第3章 情報管理部にて

 女はみんな体を武器にして出世しているような部長の言い方に無性に腹が立った。昨日までだったら、そんなことは笑って済ませるだろうけど、女となった今、笑ってすませるには、あまりに酷い暴言だと感じた。
 ぼくは自分がいつもと違っているのも忘れて、情報管理部のドアを乱暴に開けると、自分の席に着いた。
 しばらくして、部内が少しざわめいているのに気がついた。その時になってハッとなった。部長の言葉に興奮していたものだから、女になったことをすっかり忘れていた。ぼくとは一番仲のいい小泉和美がぼくに恐る恐る近づいてきた。
 「あのう。もしかして、杉本さんよね」
 ぼくは下を向いて、声を落として答えた。
 「はあ、そうだけど・・・・」
 「ほんとに、杉本さんよね」
 そう言って、ぼくの顔をじっと覗き込んだ。
 「そう・・・・」
 「ぜんぜん違う人みたい」
 「違わないよ。ぼくはぼくだよ」
 「お化粧もしてないのに、何だか女の人みたい・・・・」
 「気の所為だよ」
 「そうなの? おかしいわね」
 小泉さんは、首を傾げながら、向かいの椅子に腰掛けた。ぼくは、顔を見られないように、モニターの陰に隠れた。
 時々小泉さんが、モニターの横から顔を出してぼくを見つめた。ぼくは恥ずかしくって、終始下を向いていた。

 正午になった。いつもなら、弁当を持ってきている女子社員2名を残して、みんな出て行く。ぼくは、小さくなって椅子に座ったまま、みんなが出ていくのを待っていた。みんなとは違うところに行かなければ・・・・。
 「杉本さん、お昼、一緒にどう?」
 恐れていたことが起こった。小泉さんが誘いに来たのだ。一年の半分以上は、小泉さんと一緒に昼食を食べに行く。一昨年の春、ぼくが結婚するという噂が立ったとき、相手は小泉さんに違いないと言われてきた。それくらいぼくと小泉さんは仲がいいのだ。馬が合うって事だ。
 ただ、ぼくは結婚相手としては考えていなかった。小泉さんの方がどう思っていたかは知らないんだけど・・・・。
 「ねえ、一緒に行きましょうよ?」
 「ちょっと、今日は・・・・」
 「わたしと一緒じゃ、イヤなの?」
 「そ、そんなことない。そんなことないよ」
 「じゃあ、一緒に行きましょう?」
 仕方がない。ぼくは小さく頷いた。

 他人に視線が気になる。こんなことは生まれて初めてだ。ぼくは、小泉さんの後を項垂れてこそこそと付いていった。
 ショウウインドウに映る自分の姿を横目でちらりと見た。まるでオカマだよな。女性ホルモンを飲み始めて女性化した男が、それを一所懸命隠してるって感じだよ。
 すれ違う人たちも、ぼくの姿を見ては振り返っている。あからさまに嫌な顔をする中年のサラリーマンもいた。もうどこかへ行ってしまいたいよーーーー。

 時々昼食を取りに行く喫茶店へ行った。店の前に3人ほど待っていた。ぼくと小泉さんも並んで順番を待った。
 3人のOLは、おしゃべりに夢中で、ぼくには気づかない。ホッとする。しかし、しばらくして、3人のひとりがぼくに気づいた。
 ぼくの方をちらりちらりと見ながらひそひそと話しをしている。唇の動きで、オカマと言っているのが分かった。もうイヤだあ。と叫んで逃げ出したい気持ちを抑えて、じっと立っていた。
 店の中に入っても、3人のOLは、時々ぼくを見ている。女ってのはイヤだなと思った。男なら、すぐに話題を変えてしまうのに。
 「杉本さん、何にする?」
 「日替わりランチを」
 「日替わりランチをふたつね」
 注文を受けたウエイトレスは無関心そうに去っていった。お客に特別な関心を持たないように訓練されているのだろう。
 しばらくして運ばれてきたランチを食べながら、小泉さんもぼくをちらりと見ていた。食べ終わってコーヒーを飲む段になって、小泉さんはぼくに話しかけた。
 「杉本さん。あなた、杉本さんの替え玉でしょう?」
 替え玉だって!? そんな風に見えるのか。
 「ちょっと待って。トイレに行って来る」
 朝行ったきりだった。あんまり水分を取っていないので、ずっとトイレには行っていなかったけれど、急に行きたくなった。

