になったら、給料もっと出すよ」
 「了解しました。期待せずに待っててください」
 「中山さん、この就職難の時代にちょっと贅沢じゃあないですか。少し頑張って、ぼくを雇って貰おうかな」
 山本が冗談めいて言葉で言った。
 「こんな所でいいのか?」
 ぼくはついそう言ってしまった。
 「おい、おい。こんな所はないだろう?」
 「失礼しました、店長。山本君は筋が良いから、考えてやってください」
 「山本君はもう少し様子を見てからだな」
 本式に雇うとなるとやはり違うようだ。店長の顔が真顔になっていた。
 「お願いします。ところで、中山さん?」
 「何だ?」
 「中山さんは髪の毛をどうしてそんなに伸ばしているんですか? 初めは女の人かと思いましたよ。大きなバイクに乗ってきたから、凄い女の子だなあと」
 また聞かれてしまった。初めて合う人間には、変な目で見られるし、少し仲がよくなると必ず聞かれる。だから、ぼくも慣れたもので、毎回同じ説明をする。
 「好きで伸ばしてるんじゃないだ」
 「じゃあ、どうして?」
 「正直なところ、散髪代が勿体ないんだ。2日分の食費だからな」
 「そうか。中山さんは苦学生なんですね」
 「いま時、苦学生なんてのは流行らないよ。苦学生を楽しんでいるだけだよ」
 「どういうことですか?」
 「本当は親に言えば仕送りしてくれるんだ。大学を卒業したとき、就職しないで、無理を言って大学院に行かせてもらったから、学費や生活費は自分で稼いでいるんだ」
 「偉いんですね」
 そんなことは言われたことがなかった。自分でもそんなに大それたことをしているとは思っていない。
 「そんなことないよ。結局は親が最終的に助けてくれると分かっているから、少し無茶が出来るんだ。自分でも甘いとは思っているよ」
 「そんなことないんじゃないですか。やっぱり偉いと思いますよ」
 山本が真顔で言うものだから、ほんとに恥ずかしくなってしまう。
 「そうかなあ。でも、ここのバイトがなかったら、やっていけないよ。時間は融通が利くし、給料もいいし、店長には感謝しているんだ」
 「ほんとに感謝してるのか?」
 店長が缶コーヒーの在庫をチェックしながら、言葉を挟んだ。
 「してます、してます。店長の家には足を向けて寝てませんから」
 「ほんとかね」
 嘘に決まっている。店長のうちが何処にあるのかも知らないのに。そんなことは言えないから、答えはひとつだ。
 「ほんとですよ。感謝感激雨霰ですよ」
 店長にそう告げてから山本の方を振り返った。
 「髪を伸ばす第2の理由は、散髪の間の待ち時間だよ。勿体ないんだよね、あの時間が。下手すると二時間くらいかかるだろう? ここで働いていた方がずっとましさ」
 「なるほどね。でも似合ってますよ」
 「似合ってる? そうかなあ。ぼくは君みたいに背が高くないから、良く女と間違えられるよ。それが欠点だな。それにシャンプーが面倒くさい」
 「メリットがあれば、デメリットもあると言うことですね」
 「そういうこと。いらっしゃいませ」
 「いらっしゃいませ」
 山本とは気が合いそうだ。初めて出会って何時間もたっていないのに、古い友人のように感じる。時々一緒になる佐田良介とは、挨拶以外に冗談も言ったことがない。佐和ちゃん、石井佐和子は、ぼくに気があるのか、馴れ馴れしすぎる。話していて鬱陶しくなることが多い。山本は不思議な男だ。