日出生台から沖縄が見えてきた。その向こうに、この国のゆがみが見えてきた!

1月29日、155ミリりゅう弾砲が大在埠頭に陸揚げされた。
積み卸し、輸送は米軍ではなく、日本の民間業者がおこなった。
米軍の戦争に協力する仕組みが国会審議より先行して、
なし崩し的にすすめられている。

有事の際に拒否することを許さないよう外堀がどんどん埋められつつある。
日出生台の地域問題ではなく、日本の問題。

1999年2月4日から8日間、大分県日出生台において、
地元3町住民の大多数の反対を押し切って、
日出生台での初めての米海兵隊演習が
強行されました。

今年は日出生台演習場が演習場にされて100年目にあたります。

演習場にもっとも近い小野原という地域では、
100年前に演習場内にもともとあった集落から半ば強制的に
北部の陽の当たらない谷間に追いやられ、
現在はこの演習場に隣接する地域に約170人の人たちが
暮らしを営んでいます。100年間に渡って、
演習場周辺住民は苦しみを強いられてきました。

演習場の地元自治体である3つの町、玖珠、九重、湯布院の3つの町の住民は、
これまで再三に渡ってこの米軍演習移転に強く反対の意志表示を行ってきました。
地域の未来をその地域に暮らす人々が決めていく-この地方自治の本旨をも踏みにじる
国と地方の関係のおかしさ、この国のことをこの国の人々で決めていくという、
国としての当然の独立した主権さえも踏みにじられている日本の、
アメリカに対する卑屈な姿勢を、私たちはこの問題をきっかけに痛感させられました。

演習にともなう米海兵隊の日出生台滞在は一ヶ月を越え、私たち住民は今後の米軍演習の拡大、
滞在中の米兵の規律が緩むことがないように、この地に強く住民の強い米軍演習反対の
厳しい監視の目があるのだということを米軍、および日米両政府に対して伝えるために、

また、そもそも「沖縄の痛み」を減らすという名目でおこなわてきたこの「本土移転演習」とは
一体何だったのか、米軍という世界でもっとも武力行使を行う軍隊に協力することの
ぜひを改めて考え直すということを、地域から試みていきたいと思います。
どうぞ、皆さんのご協力をよろしくお願いいたします。

1月24日〜2月28日

日出生台ピースアクション99

日出生台は標高600メートル。昨年の湯布院での最低気温はマイナス14度。防寒具の用意と、車で来られる場合、絶対に忘れずにチェーンを持ってきて下さい
また、チェーンを装着する場面はかなりの確立でありますので、練習してきて下さい。

1月20日(水)から日出生台現地
「米軍演習監視・交流センター」設置作業開始

      米軍の実弾砲撃数のカウント、演習と米兵の監視、支援者と地元民との交流を行う施設です。

日出生台は、標高600メートル。
雪が降りやすく、朝晩は零下まで冷え込みます。

防寒具を忘れないでご用意下さい。

また、日出生台に車で来られるときは、4輪駆動にスタッドレスタイヤ、あるいはチェーン等の装備を必ずご用意下さい

湯布院駅から日出生台の「米軍演習監視・情報センター」まで約16キロあります。

タクシーで片道約4000円。雪の日は車でムリして上がるより、
4人ぐらいでタクシーをご利用になることをおすすめします。
みなとタクシー0977-84-2141

       湯布院から日出生台への上がり口 


1月20日午後3時過ぎ、
「米軍演習監視・情報センター」の
ユニットハウスが到着。

ユニックで降ろせなくて
10トンのクレーン車が登場。

左が演習監視用。5畳ぐらいの広さがあります。

右の白い建物は、支援者と現地の人、
支援者同志の交流用の施設として使います。

1月24日ドキュメント

1月24日(日)「米軍演習監視・交流センター」日出生台現地事務所開き

大分県内、及び九州各地から約50人の方が集まり、それぞれのアピールを行いました。

地元人見会から衛藤洋次さんが「一昨年の4月22日、大分県庁で地元3町と大分県が日出生台での米軍演習を受け入れたときにも、今日と同じように深い霧が出ていた。けれども、霧は必ず晴れます。
いつか日出生台にかかっているこの米軍の霧が晴れる日も必ず来ると信じて、頑張りましょう。」とアピール。

