大分市
        豊後よさら節
   

    

 
 
 
 

1 お蘭さま いかにかね(注1)つけ

しゃんしゃら(注2)めけど

夜さら(注3)寒いもんじゃ雨じゃもの
  コレモサンヤノ ヨイトコセ
 

2  おとのさま ふりくる雨に
     しょんしょぼぬれて
  夜さらしのびの やみじゃもの
     コレモサンヤノ ヨイトコセ
 

3 お糸さま 夜ごとこがれて
    ねむらず待てぱ
  夜さら長いもんじゃ秋じゃもの
    コレモサンヤノ ヨイトコセ
 

4 おとのさま みの着て通え
    笠着て通え
  夜さらはなれぬ仲じゃもの
    コレモサンヤノ ヨイトコセ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
  大分市主催の「豊後よさら節」新作発表会が盛大に催されたのは、今から三一年前の昭和三八年二月のことである。
 ときの大分市長は、昭和二二年から一六年間にわたり、「アイデア市長」として数々の業績を残した上田保氏であった。上田市長は、かねてから大分市に歴史の彩り豊かな民謡を作っておくことを計画し、あれこれと素材を捜すうち、ふと「大分市史」の中に、市内上野丘円寿寺の高僧・寛佐(注4)法印が、寛永のころ作ったという「笠和郷(注5)(大分市)の雨乞い歌」を見つけたのである。やがて、この「雨乞い歌」を元歌とし、菊池寛作「忠直卿行状記」でお馴染みの松平忠直卿を主人公にした民謡を作るという素晴らしいアイデアが生まれ、これを受けた「大分作詩グループ(注6)」が、史実や事跡に照らして作り上げたのが、この「豊後よさら節」の歌詞に他ならない。
 以下、その史実の一端にスポットを当ててみることにしよう。
 越前北ノ庄(福井市)の城主、松平忠直(一伯)は、徳川家康の直孫であり、しかも大坂の役の大戦功により、従三位参議に昇進して、「越前宰相」、「忠直卿」と呼ばれる程の大大名である。その忠直卿が数々の乱行を理由に、七五万石を棒に振って豊後の萩原(大分市)に配流されたのは、元和九年(一六二三)五月であった。
 海路萩原に護送された忠直卿は、府内城主竹中重義によって予(あらかじ)め築造されておいた五〇間四方の萩原館の中で、侍女たちと共に日々を送ることになった。しかし、いかに忠直卿といえども配流の身には、男子の従者は一人たりと許されておらず、府内藩と幕府派遣の府内目付(めつけ)による警護は厳重を極めた。
 このように厳しく束縛された萩原館の中にあって、三〇歳に満たない青年忠直卿が、主従の関係を抜きにして心底から愛した侍女が、越前から連れてきお蘭(らん)とお糸(いと)の二人であった。忠直卿は、彼女らに対する愛情の深さの中に、憤怒と憂愁の心を癒し、謫居(たっきょ)の生活に平穏な心の救いを求めた。
 「豊後よさら節」の歌詞は、愛するお蘭・お糸との逢瀬(おうせ)に託して生きる人間忠直卿の姿を、詩情も豊かに歌い上げたものである。
 忠直卿は、萩原館での三年にわたる謫居の間に、最愛のお蘭と娘おくせを失った。それかあらぬか寛永三年(一六二六)津守(つもり)(大分市)の館に移り、そして慶安三年(一六五〇)九月、享年五六歳で他界した。「忠直卿行状記」は、悟りの境地に到達した忠直卿の平穏な晩年の生活ぶりを描いて物語を結んでいる。
 次に、はやしことば「コレモサンヤノ ヨイトコセ」にまつわる史実と伝説を簡単に紹介しておこう。
 忠直卿と同時代、山弥(さんや)長者と呼ばれた豪商守田山弥之助が、府内万屋(よろずや)町(大分市)に二
町四方にも及ぶ屋敷を構えていた。彼は井原西鶴作「日本永代蔵」で語られる程の大富豪であったが、府内城主日根野吉明によって、正保四年(一六四七)に処刑されてしまった。その理由については、手掛りとなる史料は今に無い。伝説によれば、このとき山弥の四従兄弟(よいとこ)まで斬罪に処せられたといわれ、豊後地方で力仕事をするときの掛声「コレモサンヤノ ヨイトコセ」は、これに困ったものだという。
 以上見てきたように、「豊後よさら節」には、大分市の歴史に大きな足跡を残した忠直卿・寛佐法印・山弥長者・府内城主の竹中重義、日根野吉明ら同一時代の傑出した五人が姿を見せており、しかもそれらの史実には多くの謎が隠されているだけに、歴史の彩りは一段と鮮烈になるばかりである。
 いま、府内城の周辺に点在する静寂の事跡(注7)を訪ねると、三五〇年前の出来事が幾重にも映し出されて、まさに感慨無量、しばしその場に立ち尽くしてしまう。
 「豊後よさら節」は歴史のロマンに溢(あふ)れるユニークさと、高尚な曲調のゆえに、民謡愛好者の間では、最も人気のある唄の一つとして数えられる程に成長を遂げたのである。
 今は亡き文化人上田市長が情熱を傾注して制作した「豊後よさら節」が、期待通りに「ふるさとのうた」として根付くには、三〇年の歳月を要したことになる。



注1 かねつけ=おはぐろをつけ
注2 しゃんしゃらめく=おしゃれをする
注3 夜さら=よっぴて・夜が更けて
注4 寛佐法印=壮年時代京都に至り天台宗の教義
   を修め阿闇利の位に上った。円寿寺に入り第
   一四世の法燈を継ぎ宗風の作興と共に連歌の
   隆盛にもつとめた。

注5 笠和郷の雨乞い歌
1 柴戸山峰りくる雨にしょぼぬれて
  夜さら寒いもんじゃ雨じゃもの
  柴戸山いかにかねつけしゃんしゃらめけど
  夜さら寒いもんじゃ雨じゃもの
  柴戸山みの着て通え笠着て通え
  にわかに雨の降りくるに

注6 大分作詩グループ=藤原信・渡辺克已・安東玉彦・園田喜平の四名

注7 事跡=・王子西町浄土寺(松平忠直の逆修墓・お蘭・おくせの墓)・津守(松平忠直館跡・碇山の忠直霊廟)・上野丘円寿寺(寛佐法印資料・日根野吉明霊廟)・金池町大智寺
(山弥長者逆修塔)
 

参考資料 ・「真説山弥長者」渡辺克己著 双林社発行(昭和56年)
     ・「忠直卿狂乱仕末」渡辺克己著 双林社発行(昭和59年)
     ・「おおいた歴史散歩」大分市観光協会

大分市観光協 会長 木下敬之助 大分市荷揚町2?31
                TEL 097?534?6111