第26話
石 橋 考
−善意と祈りと名技−



 「日本一の水路橋、明正井路。ローマの遺跡を思わせる大きな水路橋です。大正8年に完成。大野川流域には多数の石橋が存在しますが、この石橋は6連で、通水用の橋としては日本一の規模です」(「詩城の旅びと」)  
 社会派推理小説の巨匠、故松本清張さんは大分県中央を貫流する大野川を「母なる川」と呼び、青年時代ここを渡し船で渡ったことを話してくれた。私は1985年梅雨どき、先生をアジサイの咲く普光寺の磨崖仏に案内し、大野川上流の竹田市まで同行した。  
 滝廉太郎作曲になる「荒城の月」の原景となった「岡城址」と南仏プロヴァンス地方の廃城「レ・ボー」。竹田市入田(にゅうた)の湧水と仏のミネラルウオーター「エビアン」。アヴィニョンとニームの間にある口ーマ時代の水道橋ポン・デュ・ガールと緒方町に架かる明正井路を結びつけた清張さんのサスペンス小説「詩城の旅びと」はテレビでも放映された。

〈なぜ、九州に石橋が〉

 大分県には長崎市内の眼鏡橋や、熊本県の通潤橋といった全国に名の通った橋はない。しかし、橋長116メートル、8連アーチで日本最長の石橋「耶馬渓橋」や6連水路橋で日本一の明正井路をはじめ大小合わせて県下に493基の石橋があり、数では日本一と言われている。古来、国東半島をはじめ各地に石仏、石塔も多く石橋と並んで石造文化の中心地となっている。なぜ、こうも石橋が多いのだろうか。  
 まず、地形的に平野部より山間地域が多く、トンネルも400以上で全国屈指。中小河川と道をつなぐ橋が昔から住民には不可欠の交通手段だった。長崎や鹿児島あたりでは市部に石橋が目立ち都市計図による幅員拡大や水防対策上の観点から石橋が姿を消しつつあるが、大分の場合、山村地域に石橋が存在し、文化財、観光資源として、保存しようとする機運も高まっており「大分の石橋を研究する会」もある。

8連アーチが美しい耶馬渓橋(本耶馬渓町提供)


〈石橋は心に呼びかける〉

 石橋は九州からはじまった。台風常襲地帯で地形急峻な長崎では1600年代に20基の石橋が造られ、石橋文化の発祥地となった。
 当時、長崎は鎖国時代唯一の開港地で、中国華僑が居住し、一人の富商が私財をなげうって石橋を架橋、他の中国人がこれに負けじと私財を投じ、半数以上の石橋が善意の競争の所産という。1679年、ト意和尚が狂僧と呼ばれながらも贖(しょく)罪のため托鉢を続け、桃渓橋を建設した。「青の洞門」で殺人の罪を償うため一人で鑿(のみ)をふるった禅海和尚にも似ている。  
 諌早でも1839年竣工した眼鏡橋は、費用の3分の1は領主の下げ渡しであったが、3分の1は篤志の僧が托鉢し、3分の1は住民が本明川に橋が架かれば年貢運びに困らなくなると、地元民がボランティアを買って出た。屈強の男が幾度か労働奉仕に汗を流し、石工達もアーチ組みに技術力を発揮、完成させた。  
 1957年大洪水にも流失せず、逆に上流より流れてきた家屋や木材をせき止めたため、流れが護岸を破り、中央の商店街は全滅した。水害後、この橋は解体移築され、市内公園内によみがえった。橋解体の際、男女の彫刻が出土。一度組合わされたアーチが二度と離れぬよう固い男女の契りにあやかって祈りをこめたものと思われる。  
 石工達も、精魂こめて石橋造りに励んだ。昔から肥後石工の源流をなす三五郎一族は技術力・組織力を持って、熊本、大分、鹿児島に193基を架橋し、鹿児島の甲突川の五大石橋も肥後石工やその流れをくむ一族の「入魂」の技だ。まさにルネッサンス時代、ミケランジェロが主への祈りをこめて大聖堂を設計、建築し、天井に壁画を描いたように九州の石橋は、人々の善意と祈り、それに石工の名技が三位一体となって芸術的香り高い文化作品を作り上げ、それが今日見る人の心に訴えるのだ。


〈ローマ帝国の石橋〉

 冒頭にローマ時代の水道橋にふれたが、西暦99年、属領出身で初のローマ皇帝となったトライアヌスは建築家アポロドロスに命じてドナウ河に全長1135キロ、高さ27メートル、幅12メートルの石橋を築造させた。シーザーのライン河橋は木製だったが、ドナウ橋は道路と同じ高さだと春の増水期に水をかぶるので、離れた地点から大きくまたぎ、石は橋桁部分に使われた。  
 ここで特記すべきは、ローマ帝国では皇帝の責務を(1)安全保障(外交)(2)国内治安(3)道路、橋などインフラ整備と定め、インフラ整備の費用は国庫ではなく皇帝公庫より支出した。国土交通大臣を皇帝が兼務したようなものだ。自らの財布で自ら好む建築家に橋の設計をさせた。  
 彼の思いは、帝国の離れた地とローマをつなぐルートを確保することによって「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和)を実現し、だれもがどこへも最短距離で安全に旅が出来るようにすることだった。「すべての道はローマに通ず」−。インフラの全圏的整備はトライアヌス皇帝の祈りをこめたプロジェクトだった。(塩野七生「ローマ人の物語」)。橋や道路の建設にも哲学が欠かせないことがうかがえる。

(大分県知事 平松守彦)


読売新聞6月15日号より





--- 戻る ---