ぼくは大きな袋を抱えてアパートに戻った。荷物が多いので、坂田さんが、車で送ってくれた。
車と言えば、会社で車の免許を持っていないのは、ぼくくらいなものだ。取りたいなと思っていたのに、こんな風になってしまったんじゃあ、もう取れない。あああ、車の免許が欲しいなあ。そう呟きながら、階段を昇った。
ドアを開けて部屋に入ると、キッチンから、菜穂子が出てきた。
「お帰り。まあ、どうしたの? こんなにたくさん。まさか、買った訳じゃあ」
「職場の同僚がくれたんだ」
「へえ。持つべきものは友人ね。・・・・あなた、男の時はもてたんでしょう? そうでなかったら、こんなことしてくれないわ」
「そ、そんなことないわよ」
「そおう?」
菜穂子は疑るような目でぼくを見ている。
「千春は、もてそうな顔をしているからねえ」
「もう女なんだから、昔のことは関係ないでしょう?」
ぼくは口を尖らせる。
「それはそうなんだけど・・・・、男に戻ったとき、問題が起こらないかなと思って・・・・」
「焼き餅焼いてくれるの?」
「旦那様がもてるって事は、いいことなんだけどね」
「じゃあ、いいじゃない」
「でもね。あんまりもてすぎると、妻としてはね・・・・」
「浮気なんてしたこともないし、この先男に戻っても絶対浮気なんてするつもりはないわよ」
「ほんとね」
「わたしは菜穂子だけを愛してるよ。他の誰にも心を奪われたりしない」
「ほんとに、ほんとね」
「ほんとだってばあ」
「男に恋しちゃだめだよ」
「ば、馬鹿なこと言わないでよ。わたしは体は女になってしまったけど、心は男なのよ。男を好きになったりしないわ」
「それなら、安心」
微笑んで、菜穂子はキッチンへ戻った。菜穂子の後ろ姿を見ながら思う。ほんとに男に抱かれたくないかと。
会社の同僚の男を思い浮かべる。だめだな。その気にならない。テレビに出てくる男優、歌手。うへえ、とんでもない。体のことは抜きにして、ぼくはやっぱり女を抱く方がいいな。ぼくは男だもの。
菜穂子がキッチンで夕食の準備をしている間に、ぼくはベッドルームでこっそり小泉さんのくれたスカートを穿いてみた。足がほとんど隠れてしまうくらい長いので、ぜんぜん恥ずかしくない。鏡に映った自分の姿にも違和感がない。自然に鼻歌がこぼれてきた。やっぱ、女はスカートか。
「似合うじゃないの」
ハッとして振り向くと、菜穂子がニヤニヤしながら立っていた。ぼくは悪戯をしているのを見つかった子どものように小さくなった。
「あ・・・、そ、そうかなあ」
「明日の買い出し。スカートも買おうね」
「・・・・そうね。長いのだったら・・・・」
「千春の体型なら、ミニも似合うと思うけどな」
悪戯っぽく菜穂子が呟く。
「じょ、冗談じゃないわよ」
「試着してみたら、気に入るわよ」
「やだ! ミニスカートなんて穿かないよ」
「無理にって言ってる訳じゃないけど・・・・」
ニヤニヤしながら、菜穂子はキッチンへ戻った。どうもミニスカートを着せられそうな予感がする。買い出しに行くのは止めようか。熱でも出ないかなとしょんぼりとなった。
熱は出なかった。気が重いけど起きなきゃ仕方がない。パジャマを脱いで、昨日会社の4人が似合うと絶賛したブラウスと腰回りがゆったりとしたパンツを穿いた。
鏡に映して、横から見たり、後ろ姿を点検する。男だったとき、こんなことしたかな? しなかったよなと思う。以前は、こんなに服装が気になることはなかったような気がする。菜穂子が用意してくれたシャツにスーツを何も考えずに着て、そのまま出かけていた。女は見られる立場だから、気になるんだろうなと漠然と思う。ま、ぼくが美人の所為もあるかと、頭の中でぺろりと舌を出した。