元アメリカ海兵隊員のアレンネルソンさんも参加。「地域の暮らしを破壊して演習を
ここでおこなうのではなく、米海兵隊はアメリカに引き上げるべきだ。
米海兵隊を連れ戻すために、私はここに来ました」とアピール。 

1月25日(月)

午前9時半〜大分県庁要請行動


今回の要請行動は元海兵隊員のアレンネルソンさんも同行し、
アピールしました。

夜間演習の禁止、演習場外への米兵の外出禁止、、日本での米海兵隊演習そのものの中止と米国本土への移転を求めるように要請しました。


1月25日(月)美ら海(ちゅらうみ)からのメッセージ

―沖縄・海上ヘリポート基地問題を通して見えてきたこと―

    宮城康博さんのお話を聞く集い

沖縄の在日米軍普天間飛行場の代替ヘリポート建設問題についての沖縄県
名護市での住民投票の中心で活躍され、「ヘリ基地反対協議会」の代表を
務められた、現・名護市議の宮城康博さんをお招きして、お話を聞きました。

1月27日(水)米海兵隊先発隊100人到着:

大分空港には「コンチネンタル航空」に乗って到着。
米海兵隊先遣隊約100人は、「亀の井バス」3台に分乗、
警察、防衛施設局の車に先導されながら、
高速道路を日出生台へと向かった。
銃やその他の荷物を運んだのは「日本通運」。
(ちなみにコンチネンタル航空も日通が委託したらしい)

あらゆる場面で見られる「新ガイドラインの先取り」!

(空港から出るときに引き離されたために、追いつこうと急いだら、
 なんと抜いてしまった。それで、バックミラーから写す)

1月28日(木)なんと、突然入った情報で、今日、155ミリりゅう弾砲の弾薬が入ってくるのだと言う。

急きょ、あちこちに連絡して監視と抗議行動。

弾薬を積んだ7台の日通トラックが、長崎県佐世保市有福町にある米海軍佐世保基地の針尾島弾薬集積所と同市前畑町の佐世保弾薬補給所から、闇の中を日出生台演習場に入った。

住民はおろか警察にも自治体にも何の連絡もないままの輸送は、先導者として日通の車がついているだけだった。元海兵隊員のアレンネルソンさんはこれを見て、「アメリカではこのような弾薬を運ぶときは、前後左右にexplosive(爆発の可能性あり)という大きな布を張り、必ず警察の先導で走り、生活区域を通るときはもし、自治体が拒否すれば、そこを回避して通らなければならない」のだと言う。もっとも日本では拒否しようにも、自治体にも警察にも何も知らされないという有り様。

写真は後半に入ってきたトラックで、前のものより小型。 

1月29日(金)米海兵隊155ミリりゅう弾砲と米軍車両40両搬入

すべての信号を青にして、4米軍車両が搬入されました。

抗議/監視行動

湯布院町から日出生台演習場へと上がっていく県道の入り口。

米軍車両40両は昼間。高速入り口までのすべての信号に警察官がついて、信号を操作してノンストップで米軍車両が通行。「ここまでの信号操作を行ったのは、天皇と首相ぐらいじゃないか」との声も。

155ミリ砲の方は夜間に搬入。

1月31日(日)11時〜「日出生台への米軍砲撃演習移転・新ガイドライン反対1・31大分集会」

各界連(九重町玖珠川河川敷・粟野運動公園)

元米海兵隊員のアレンネルソンさんも参加。
「米海兵隊はピースキーパーではありません。
彼らは戦争の訓練のためにここにきているのです」

      

在日米軍基地の整理縮小を求める連合1万人集会(玖珠河川敷)       

