『毎日新聞』 2003年6月25日号より連載・全25回
2003年7月25日号<18>

地域の自立戦略【18】
「来れ、アジアの若者たち」

〜新公民協力で実現〜

前大分県知事 平松守彦


 ローカル外交でちょっと触れたが、人づくりでは立命館アジア太平洋大学(APU)
を取り上げなければならない。

 この大学は2000年4月の開学で、アジア太平洋マネジメント学部とアジア太平洋
学部の2学部がある。4年生で1学年800人。留学生と日本人が半分ずつの400人で、
当初予定していた20カ国を上回る60カ国から学生たちが集まってきた。

 来年春、初めての卒業生が出る。期待で胸がワクワクする気持ちを押さえ切れな
い、といった心境だよ。学生たちが日本にとどまって就職するのか、更に勉学を続
けるか、それとも母国に戻って大分との懸け橋となってくれるのか。

 ところで、<なぜ大分に国際大学?>と疑問に感じる人は多かったと思う。これ
はいろいろな出会いが重なって誕生したのだ。

 ローカル外交をやっているうち、フィリピンとは特に親しくなった。1995年、マ
ニラでマグサイサイ賞を頂いた時、賞金はアジアの人材育成のため大学建設資金に
すると発表した。

 私はかねがね企業誘致を並んで、県文化部にずっと大学誘致を指示していた。「
新しい学部をつくりたい大学は、大分に土地がありますよ」とね。そこで全国の大
学に、大分に新大学をつくる気があるかどうかアンケートをした。

 応募があったのは立命館だけだった。1995年ごろだったと思う。で、どんな大学
にするか立命館側と話し合った。私は先に述べたように「アジアを舞台に、世界で
活躍する人材を育成したい」という考えを持っていた。立命館側も、開学100周年
記念事業として、国際性に富む新大学の設立を検討していた。

 話はトントン拍子に進んだ。大学用地(45ヘクタール)は別府市が無償提供し、
県が建設費(150億円)を支援する。運営は立命館大学が責任を負う、という新し
い公民協力の体制が出来上がった。

 APU開学の理念には、私の考えも入れられ「アジアの人々の心をつなぐ大学とす
る」など4項目が定められた。とまあ、ここまではすんなり進んだと言っていいだ
ろう。

 問題はこの後だった。第一に学生集め。400人の留学生をどうやって集めるのか。
そして、奨学金をどうするのか・・・。難問が待ち受けていた。


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