第24話
豊 後 水 道 の 春
−海が結ぶ「津々浦々」連合−



♪ 春は何日早かった 風もうららで甘かった
  海猫の棲む島を ぐるりとひとまわり
  何を想うか 豊後水道
 
 阿久悠さん作詞「豊後水道」の一節だ。
 豊後水道は豊予海峡ともいう。国土地理院によれば、地名は、市町村から提出された調書に従って表示される。1973年、大分県佐賀関町からの申請によって「豊後水道」が正式名称となった。
 九州と四国の間にあり、瀬戸内海と太平洋をつなぐルートでもある。特に佐賀関地蔵岬と四国佐田岬の間は13.5キロと最も狭く、晴れた日は関崎の高台から四国が見える。海岸部はリアス式で、出入りが多い。古来、潮流の速いところで知られ「速吸(はやすい)の瀬戸」の異名を持ち、ここで育った魚は「関アジ」「関サバ」など身が引き締まってうまい。

黒潮と内海の潮流図 文化伝える道
 海は地域と地域を隔てるバリアでなく、「文化を伝える水の道」であり、文化・エネルギー・産物を生み出す「母なる道」でもある。
 日本神話にある神武天皇の東征ルートは、豊後水道を北上し、関門海峡から洞海湾に出て、再び関門に戻り、中国地方沿いに大和に至る。なぜ、豊後水道からそのまま東に向かわず、いったん関門から玄界灘に出て再び瀬戸内海に戻ったのか。
 現代人より古代人の方がはるかに自然を知っていた。実は豊後水道から流入した潮流の一つは西に向かい、関門を出て対馬海流と合し、一つは東へ向かい、塩飽諸島付近で紀伊水道から流入した潮と合する。東征の途はこの潮流に沿ってルートが定められたのだ。(図参照)
 豊後水道沿岸は「海部郡(あまのこおり)」と呼ばれ、「豊後風土記」にも「この郡の百姓は、みな海べの白水郎(海人〈あま〉の異称。白水は中国の地名)なり」と記され、万葉集に白水郎の歌がある。
紅に染めてし衣(ころも)雨ふりてにほいはすとも移ろはめやも
 海女の色香漂う名歌だ。
 時代は下がって1600年4月。東洋に向かってオランダの港を出帆した5隻の船団がマゼラン海峡を経て、太平洋上で暴風雨に遭い、たった1隻リーフデ号(300トン)が黒潮に乗って豊後水道を北上、臼杵市黒島に漂着した。
 乗船者のうち、英国人航海者ウイリアム・アダムスは、海路で瀬戸内海から大阪堺港に入り、大阪城にて関ヶ原合戦に勝利した徳川家康に謁見(えっけん)、後に「三浦按針」と改名し、江戸幕府の外交顧問となった。
 昨年4月、「日蘭交流400周年記念式典」が日蘭両国の皇太子を迎えて臼杵市で開催されたことは記憶に新しい。
 戦後復興期には、大分・鶴崎臨海工業地帯をはじめ瀬戸内海沿岸の鉄鋼・石油コンビナートへ石油、鉄鉱石を積載したタンカー、専用運搬船がこのルートを通り、高度経済成長の原動力となった。

海峡交流圏
両岸地域交流の歴史も古い。
 「道後の湯は、別府から地下の樋(とい)をかけて引いた」という伝説もあるし、平安中期、承平・天慶の乱のころ、藤原純友を将とする海賊団に豊後海部郡の佐伯基次が次将に名を連ね、豊予連合水軍が海峡を制圧した。
 戦後、人的交流はさらに進み、別府の旅館業者の3分の1は伊予からの参入者といわれ、国東半島のみかん栽培は、伊予みかん栽培技術をもった入植者によって始められたところが多い。現在、海峡を結ぶ国道九四フェリーも、1日16便が運航している。
 1982年(昭和57年)、豊予交流圏を拡大し周防灘地域を含めた「西瀬戸経済圏」構想が故・白石春樹愛媛県知事によって提唱され、愛媛・大分・広島・山口・高知・福岡・宮崎七県知事をメンバーとする「西瀬戸経済圏関係知事会議」の第1回会合が大分で開かれた。今日まで毎年行われ、同海域の環境保全、赤潮対策、物産展、民間文化団体による交流推進事業の開催など各分野で共同の取り組みがなされている。

関崎海星館
晴れた日は、関崎から四国の佐田岬がよく見える
(手前は佐賀関町立「関崎海星館」)
津々浦々連合
「地中海はキリスト教圏、イスラム教圏など多様な文化と民族、東洋的なるものと西洋的なるものとが共生する〈多様にして活気に満ちみちた生命〉であり〈歴史的人物〉である」。ブローデル(1902−85)の指摘のように陸地的世界の発想でなく、海洋的発想で瀬戸内海を考え直してみたらどうか。
 日本は庭園の島々(ガーデンアイランド)から成る連合体である(川勝平太「海洋連邦論」)。特に瀬戸内海は、新全国総合開発計画で明記された山陽道−関門海峡−九州に至る「西日本国土軸」と、紀伊半島−紀伊水道−四国−豊後水道−九州に至る「多自然居住地域」を結ぶ「太平洋国土軸」の、各地域をリンクさせる津々浦々連合の母体なのだ。
 いま、瀬戸内文化圏の形成や関門、豊予、紀淡の3海峡横断プロジェクトを視野に入れた環瀬戸内経済圏の構築などを目指し、沿岸13の自治体と、関西、中国、四国、九州の4経済団体で構成される「環瀬戸内フォーラム」構想が浮上している。その進展が注目されるが、海からの視点は今後ますます欠かせなくなるはずだ。

(大分県知事 平松守彦)


読売新聞4月20日号より






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