豊後なば山唄


    作詩・伊藤 六朗
    作曲・加藤 雅人
 

(アラヨイキ タドウカイ チョイトキタ ドウカイ チョイトキタ ドウカイ)一以下略一

豊後津久見の千怒(ちぬ)浦生まれ
(アラヨイキタドウカイ)一以下略一
きこり源兵衛 ヤレ独り旅
ホーハイ ホーハイ ホーハイ ホーハイ ホーハイホー(以下略)
探し当てたる 葛葉(くずは)の森で
 腕におぼえの ヤレ炭を焼く
冴えた月夜に 草むら見れば
 残りほだ木に ヤレ育つなば 
天の啓示か 血のひらめきか
 源兵衛思案の ヤレほととぎす
手練(だ)れ腰鉈(なた)三振り三振り
 ほだに祈りの ヤレ刻み打ち
春夏秋冬 ふた梅雨吸うて
 炭になる木が ヤレなばになる
梅で芽切って 桜で盛り
 紅葉ころにも ヤレ躍(おど)り生(ば)え
春子秋子に 天白冬?(てんぱくどんこ)
 苦節三年 ヤレなばづくし
なばに魅入れば 娘が惚れる
 おんな坂ゆく ヤレ夫婦(みょうと)笠 
六十余州に 隠れもなくて
 豊後なば山 ヤレ唄ぐるま
 

 大分県の特産品として、先ず第一に挙げられる乾(ほし)しいたけは、生産量・品質ともに日本一の座を、ずっと保持し続けている。
 林野庁の統計によると、平成四年の大分県乾しいたけ生産量は二〇〇二・七トンで、二位宮崎県の一〇七七トンを、約千トンも上回っており、生産量の突出ぶりは一目瞭然である。
 一方、品質の面はどうであろうか。平成五年第四二回全国乾椎茸品評会において、大分県椎茸農業協同組合は、またまた団体優勝の栄冠に輝き、昭和二七年当品評会開始以来、通算二〇回の優勝を果たしたことになる。これによって、0SK乾しいたけは、他の追随を許さない超一流の銘柄品であることが、容易に納得できるだろう。0SK乾しいたけが一躍して天下に名を知られるようになったのは、昭和五四年大相撲九月場所の千秋楽表彰式で、優勝力士横綱北の湖に、
 OSK乾しいたけ入り大カップを贈ってからのことである。以後、これが毎場所の恒例となり、その表彰式の模様はNHKテレビで放映されるから、OSK乾しいたけの名声はますます高まるばかりである。
 ふるさと自慢のOSK乾しいたけにとって、千秋楽の表彰式は名誉この上無い晴れの場所でもある。テレビ画面に写し出される優勝力士に抱えられた0SK乾しいたけの晴れ姿に、思わず「日本一-O・S・K」と声援を送りたくなる程の感動がこみあげてくるのである。
 大分県の椎茸日本一は、今に始まったことではない。我が国で初めて椎茸栽培を手がけたのは、佐伯藩千怒(ちぬ)の浦の源兵衛翁だと伝えられている。
 現在、津久見市民会館前広場と、宇目グリーンセンター前広場に、椎茸の生えた榾(ほだ)を手に柔和な顔をして立っておられる銅像が、源兵衛翁その人である。どちたも昭和五二年に建立、姿形は全く同じ様に見受けられる。前者の碑文に、源兵衛翁顕彰事業発起人会は、翁の事績を次のように記してある。『源兵衛翁は佐伯藩千怒の浦(現在津久見市千怒区)の生まれで、今から三五〇年程前現在の大分県宇目町にて家業の炭を焼くかたわら偶然残榾楢の木に椎茸の生えているのを発見しこれを見て人工栽培を決意、苦心研究の結果自然の教示を得て鉈目式椎茸栽培法を確立された創始者であります。
 翁の教えをうけた郷土の諸先輩は九州、四国、中国等各地に椎茸栽培に出かけ世にいう「豊後の茸山師」として三百余年間椎茸産業発展の先導役となりました…』
 元気盛りの源兵衛は、移り住んだ宇目郷葛葉(くずは)(現宇目町字長渕区)の森で、来る日も来る日も家業の炭焼きに立働いた。ところが、炭焼き源兵衛から茸師(なばし)源兵衛への転機が、ある日突然訪れたのである。
 彼が椎茸の人工栽培を決意したのは、炭焼窯近くの草むらに放置した炭焼用の残り榾(ほだ)に、椎茸が自生しているのを発見したときである。以後、あれこれと試行錯誤の研究を重ねて、原木は檜(なら)・櫟(くぬぎ)などが適していること、榾に鉈目(なため)を入れると椎茸が発生しやすいことなど、現代の椎茸栽培農家必修の基本原理を見出すに至ったのである。バイオテクノロジーなど思いもよらなかった時代に、これ程までの研究成果を収め得たのは、源兵衛翁の鋭い観察力・深い洞察力・たゆまざる忍耐力の賜であることは言うまでもない。
 「豊後なば山唄」は、源兵衛翁の事績を物語風にうたいあげたものである。「ヨイキタドウカイ」などの囃し部分は、「豊後の茸山(なばやま)師」たちが、椎茸栽培の指導に出向いた先々で歌い広めた「ボタオロシ唄」<注1>の一節である。躍動感あふれるリズムに乗っているのは、「豊後の茸山師」たちの心底に、日本の椎茸産業を推進する先駆者としての使命感が横溢していたからである。

注1「ボタオロシ唄」…ほた木を"木かるい。で背負って、山から運び出すときの唄。茸師の一人前は、一荷十五貫とされていたから、ボタオロシはなかなかの重労働であった。
 
 

作詞者 伊東六郎氏 略歴
昭和六年、大分県に生まれる。昭和二三年、県立玖珠農学校卒業と同時に大分県椎茸農協に勤務、指導部長・常務理事を経て、現在日本きのこセンター参与。椎茸に関する多数の著書や文芸作品がある。
現住所 〒870
                大分市上野南10組
              TEL 097(543)2712

参考文献
 「きのこの砦」昭和63年
     伊東六郎著(清文杜発行)