 トイレに向かって歩いていく。トイレの前に来て、はたと立ち止まった。この喫茶店のトイレは男女別々になっている。いったい、どっちに入ったらいいんだ? しばし考えた。
 ぼくは今、男の格好をしている。中身は女だけど、女性用には入れないな。そう判断して、男性用へ入った。
 立ってするなんてできないから、大の方へ入って鍵をした。最近は洋式のところも多いけど、ここは和式のトイレだ。洋式だと、便器に掛ける紙製のカバーがいるから、その分節約のために、こういう小さな喫茶店は和式のことが多い。
 ズボンのベルトを緩め、トランクスを下げて、座っておしっこした。今朝も自分のアパートでおしっこしたけど、何とも妙な感じがする。立ち小便が懐かしい。トイレットペーパーで拭いて、トランクス、ズボンをあげて、外に出た。
 個室の外にある立ち小便用のトイレで男が小便していた。ぼくの顔を見ると、ビックリしたような顔をした。
 「何だ。おまえ。男なのか?」
 ぼくは何も言わずにトイレを出た。男は、トイレから出た後も、ぼくの方を睨んでいた。そんなに睨むことないじゃないか。こっちにだって理由があるんだから・・・・。

 テーブルに戻ると、待っていたように小泉さんが話しかけてきた。
 「ねえ、どうなの?」
 「どうって?」
 「惚けないでよ。あなた、杉本さんじゃないんでしょう?」
 「杉本だよ。杉本千春」
 ぼくは口を尖らせてそう答えた。
 「嘘!! あなた、どう見ても男じゃないわ」
 ぼくは店内を見回し、声を落として話しを続けた。
 「違うよ。ぼくは杉本だってば」
 「あくまで、しらを切るつもり?」
 「ぼくが杉本千春でなかったら、誰だって言うんだよ」
 「お姉さんか妹さんが、化けてるんでしょう?」
 「何でそんなことしなくちゃいけないんだよ。ほんと・・・・」
 「急な病気で来られなくって・・・・。そうだ。今日はプレゼンテーションの日だから、身代わりをした。そう。きっとそうよ。白状しなさい!」
 「ぼくには、女の姉妹はいないよ。知ってるだろう?」
 「・・・・でも、あなたは杉本君じゃないわ」
 「そんなことないってば。ぼくは杉本だよ」
 「そんなの信じられないわ」
 「もう、ほっといてくれよ。小泉さんには関係ないだろう?」
 「関係なくはないわ。杉本さんのこと、心配する権利があるんだから」
 「何の権利だよ」
 「それは・・・・」
 ぼくには分かっている。小泉さんがぼくのことを心配してくれるわけが・・・・。でも、それを言ってもいいものか・・・・。
 「それはともかく、あなたは杉本さんじゃないわ。こんな胸がある杉本さんなんておかしいわ」
 そう言って、小泉さんはぼくの胸をぐいと押した。サラシの上から、グニュッと胸が押された。
 「それ、男でない証拠よ」
 ぼくは涙ぐむ。
 「何、泣いてんのよ。あなたが正直に白状しないからいけないのよ」
 「ぼくは杉本千春だってば」
 「まだそんなこと言ってるの? あきらめの悪い人ね」
 「さっき、小泉さんがぼくのことを心配する権利があるって言った理由。ぼくには分かってるよ。ぼく、杉本千春と小泉さんしか知らないことだから」
 ぼくは、さらに声を落としてそう囁いた。
 「嘘! 口から出任せを言ってるんだわ」
 「このことは誰にもしゃべってないから、それは話せば、ぼくが杉本千春だってこと、信じてもらえるかな?」
 「そうね。わたしが納得したら、信じてあげるわ」
 「じゃあ、話すよ。よく聞いてよ」
 ぼくは、コーヒーをぐっと飲み干して、話し始めた。

