著書『「日本合州国」への道―こうしたら「分権」は実現する』 (東洋経済新報社・1995年1月初版)から
私の道州制論  
大分県知事 平松守彦

 
 

 
 

も く じ

1  分権論を整理するポイント
 (1)組織と区域で見る
 (2)事務権限と財政権で見る
 (3)分権は手段である
2  有力試案へのコメント
 (1)第2次行革審の「国と地方の関係等に関する答申」
 (2)第23次地制調の「広域連合及び中核市に関する答申」
 (3)第3次行革審の「パイロット自治体制度」(第3次答申)
 (4)第3次行革審の最終答申と行革大綱
 (5)恒松制治氏・行革国民会議の「連邦制」論
 (6)大前研一氏・平成維新の会の「道州制」論
 
 ★ わが九州府構想――「分権」は階段を登れ ★

 

1 分権論を整理するポイント

 

 地方分権と一口に言っても、分権後の姿をどのように描くかによって、さまざまな議論がある。中でも最もはなばなしく、また耳目を集めているのが、「連邦制」や「道州制」など、行政組織をめぐる大胆な改革案だ。  
 ここではまず、地方分権論を整理するうえで大事なポイントをいくつか取りあげてみよう。

(1)組織と区域で見る

 

◎「単一国家」か「複数の国家の連合体」か 
 まずそもそもの国の成り立ちをどう考えるかという点がポイントになる。
 例えば「連邦制」というのは、複数の国家(邦)の存在を前提にして、その邦が共同の連邦政府をつくると考える。邦はそれ自身国家なので、徴税権も裁判権も持つ、そして連邦政府には、邦の権限の一部を譲って、国防や外交など統一国家として必要な仕事をまかせると考える。  
 連邦制の実際の例としては、アメリカ合衆国を考えればいい。アメリカ合衆国は英語では「ユナイテッド.ステイツ・オブ.アメリカ」(United States of America)というが、この「ステイト」(State)が「邦」に当たる。日本ではこれを「州」と訳して、都道府県と似たようなものとして理解している人も多いかもしれないが、基本的な成り立ちは今述べたようにまったく別のものだ。クリントン大統領やかつてのカーター大統領のように、アメリカでは州のガヴァナーから連邦政府のプレジデントが生まれることが多いが、これはアメリカが連邦制の所以でもあるのだろう。  
 連邦制論は、中央集権体制を解消するために、日本をアメリカのようにいくつかの邦で構成される連邦国家にしようと主張する。日本を大きなブロックに区分けするという点では「道州制」と似ているが、国家の基本的な構成そのものを変革しようという、非常にラディカルな発想にもとづいている点が違っている。

 

◎「二層制」か「一層制」か  
 次に一つの国家(あるいは邦)の内部で、何段階の地方政府を置くかという点が問題になる。  
 現在の日本の地方行政組織は、基本的に市町村と都道府県という二つのレベルで構成されているが、こうした構成を「二層制」という。これに対して、国の下に「基礎的自治体」だけを置く場合、これを「一層制」という。  
 一層制の場合は、都道府県のような中間的な組織は認めない。右で見た連邦制論者の多くは都道府県不要論者でもあり、邦の内部には基礎的自治体があればいいとしている。  
 また、かつて明治期の日本には、市町村と府県の間に「郡」という機関が置かれていた 時期があったが、この時は「三層制」を取っていたということができるだろう。
 

