久留島武彦ゆかりの寺

宝泉山実相寺

別府市火売4組 
0977- -



 つるりん通り(鉄輪線)を通る鉄輪行のバスが春木川にかかる御門橋を渡ると、橋畔に曹洞宗宝泉山実相寺の石畳が見える。

 この寺は古代、実相寺山の東麓にあったが、慶長5年(1600)、石垣原合戦の際に焼失し、その後荒廃していた。寺歴によれば、延宝のはじめに肥前佐賀の僧、即現禅師(そくげんぜんじ)が当地に移したといわれている。

 当時は実相山宝泉寺と号していたが、天和2年(1682)豊後森藩主久留島家の菩提寺である安楽寺の第7世茂林禅師(もりんぜんじ)が開山となり、享保年間に現在の山号に改めた。江戸時代には別府のほとんどが幕府領であったが、鶴見村は14000石の小藩、森藩の飛地であった。

 しかし、明礬やハゼの生産を通して森藩の財政に大きく貢献しており、鶴見村の檀家号でもある実相寺は、安楽寺の末寺として藩主から知行七十石を給わっていた。

 この寺は、明治発行の「大分県社寺名勝図録」にもとりあげられ、石垣と漆喰塀に囲まれた寺域は、小規模ながら禅宗寺院としての風格をそなえている。

 切妻造桟瓦葺一間一戸の山門をくぐると、正面に嘉永5年(1852年)上棟の寄棟造桟瓦葺向拝付の本堂が寄進燈篭と共に迎えてくれる。方丈型の本室ではあるが、向拝の頭貫先(かしらぬき)端の木鼻の象や手挾(たばさみ)の篭彫(かごほり)の彫刻、本堂内部の内(ない)外(げ)陣境の(じんさかい)欄間の彩色された牡丹に唐獅子、天女や竹に虎などの彫刻に江戸末の装飾寺院の特徴がよくでている。

 寺は、明治になってからも村役場になったり、寺域の一部を小学校に提供するなど、公共的な使い方も歴代楠住職の手によりなされてきた。

 道路越しの墓地には「久留島君歴世招魂碑」が建っており『日本のアンデルセン』と呼ばれた口演童謡の創始者久留島武彦ゆかりの寺でもある。

 朝日地区の歴史を語る寺として、校区の人々に愛される寺になることを願っている。

(H8.5)
 


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