杵築若宮八幡社

    御田植祭
    

 
 
 
 
 

[苗配り子の歌]
小田(おだ)の細道 乙女の小袖よ
田面(たおも)吹く風 静かに流すよ
めんでたし めんでたし 
めでたき御代に栄えの苗はよ
万代(よろずよ)尽きぬ めでたき早苗よ

[御田植歌]
○印は音頭
△印は早乙女がうたう

○植えい植えい早乙女
笠買うて着しょうよ
△笠だにたもるなら
なんぼも田は植ようよ
○おう早乙女よ
化粧紙が欲しゅいか
△化粧紙にたもるなら 
なんぼも田は植ようよ
(以下略)
 
 



 杵築市宮司の若宮八幡社御田植祭(県選択無形民俗文化財)は、例年どおり四月六日、中津屋地区氏子が結成する御田植祭保存会の祭り奉仕によって行われた。当日は、あいにくの雨模様となったので、斎田と祭壇をお宮の拝殿内にしつらえ、古式にのっとり全行事を滞りなく執り行った。
 御田植祭は、神殿で挙げられる祝言の儀によって開幕する。新郎の種(たね)カルイ・その妻となる新婦・媒酌役のお手引きが、揃って神前に着座すると、神職が祝詞を秦上して三三九度の盃を厳かに取り交わし、偕老同穴の契りを結ぶ。このあと、本年生まれる子どもの性別を占うために、神職の差し出す御神籤(おみくじ)を、お手引きが一礼して引く。
 祝言の儀が終ると、これ以降の諸行事は、すべて斎田を舞台にして展開する。先すはモーガ(馬鍬)の行事である。牛使い・馬使いが、それぞれの牛・馬にモーガを引かせて代掻(しろかき)を始める。奔放に暴れる牛・馬を、「ホイホイ」「ドウドウ」と懸命に制御しつつ、斎田いっぱいを掻いて回り、やっと代掻を済ませる。やがて、種カルイが種籾を入れた叺(かます)を棒で担ぎ無言のまま登場。祭壇に叺を供えて、おもむろに退場する。
 入れ代わりに田植神主が登場。祭壇の前でお祓いをした後、種籾をパラリパラリと蒔く。蒔き終えると、恭しく祝詞を秦上して退場する。
 次は、エブリ(柄振り)が、能舞台さながらに「かように候者は当所の者にて候。本日最上吉日にて神の御田植をやろうずるにて候。某(それがし)エブリの役なれば御田を指して急ぎ候。」と口上を述べて登場。鍬を打振って斎田の均(なら)しや畦塗りの作業を済ませる。
 やがて、「苗配り子の歌」を全員で合唱し始めると、苗配り子二人は歌に合わせて祭壇前に進み、苗を積んだ寵を各自天秤棒で前後に担いで、横一列に並んだ早乙女たちの所まで運び、一人一人に苗束を配って歩く。
 この間、音頭役をつとめる田植神主・エブリ・太鼓打ちの面々は、祭壇近くに並んで早乙女たちと向かい合う。太鼓打ちが「そもそも神主殿、吉(よ)き方に向かい、御幣を上げ声を立て。」と大音声で口上を述べると、いよいよ御田植の本番となる。早乙女たちは、向かい合った音頭役と「御田植歌」を交互に歌い合いながら、いっせいに挿し苗の手を動かす。かくて歌が終る頃には、斎田は一面の青田に変わってしまう。
 神事は漸くクライマックスに達し、いよいよ御子産(おこさん)の儀となる。お手引きに付添われた御腹の大きな種カルイの妻が、コビル用の握り飯を入れたハンギリ橋を頭上に捧げて登場。これを恭しく祭壇に供えての帰途、急に産気付き大仰な身振りで陣痛を訴えだしたから、さあ大変。参詣者一同笑い転げるうちに、やがて出産と相成った。助産婦よろしく立ち働いたお手引きが、赤ん坊を抱き上げて、一同に向かい「男児出産」を知らせる。どうやら今年は男児が多く生まれる年らしい。御子産の儀が終了すると、神職の修被によって斎田が清められ、御田植祭はここにめでたく幕を下ろした。
 若宮八幡杜の御田植祭は、元禄の頃再興されたものだと伝えられている。ユーモラスな御子産の儀が、江戸時代以前に行われていた豊作祈願の重要な模倣呪術であったことや、祭りの中で大きな役割を果たす「苗配り子の歌」・「御田植歌」が、近世調以前の古い格調を持つ歌であることからみて、祭りの発祥は更に古い時代にさかのぼることが、容易に理解されよう。
 この由緒ある御田植祭を、しっかりと守り続けている中津屋地区は、現在の戸数僅かに三七戸。過疎化の影響をもろに受けて、祭り奉仕の人手不足は深刻である。しかし、保存会の尽力によって、上は七三歳の古老から、下は四歳児に至るまで、まさに老若男女相携えての祭り奉仕となり、今年もまた、素晴しい祭り絵巻を繰り広げたのである。



配役と衣装
○田植神主(狩衣・烏帽子)
○太鼓打ち
○お手引き(羽織・袴)
○エブリ
○種カルイ
○牛馬使い二名(筒袖ゆかた)
○種カルイの妻(挟付きゆかた・おたいこ帯・角隠しの布)
○牛馬の前後脚後四名(黒のもも引き)
○苗配り子二名(小袖・たすき・花笠)
○早乙女八名(挟付きゆかた・赤たすき・手拭)

杵築若宮八幡社御田植祭保存会会長 植村達男
現住所 杵築市中津屋
 TEL0978(63)1693