◎「受け皿」をどうするか  
 次に、一層制をとるにしても二層制をとるにしても、第一、第二の層をどのような区域で構成するかという点が問題になる。これは「広域行政」の問題、あるいは「分権の受け皿」論として主張されるものでもある。  
 単純に分類すると、現行の都道府県や市町村を統合してもっと広域化しなければならないという意見と、現行制度を維持しつつ分権化をはかろうという意見に大別できる。第二の層(都道府県)から見ていくと、広域化論には、都道府県を廃止して全国を数ブロックに区分し、そのブロックに地方政府としてのより大きな権限を与えるべきだとするもの(いわゆる「道州制」)、現行の府県の性格を維持しつつも、もっと行政能力の高い自治体にするために「府県合併」を進めようというもの、あるいは複数の府県が共同して広域的な行政事務を処理するための機関を設置しようというもの(「府県連合」「府県共同体」)など、いくつかの案が提唱されている。  
 また、こうしたやり方とは別に、まず国の地方出先機関をブロック単位に統合し、国の 機関としての「地方府」(「地方庁」)を置いて、そこに中央省庁の権限を委譲させることから始めようという考え方もある。次節で詳しく述べるが、私の九州府構想は、基本的にこの立場を取っている。  
 第一の層、つまり市町村にあたる基礎的自治体をどのように構成すべきかという点に関しても、都道府県の場合と同じようにいくつかの立場がある。  
 連邦制論者や道州制論者のほとんどは、都道府県の廃止・統合とあわせて市町村をもっと大きな単位に再編すべきだと主張している。またそのほか「市町村合併」を推進しようという意見も根づよくあるし、さらに「中核市」制度や「広域連合」を構想するもの(第23次地方制度調査会の答申など)もある。  
 反対に現行の制度を維持すべきだという意見には、100年以上続いてきた都道府県制の意義を積極的に評価すべきだというもの、あるいは住民自治尊重の立場から、現行の市町村のサイズは適当であり、広域的な行政需要に対しては「一部事務組合」のような共同処理機関を設ければ十分だというようなものがある。

(2) 事務権限と財政権で見る

 

◎事務の分担と機関委任事務  
 地方分権論は、行政事務の権限を国から地方に委譲すること、また国の地方に対する規制をできるだけ排除することを原則としている。この点に関して問題となるのは、国や地方自治体の事務・事業として、それぞれどんなものを想定するかという点だ。  
 基本的に国防、外交、通貨管理などを国の事務とする点では異論は少ないが、経済政策や福祉・教育にかかわるナショナル・ミニマムの保障などをどの程度国にまかせるのか、あるいはそれらも思い切って地方の仕事とするのかという点は、立場によって意見の分かれるところだ。  
 また地域経済の振興にかかわる産業政策や都市計画などの地域づくり、老人福祉をはじめとする福祉政策などを、どのレベルの機関がどのように担当するのがベストなのかという点も、具体的に検討されなければならないポイントだろう。  
 さらに、いろいろと問題の指摘される機関委任事務の扱いに関しては、原則的に廃止す べきだという意見が多いが、現在は原則論の段階から、現実的・具体的な検討が求められる段階にきているといえるだろう
◎財政権と税財源
 財政や税財源に関しては、右の事務分担と密接な関係を持っている。そもそも権限の委譲だけ進んでも、財源の保障がなければ自律的な行政など成り立ちようがない。  
 財政問題を究極的に規定するのは税源の問題なので、どの税をどの機関にどのような方法で分配するのか、例えばドイツのように、租税収入の相当部分(約70%)を連邦と州の共同税とし、原則として州が徴収して一部を連邦に渡す共同税制度などは、大いに検討されていいだろう。  
 また、財政自主権の問題として、地域の特性に応じた税目や税率の決定など課税自主権をどこまで認めるのかという点や、運用上相当緩和されているとはいえ地方債の許可制度のあり方などは、抜本的な改革を考える際には、現実的な検討を必要とする問題だ。  
 さらに、分権化が進んでも、地方間の財政格差は当然生じるだろうから、国と地方問の税目の再配分と課税の仕組みを検討する中で地域格差をできるだけ小さくする工夫が必要 となるほか、現行の地方交付税制度のあり方を含め財政調整制度をどうするかという点も重要な論点だ。

(3) 分権は手段である

 

 そのほか、一挙に革命的にやろうとするのか現実的・段階的にやろうとするのかという方法論の問題や、国際貢献国家として国家体制変革の必要性から地方分権を唱えているのか、それとも生活や地域を重視する立場から唱えているのかという動機の問題、さらに国家を分割することが主要な関心なのか、それとも都道府県制度の改革が問題なのか、あるいは市町村レベルの自治の拡大を重視するのかという問題等々、いくつかの視点を提示することができる。  しかし大切な点は、なぜ分権が必要で、分権を行えば現状よりもどういう点がよくなるのか、また分権された権限は本当に清潔・公平に行便されるのかといった地域住民の素朴な問いに、それぞれの分権論がどのように答えているかということだと思う。
 私は「地方分権は手段であって目的ではない」と考えている。つまり地方分権は、地域住民の生活水準の向上と、地方のことは地方の住民が自らの手で解決することができるという地方自治システムの確立のためにこそ必要とされている。  
 この点を強調して、以下、実際にいくつかの分権論を見ていくことにしよう。