序 章  泣いているようだった。  ねぎらいと賞賛の拍手の中で、いつもはネアカで笑ってばかりの彼らが、 涙を隠すように下を向いたり、上を向いたり。それでも追いつかず目頭に手 を当てているものもいる。  彼ら大分のコアラメンバーである裏方スタッフは、87年10月、初めて 地方都市・大分で行われたパソコン通信の全国大会「秋のネットワーキングフ ォーラム」の最後に、予定外のことに県外参加者の方々から乞われて会場に一 列に並び、感謝と賞賛の言葉を聞きその感激に浸っているのだ。全国大会が終 わった、という実感と、どこでもやっていないことをやり遂げた、という達成 感の感動が伝わってくる。会社を休んで二日間走り回ったスタッフ達の本当の晴 れ姿だっただろう。ふと振り返ると、大会実行委員長の東京大学公文俊平教授 までもが感激で目頭を押さえている。 ・・・そうか、やったんだ・・・と、遅まきながら私にも内から感慨深いもの が沸いてきた。  大分にコアラを本格的に認知してもらおうと東京に打ってでて約1年8カ月、 全国大会をお土産にしてやっと大分に帰り着いた、と言えるのだろう。これ で大分でコアラメンバーであることをいっそう誇りに思えるようになるだろう。  いや、コアラメンバーのみならず、参加者全員がネットワーカーでいることの 誇りと、この場に参加できたことの喜びをきっと先々まで感じるに違いない。 多くのジャーナリスト達が東京から集まって来ていた。そして書いている。 「これは単なる全国大会ではなく“事件”だ」 という。 「この1987年10月28・29日は、パソコン通信や電子ネットワークを社 会的に認知させた本当の革命的事件なんだ」 「明治維新が日本を変えたように、これこそ日本を変える“ネットワーク維新”な んだ。それも明治維新のように今回の維新も西から、九州から始まった!」 と興奮して評価してくれている。  日本初のネットワーカー知事、コアラ名誉会長の平松守彦大分県知事が基調講 演で述べた「県民の、県民による、県民のためのニューメディア」という言葉が 何度もパソコン通信の社会的有用性、コアラの先進性とだぶらせて引用された。  企業やユーザーだけでなく、全国から初めて国や自治体がパソコン通信の可能 性を論じるために集まり、これまでは「何に使えるのか?」と半信半疑にマニア の産物と見られがちだったパソコン通信を、社会生活に役立つとフォーマルに認 めあった最初の大会になったのだ。  まさに、パソコン通信はイノベーションとして認知されたのだし、それを認知 させようと大分に集まった人達は間違いなく日本の情報未来社会を自ら築き上げ ようとするイノベーター達だったのだ。  ジャーナリストの一人は、 「これまで法制的に鎖国状態であった国内通信市場もNTTの民営化、電気通信 事業法の改正で『開国』の時を迎えたのだ。・・・今大会は全国の志士達の 集まりだ。・・・・・あえて表現するならば、これこそ『ネットワーク維新時代』 と呼べるのではなかろうか。  大分という地方都市の開催にもかかわらず、地元コアラのメンバーはもちろん 全国各地のネットワーク運営者、ユーザー、メーカーや自治体の担当者など多く の人々が参加し、熱心な討論が行われた。そしてそのなかから、新たな人の輪が 生まれていく様子を目の当たりに見ることができた。  その輪のなかに、坂本龍馬を、高杉晋作を、そして西郷隆盛を見たのは私の錯 覚だったろうか」 とまで記している。  大分在住コアラメンバーは、一人一人は非力な学生であったり会社員であった り若い女子社員であっても、コアラの電子ネットワークで体験と知恵を互いに共 有しあうことで力を得て、歴史的な全国大会を開催者として完遂できたことに驚 きを感じているに違いない。加えて、彼らの“ネアカ・ハキハキ・マエムキ”が 参加者全員に伝染してしまった、と、皆が異口同音に言い、新聞記事も雑誌記事 にもそう書いてくれているのも嬉しい。  こういったことが出来ることこそ地方であり、大分であり、地域の面白さに違い ない。コアラで元気な地域人になって、地域が元気になり、ひいては他地域まで 巻き込んでネアカにしてしまおう、、、というこの勢い。東京一極集中のメインカ ルチャーに地方が対抗しうる新しい手段/情報ツールを見つけた、ということな んだろう。きっと東京だけでは見つけ難い事だっただろう。  県外から取材に来られた新聞社の方が二人、考え込むように近づいてきた。 「本当に面白かった。しかし、コアラの発足と経過はわかったけれど、なぜ尾野 さん個人がそういったことに興味を持つようになったのですか?」 (以下、第一章につづく)