 「ぼくと小泉さんは、同期生だ」
 「そんなこと、誰でも知ってるわ」
 「入社して初めての5月の連休が終わったとき、小泉さんのコンピューターが死んでしまって立ち往生した。それをぼくが治してやったのが、仲良くなった原因だ」
 「それも会社のみんなが知ってることよ」
 「2年ちょっと前、ぼくが菜穂子と付き合い始めたとき、童貞だったぼくは、どうしていいのか分からず、小泉さんに相談した」
 小泉さんは、ちょっとビックリしたような顔になった。
 「小泉さんは、自分は処女じゃないから、うまくやれるように練習させてあげるって言って、ぼくと寝てくれたんだ」
 「そんなこと他人にしゃべるなんて、杉本さんなんて絶交よ」
 「だから、誰にもしゃべってないって。ぼくが杉本なんだから」
 「まだ信じられない」
 「行ったラブホテルは、『叶い星』て言う名前だった」
 小泉さんの目が少し真剣になった。黙ってぼくを見つめる。
 「あの時の小泉さんの格好は、えっと、確か、黒と間違うような濃い紫色のワンピースで、ぼくが喪服みたいだねって言ったら、紫よって、天井の光に透かしてぼくに見せたんだ」
 「そんなことまで杉本さんはあなたに話したの?」
 「ぼくが杉本だって」
 「信じられない。信じられない」
 「ブラジャーもパンティーも紫色だったよ」
 小泉さんは頭を押さえる。
 「初めてだったぼくは、小泉さんの中に入れたかと思ったら、あっという間に暴発しちゃって・・・・」
 小泉さんは口をあんぐり開けてぼくの話しを聞いていた。
 「その後、ちゃんとできるようになるまで、3回ぼくにつきあってくれた」
 「・・・・嘘でしょう?」
 「小泉さんの右の胸の乳首のすぐ下のほくろがある。左の内股にもほくろがあって、ちょうど北斗七星のように並んで・・・・」
 「もういいわ。分かった。あなたが杉本さんだって認める。じゃあ、どうして、おっぱいがあるの? 昨日まではどうもなかったのに? まさか、昨日のうちに豊胸術を受けたってことはないでしょう?」
 「まさか。そんなことしないよ。ぼくに、そんな趣味はないよ」
 「そうよね。あなた、いつも女の子みたいだって言われて、怒ってたもんね」
 「うん」
 「じゃあ、その胸は偽物なのね。今日のプレゼンテーションで使って、そのままにしてるんでしょう?」
 「違うよ。違うんだ」
 小泉さんは首を傾げる。
 「じゃあ、何だって言うのよ」
 「これは本物だよ。本物の胸なんだ」
 「訳が分からないわ。一晩で、男のあなたの胸が大きくなったとでも言うの?」
 「その通りなんだ」
 「ええっ!?」
 小泉さんは、ポカンと口を開けた。
 「今朝起きたら、大きくなっていたんだ」
 「そんな馬鹿なこと・・・・」
 「ホントなんだよ。みっともないから、菜穂子がサラシを巻いてくれたんだ」
 「へええ。どうしてそんなことになったのかしら?」
 「ぼくにはまったく分からないよ」
 「・・・・声も高くなったみたいだけど、胸だけなの?」
 できるだけ低い声でしゃべっているのに、小泉さんはさすがに鋭い。気が付いたみたいだ。
 「もう隠してもしょうがないから言うよ。胸が大きくなっただけじゃないんだ。ぼくね、女になってしまったんだ」
 「ええっ!?」
 小泉さんが大きな声を上げるものだから、店の中にいた人たちが一斉にぼくたちを見た。
 「大きな声を出さないでよ」
 「ご、ごめん。あんまり奇想天外なことを言うから・・・・」
 小泉さんは小さくなって言い訳した。
 「信じられないのは、ぼくも同じだよ。こうしているぼく自身が一番信じられないんだから」
 「ホントに女になっちゃったの?」
 「ああ」
 「あそこも?」
 「うん」
 「・・・・腟が・・・・あるの?」
 「・・・・指、入れてみた訳じゃないけど、あるんじゃないかな?」
 「信じられない。どうしてそうなったの?」
 「分からないって言っただろう? 今朝起きたら、こうなってたんだ」
 「ふーん」
 小泉さんはまだ信じられないと言う顔でぼくを見ていた。
 「見せてって言うわけにはいかないわよね」
 「あ、当たり前だろう」
 「そうよね・・・・」
 「明日になったら、元に戻るかもしれないから、みんなには内緒にしておいてくれないかな?」
 「うん、分かったわ」
 残りのコーヒーを飲みながら、小泉さんは、どうしてだろうとブツブツ呟いていた。

 午後の仕事を始める時間が迫っていた。ぼくと小泉さんは慌てて会社へ戻った。小泉さんは、午後の時間中、ぼくをちらりちらりと見ていた。ぼくが杉本千春だと認めると言ったけれど、ホントはまだ信じていないようだ。信じて貰うためには、股間を晒すしかないんだけど・・・・。沢口部長には見せられないけど、小泉さんなら、裸で抱き合ったこともあるし、今は女同士だから、どうしてもと言われれば、見せてもいいかなと思っていた。

 一日が終わった。ぼくはホッと胸をなで下ろす。菜穂子の待つアパートに早く帰りたい。
 バスには乗りたくなかった。また痴漢に遭いそうな気がしたからだ。会社を出て、すぐにタクシーを拾ってアパートへ向かった。
 「お嬢さん、いつも男の格好してるのかい?」
 参った。完全に女だと思われている。ぼくは男ですなんて言った方が、むしろおかしいかなと思って、ぼくは女として話しをした。
 「女の格好をしていると、痴漢が寄ってきて困るのよ」
 「お嬢さん、美人だからね」
 ルームミラーの中の運転手がにこりと笑った。ぼくは言葉に詰まる。
 「あ、ありがとうございます」
 「しかし、やっぱ、女の格好した方がいいんじゃないのかねえ。もったいないような気がするよ」
 「そうですか?」
 ぼくって、そんなに美人かなあ。へえ、そうなんだ。女になってしまったことで、気が動転していて、そんなことは思っても見なかった。
 「ああ。ワシがもう少し若かったら、すぐにでもプロポーズしたいところだ」
 「まあ、ご冗談を」
 「いや、勿体ない」
 タクシーの運転手は、アパートに着くまでそんな調子でおしゃべりを続けた。
 「毎度あり。2080円です」
 「どうもありがとうございました」
 「スカート、穿きなさいよ。その方が似合うと思うよ」
 そう言い残して、タクシーは去っていった。