「食事すんだら、まず美容室へ行こうね」
「そうね。もう少し女らしい髪型の方がいいわね」
今のままでもいいかなと思っていたけど、それなりにしなければと思い始めていた。
菜穂子がいつもいくという美容室へ行った。
「こんにちは。空いてます?」
「すぐ空きますよ。ちょっと待ってくださいね。あら、今日はお友達とご一緒ですか?」
「あ、ええ。うちの旦那の妹なんです」
「そうですか」
「あんまり男みたいな髪型してるから、女らしくしてもらおうと引っ張ってきたんです。よろしくね」
「分かりました。少しカットして、パーマをかければいいでしょう。少しお待ちになってね」
「はい」
ふたりでソファーに座って、女性週刊誌を眺めた。夏物のスカートの特集が組まれていた。ミニスカートが多い。菜穂子の顔をちらりと見た。菜穂子がにやりと笑った。
5分ほどして席が空いた。
「杉本さん、どうぞ。どちらから致しましょうか?」
「千春! あんたが先に行きなさい」
まるでぼくが年下のような口振りだ。菜穂子! おまえ、ぼくより年下だろう! まったくもう。ぼくは心の中でそう呟きながら、椅子に腰掛けた。
「任せていただいていいかしら?」
「はい。お願いします」
髪の毛を霧吹きで濡らされ、はさみがパチパチと動くのをじっと見ていた。カットがすむと小さなカーラーをいっぱい付けられた。
「少しカラーリングしましょうね」
そう言っていたから、髪を染めるようだ。パーマと言ったら、釜のようなものの中に入れられと思っていたのに、頭のまわりで、蛍光灯のようなものがぐるぐる回っていた。髪の毛が熱くなっているから、赤外線のようなものが照射されているようだ。
洗髪されブローすると、ほんのちょっとカットしただけなのに、見違えるような女の髪型になっていた。
「千春。似合ってるわよ」
ぼくの仕上がった髪を見て横から菜穂子がいった。
「ありがと」
「少し、お化粧して差し上げましょうか?」
ええっ!? と心の中で叫んだけれど、この分なら、化粧した方がいいかなと思った。隣に座ってカットされている菜穂子を見ると、ウインクしてきたから、やって貰うことにした。
「お願いします。あの、あんまり濃くしないでくださいね」
「分かってますよ。あなたは、肌が綺麗だから、薄化粧の方がいいでしょうね。じゃあ、始めますよ」
ぼくは目を瞑っていたのでよく分からないけど、クリームみたいなものを塗られてマッサージされたあと、スポンジのようなものが顔を行ったり来たりした。
「眉も少し当たりますからね」
眉にハサミが入れられたようだ。ハサミを入れたのに、そこに何か描いていた。化粧って面倒だなと思う。
「さあ、できましたよ」
目を開けて鏡を見た。ぼくはどこだ! 一瞬目の前の女がぼくではないと思った。目を凝らしてみると、鏡の中の女はやっぱりぼくなのだ。へえ、女は化けるって言うけど、ほんとだなと妙に納得した。
「先生。わたしより美人に仕上げちゃだめじゃないの?」
「素材がいいから、お化粧しがいがあるわ」
ちらりと横を見ると、菜穂子はちょっと膨れていた。ぼくの方が美人だ。ぼくの方が美人だ。へっ、へっ、へっえ。ぼくは心の中でほくそ笑んでいた。
「次ぎ、これね」
「まだ、着るの?」
「ブラは、体にぴったり合ったのを買わないといけないの!」
ぼくは今、婦人下着売場の試着室の中にいて、上半身裸になって、ブラジャーを試着している。
美容室での仕返しのつもりか、菜穂子は次から次へとブラジャーを持ってきては、ぼくに試着させていた。それも、真っ赤とか、黒とか、紫とか、普通そんなもの着るかよと言いたくなるような色のもので、デザインもレースの派手なものばかりだ。
「白かベージュの、もっと大人しいデザインのものにしてよ」
