翌朝、目を覚ましたら、また女になっていた。
(何だよう。どうしてだよう)
叫んだら目が覚めた。今度は本当に目が覚めた。ぼくは男のままだった。
(良かった・・・・)
安堵のため息が出た。インスタントコーヒーを入れて、トーストを囓ってから、研究室へ向かった。
研究室のドアを開けると、いつもなら挨拶以上の言葉を交わしたことのない南が声を掛けてきた。
「あら、中山。おはよう。もう、体は良くなったの?」
「おはよう、もう大丈夫だよ」
「しっかり看病して貰った?」
「えっ」
「昨日電話してきた子は誰?」
詮索好きな南のことだから、何か言われると思っていた。
「誰って?」
ぼくは惚ける。
「しらばっくれないで。あなたが休むって電話、わたしが受けたの。可愛い声だったわね」
眉を上下させて、美川憲一のような言い方で言った。
「ただの友達だよ」
「へえ、ただの友達ねえ。彼女、どこから電話してきたの? あなたの部屋からでしょう?」
「君には関係ないだろう? 要らぬお節介だよ!」
「隠すところを見ると、深い仲の彼女だな」
いい加減いしてくれって言う感じだ。ぼくはちょっと腹を立て始めていた。
「もう、いい加減にしてくれよ。ただの友達だって言ってるだろう」
「ふーん」
このふーんがどうも気になる。何か妙な噂を立てられそうだ。怒りを抑えて下手に出ることにした。
「頼むから、変なこと言いふらさないでくれよな」
「わたしがいつそんなことした? そんなことしたことあるって言うの?」
「ない、ない。だから黙っていてくれよな」
「ますます怪しいなあ」
「だからさあ・・・・。もう何とでも言いふらしてくれ」
(ああ、やっぱり最悪の事態になりそうだ。勘弁してくれよ)
ぼくはもう捨て鉢になって、南を振り払うと、机に座ってコンピューターのスイッチを入れた。
南はにやにやしながら、ぼくの方を見ている。
(何が面白いんだよ。人のプライバシーを詮索して。ぼくが誰と付き合おうが、勝手じゃないか)
そう考えていたのだけれど、ただ、ぼくに彼女がいるらしいなんて噂が仁美の耳に入るのだけは困る。そんなことはまずありえないだろうし、仁美に振られてしまった今となっては、どうでも良いことなのだけれど、ぼくは動揺していた。
ぼくはまだ仁美のことを忘れられないでいる。
今日も論文は少しも進まなかった。南は午後になって、生理痛がひどくなったからと言って早退してしまった。南がいなくなって論文が進むかと思ったけれど、ぜんぜんダメだ。もう、その気にならない。
モデムのスイッチを入れて、メールをチェックする。何も届いていなかった。チャットルームを覗くと、Jinがいた。こんにちは、と割り込みを掛けたら、Jinは、お客が来たからと言ってすぐに引っ込んでしまった。
(どうしてだよ。そんなに嫌わなくても良いのに・・・・)
またまたガックリ来た。その気はなかったのに、相手がいないからと言われ、よっちゃんというハンドルの、いつものチャット仲間のひとりに捕まって1時間ほどつまらない話をした。
(疲れた・・・・)
*
バイト先で、ぼくがあんまり意気消沈しているものだから、店長が心配して声を掛けてきた。
「どうしたんだ。いつもの元気がないじゃないか」
「・・・・なんでもないです」
「女に振られたのか?」
ぼくは答えず、ただため息をついた。
「図星か」
そんなんじゃないですと答え、もう一度ため息をついた。
「顔に書いてるぞ。ぼくは女に振られましたってね」
「女の気持ちが分からなくって」
「女の気持ちなんて、そうそう分かるもんか。簡単に分かる方が不思議だよ」
「みんなどうしてるんでしょう?」
「経験さ。何度も振られるうちに、少しずつ分かってくるのさ」
「そんな経験をしないうちに、どうしても離したくない女が現れたら、どうしたら良いんでしょうか?」
「どうしようもないな。なるようにしかならないさ。一緒になる運命なら、どんなことがあっても、そのうち結ばれるさ」
店長は簡単にそう言うのだ。
「そういうもんですかね」
「そういうものさ。よりが戻せなかったら、その時は縁がなかったと諦めることだ」
「諦めきれないんです」
諦めることができたら、こんなに悩んだり落ち込んだりはしない。
「もう一度アタックしたらどうだ」
「嫌われているようなんです」
「それなら、すっぱり諦めることだな」
思いは募るばかりだ。諦めろって言ったって、そう簡単に諦められるものじゃない。
(仁美の本心が知りたい。あの時ぼくはどうしていたら良かったんだろう。そして、今、仁美はぼくのことをどう思っているのだろうか?)
「店長さん、中山さんどうしたの?」
女性店員の石井佐和子が心配そうな表情を見せた。
「彼女に振られたんだって」
「可哀想。わたし、慰めてあげる」
「おい、中山君。佐和ちゃんが慰めてくれるって言ってるぞ」
歩み寄ってくる佐和ちゃんにぼくは尋ねた。
「佐和ちゃん。女の本心を知るにはどうしたらいいだろうか?」
「女の本心なんて、女しか分からないわね」
「悲しいこと言わないでくれよ」
「女同士でも分からないことはあるけど、仲の良い女同士なら、本心を打ち明けるかもしれないわね」
「ぼくには永遠に女の気持ちを知ることが出来ないって事だよね」
「本当に愛し合っていれば別でしょうけどね」
「そうなる前に知りたいんだよ」
「カッコつけないで、自分の気持ちをぶつける事ね」
「カッコつけないで、自分の気持ちをぶつけるか」
「わたしじゃダメみたいね」
佐和ちゃんには一度迫られたことがある。けど、佐和ちゃんはぼくの好みのタイプじゃない。
「ごめん。佐和ちゃんの気持ちはありがたいけど、今はあの人のことで頭がいっぱいなんだ。振られて初めて、好きだったことが分かったよ」
「振られて初めて、好きだったことが分かった? 格好いい。頑張ってね。陰ながら応援するわ」
「ありがとう、佐和ちゃん。勇気が沸いたよ。もう一度、アタックしてみるよ」
そう言ったものの、バイトが済んでアパートに帰る頃にはもう気持ちが萎えていた。仁美は自立したキャリアウーマンだ。それに比べてぼくはしがないアルバイト学生。大学院を出たって、先の見通しははっきりしない。バランスが取れる筈がないのだ。諦めるしかないのだ。