吉弘統幸を祀る

吉弘神社

別府市石垣西6−6−19
0977-23-8297


 鶴見丘高校前の道を北に進むと、右手道路沿いにこんもりとした杜が見える。慶長5年(1600)9月、豊後の関ヶ原ともいわれる石垣原合戦において、西軍石田三成に見方して挙兵した大友義統の家臣吉弘統幸を祀る神社が鎮座している。

 統幸は東軍徳川家康方につくべしと主君を再三諌めたが聞き入れられず、黒田如水の東軍とやむなく戦い、「明日は誰が 草の屍や照らすらん 石垣原の今日の月影」と辞世の歌を残して戦場の露と消えた。その統幸を近くの臨済宗太平山宝泉寺の住職が村人と相謀り、石碑をたてて手厚く葬った。その印に一株の松を墓の側に植え、位牌を寺に安置して、その菩提を弔っている。

 大正11年(1922年)、地域の人々の手により、墓所の前に一間社流造の本殿と入母屋造裳階付の拝殿をつくり、吉弘神社と名付けた。

 現在、神社の周辺は公園化し、桜の名所となっている。中秋の名月の項ともなると、石垣原の合戦を再現して地域おこしの呼び水にしようとする動きもある。

 主君に仕え、いさぎよく大友の歴史を閉じた勇将の生涯を偲ぶこの神社は石垣地区の人々にとって、ふるさとを思い起こす原風景となっている。

                                             (H7.11)


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