ぼくが泣きべそをかきそうになっているのを見て気が済んだのか、10着ほど派手なものを試着させたあと、白のシンプルなデザインのものを持ってきた。
「これならどう?」
「よく分かんないけど・・・・」
「ちょっと緩いみたいね。このデザインでよかったら、Dカップを持ってくるけどいい?」
「デザインはそれでいい。とにかく早くしてよ」
「はい、はい」
しばらくして、同じデザインのDカップのブラジャーを持ってきた。
「ちょっときつい感じ」
「そうかな?」
菜穂子はカップの中に指を通して点検する。
「それでいいわ」
「ほんとに? やっぱりきついと思うけど・・・・」
「ブラは緩いとだめなの」
「そうなの? それならいいよ」
「3着あれば取り敢えずいいかな? あ、脱がないで。そのまま着けていきましょう」
「分かった」
ブラジャーを3着と、ぼく用のショーツ5枚買った。買ったばかりのブラジャーを着けて、次は服を買いに行った。
「ブラした方が気持ちいいのよ」
下着売り場に入るとき、菜穂子がぼくにそう囁いた。それが今実感できる。男には褌をきりりと締めるって表現があるけど、まさにそれだなと思った。
菜穂子は、パンツを売っているパーテーションを通り過ぎて、スカート売場へとぼくを引っ張っていく。
「スカート、イヤだってば」
「パンツ類は充分あるでしょう? スカートもそのうち必要になるわ」
「元に戻ったら・・・・」
「その時はわたしが着るわ。ブラと違ってスカートなら、わたしでも着られるもの」
溜息が出た。反論しようにも、反論する余地がない。
またもや菜穂子は、試着室に次から次へと持ってきた。まるで遊んでいるようだ。
「もういいよ。これにする」
「それ、やっぱり似合わない。はい、これ着て!」
うええん。泣きたいよう。
結局、膝が隠れるくらいのワンピースとそれよりやや長めのスカートを買った。菜穂子もワンピースを2着買い込んだようだ。
会計がすんで、エスカレーターに向かっているとき、菜穂子が立ち止まって物色し始めた。
「まだ何か買うの?」
「これ買ってあげる」
菜穂子がぼくの目の前に差し出したのは、丈の短いミニスカート・・・・に見えた。
「だめだって。こんな短いスカートなんて穿く勇気はないわよ」
「これね。スカートじゃないの」
「えっ!?」
ぼくは首を傾げて、菜穂子が手にした服を見た。
「キュロットなの」
「キュロットって、あの、ズボンみたいなやつ?」
「そうよ。これ、キュロットなんだけど、スカートに見えるでしょう?」
「うん」
「これを着て、慣れたら、短いスカートも大丈夫よ」
ぼくは頷く。
「キュロットなら、穿けそうだわ」
「そうでしょう? じゃあ、買ってくるわ」
買ってくるだけじゃなかった。試着室で着替えさせられた。さらにフードの着いた可愛らしいパーカーを着て鏡に映すと、ぼくはどこから見てもまわりにいる女の子と変わらない姿になっていた。
「ちょっと、可愛らし過ぎじゃないかなあ。わたし、26なのよ」
「そうね。22,3に見えるわね」
そう言って、菜穂子はくすくすと笑った。
「年なのに、あんまり若い格好は恥ずかしいわよ」
「26だ、って、背中に書いてなきゃ、誰もみんな若いって思うから大丈夫よ。それに、女は若く見られる方が嬉しいものなの。分かった?」
ぼくはやむなく頷いた。
キュロットというのは、裾が広がったパンツだと思えばいいのだろうけれど、何しろ丈が股の半分しかない。スカートじゃないというのは気分だけの問題で、足元はスウスウするし、穿いているのか穿いていないのか心許なくて、実際はミニスカートを穿かされているのと変わらないのだ。ぼくはどうも菜穂子の騙されたような気がしていた。