第19話 
「ルイス・デ・アルメイダの
情熱」





大友宗麟とアルメイダ
 大分県・市教育委員会が発掘調査している同市顕徳町の大友館跡から正殿跡と見られる大型建物の礎石の一部が見つかった。「ベトナム、タイ、中国の焼き物やロザリオの珠も発掘され、南蛮貿易が盛んであったことがうかがえる」と地元紙が報じている。
  16世紀末の大友時代、大分は府内と呼ばれ、「府内古絵図」には約200メートル四方の館が記されている。今回の発掘調査で古絵図そのものの信憑性も高くなったと言えよう。
  大友宗麟(そうりん)(1530−1587年)。戦国大名で、豊前・豊後地方を平定し、そのころポルトガルで描かれた地図には九州の中央に「BUNGO」と記されている。キリスト教に帰依し、フランシスコ宗麟と称す。当時府内には教会、コレジオ(神学校)が建ち、病院では日本で初めて西洋医術による手術が行われたという文献もある。
  一方、ルイス・デ・アルメイダ(1525−1583年)はリスボンに生まれ、外科医としての免許を受け、23歳にして東インドを中心に貿易商として活躍、膨大な資産を蓄えた。リスボンから東インドに向かう船中で、3人の神父と2人の修道士(いずれも日本へキリスト教伝道に渡来したフランシスコ・ザビエルの弟子であった)に出会った。彼らの烈しい信仰と「ジパング」に、生き方が変わった。

ルイス・デ・アルメイダの胸像
 1555年、ジパングつまり日本国の平戸に上陸。戦乱の炎火につつまれ塗炭の苦しみにあえぐ貧しい人々を救おうと決意し、翌年、イエズス会士となる。
 府内の宗麟に病院設立を出願し、自らの資産を提供、宗麟も土地を与え、57年、一般病人とハンセン病患者を別々に収容する病院を建てた。
 「彼らはこの国では何ら同情を受けることなく、天に呪われた者とされていたが、ここで多くの患者が治った。これは驚くべきことである」(マニュエル・テイセイラ「イエズス会士ルイス・デ・アルメイダ」成田勝・訳)
 一般病人のうち彼は外科を受け持ち、化膿創(かのうそう)の治療に当たった。日本語が堪能で患者と自由に話し合いが出来、200人以上の患者が治癒した。このため名声は京都、東北地方まで達し、僧侶、武士、著名人が次々に訪れ、1559年には早くも第二のより大きな病院が建てられた。
  戦国時代、悲しい庶民の口べらし手段として山野・海浜に捨てられたり、扼殺、溺死させられたりする子供たちがいた。彼は宗麟にこの現実を告げ、子殺し禁令を出させ、資金を提供して、乳母と乳牛二頭を備えた育児院も建設した。
 

病院と平等の思想
 
ここで忘れてならないのは、当時の日本人が慈悲深い事業に感銘を受け、洗礼を申し出た者が2年間で2千人を超えたということである。
  ザビエルに始まる日本での布教には、ポルトガル、スペインの植民地支配政策が背後にあったという「鉄と十字架」説や、宗麟などキリシタン大名が受洗し、熱心に布教した裏には南蛮貿易によって鉄砲、武器などを輸入したいという意図があった、という指摘もある。
 だが、一般庶民がアルメイダの病院治療を見て受洗したのは、現世的利益とイエズス会の指導者たちの強烈な信者獲得運動だけのものであったであろうか。  

史料にもとづいて復元された府内の病院
(写真はいずれもアルメイダ研修会館で)
  少し話がとぶが、幕末から明治初期にかけて、日本医学に大きな影響を与えたオランダの学者ポンペが「医者にとって病者は平等である」「医者はよるべなき病者の友」といったとき、当時の将軍の侍医や大名の侍医にとって、それは雷鳴を聞く思いがしたという。侍医にとって主君は友ではない。当時の医者は医学、病院にヨ−ロッパの社会思想そのものが付着していることさえ気がつかなかった。(司馬遼太郎『胡蝶の夢』)
 医学、病院は、ただ学問や治癒技術の場ではない。博愛・平等というキリスト教的西洋思想を伝える媒体であったという司馬の指摘は鋭い。すでに16世紀、大分に東洋では初めて造られた西洋医術の病院で大名、庶民の別なく平等に無料で手術、治療を行った。人々が「キリストという絶対的神の前には階級、貧富の別なく、すべて平等である」という教えを信仰したのは、当然の帰結てはなかったか。
  だが、この輝かしい業績を挙げた彼の病院も1562年以降、衰微してゆく。アルメイダが病院を離れて各地へ布教へ出たことによるが、イエズス会より病院禁止令が公布されたことにもよる。
  アルメイダはやがて神父となり1583年、イエズス会天草修道院長として死去した。こののち薩摩の島津義久の兵火によって病院も破壊される。

文化は死せず
  一粒の麦が地に落ちると、多くの果を結ぶ。約400年後、1969年アルメイダの名を冠した医師会立病院が吉川暉(あきら)氏(当時大分県医師会長、現・在大分ポルトガル名誉領事)によって大分市に生まれた。
  未来を先取りした病院と言われ、アルメイダメモリアルホーム・研修会館もあり、全国の医師会立病院のモデルとして見学者らが訪れている。96年からはメガビットの回線が、姫島村という離島の診療所とアルメイダ病院の間に結ばれ、遠隔地診断システムが試行されている。
  一人の人間がこの地に咲かせた医療文化は、長い間伏流水となって地下に潜み、長い年月をかけて、今日また地上に噴出した。文化は決して断絶することはない。

(大分県知事 平松守彦)

読売新聞11月17日号より 




 



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