地元からは宮崎優子さんがアピール。     

「いったい何のために軍事演習をしているのかわかりません。
いったいどこの国がここに攻めてくると言うのでしょう。

155ミリ砲が食べられますか?
食料危機が迫っていると言われるこの時期に
軍事演習をしていったい何になるんでしょう」

2月1日(月)米海兵隊本隊110人到着

2月の小雨が降る中を
海兵隊本隊110人を載せた
バスが日出生台へと
登っていく。

バスの窓からはこちらに向かってビデオを構える海兵隊員の姿も。

2月2日(火)米海兵隊ケリー中佐への直接アピール

午後1時40分。予定通りの時間で、今回の海兵隊部隊を率いるケリー中佐が
湯布院町役場に入ってきた。
地元の3町の町長に表敬訪問をするのだという。前日にわかった情報で
急きょ集まったのは、約15人。
松下竜一さんなどは、昨夜の8時過ぎに出したFAXを見て、中津から参加してくれた。

住民もマスコミも警察の人も役場の人も
冷え込んできた寒さの中での連日の行動に
みなそれなりの風邪を引いていて、
連日の行動、報道、警備に
「ごくろうさま」と声をかけたくなる。

湯布院町役場敷地内に停車した防衛施設局職員の運転する
レンタカーのドアが開き、3人の米兵が降りてきた。
ケリー中佐に直接渡そうと用意した英文の一枚の手紙を
差し出すと、一人目の米兵は、受け取ろうとしなかったが、
ケリー中佐本人は、おもわず目の前に出された白い紙を
手に受け取った。

ケリー中佐へ手渡した手紙

ケリー中佐らは、役場内に入り、町長に面会。外では元海兵隊員のアレン・ネルソンさんがマイクを握り、訴えた。

   


ちらつき始めた雪の中でアレンさんとともに
海兵隊員らに呼びかける

2月2日、役場前のアピール後、「お時間の許す方は是非一緒に」声をかけ、私たちは、アレンさんとともに、日出生台演習場の正面ゲート前に移動。アピールをはじめるとともに舞いはじめた粉雪の中で、「私たちはみなさんが誰かを殺すことも、誰かに殺されることも望んでいません」とアピール。

その後、吹雪の中で「We shall over come」をみんなで歌い始めると一人の米兵が出てきて、こちらをている。
なお歌い続けると、写真のように吹雪の中を続々と米兵が兵舎から出て来始めた。

ケリー中佐に渡した文書と同じものを読み上げようとするのだが、
風で紙がばたばたと震えて字が読めない。

そして、アレンさんがまた、彼らへのメッセージをしゃべり始めると、からかうでもなく、反発するでもなく、こちらをみんな見つめて、じっと話を聞いている様子。冷たい風と雪に凍えながらおこなった、10数名の私たちの約20分足らずのアピールを彼らはどう聞いたのだろう。

なんだか不思議な光景だった。

2月3日(水)夜7時〜

写真家 国吉和夫さんを囲んで  

〜写真家国吉さんの目から見た沖縄の米軍基地問題〜

由布院空想の森美術館

米軍演習開始を翌日に控えて、沖縄の記者の目から見た沖縄について、
率直なお話をうかがいました。

2月4日(木)

日出生台での米軍演習開始の第一発目は、
闇の中で、予告なしに撃たれた。

この日は午後から実弾砲撃演習を開始すると発表されていた・・・が、夕方に近づいてもまったく撃つ気配なし。防衛施設局に聞いても「撃たないとは聞いていない」といつものことだが、わけのわからない返事。日も暮れてもう今日は撃たないんじゃないかと誰もが思い始めた18時24分頃、突然闇をつんざく轟音が響いた。

え!?まさか。

全員が監視小屋から外に飛び出した。闇の中で最初の発射音から10分後に、今度は着弾地方向(写真右手方向)から爆発音。また19時16分に発射音がして、その4分後、着弾地方行から爆発音がした「4発撃ったのでは」という人もいれば、「不発弾もどきでは・・・?」という人も。

米軍側はこの日の住民説明会で「4日に訓練をやるかどうか検討中」とと説明したがその後の報告もないまま砲撃を開始した。
大分県や地元3町の対策本部からも「なぜ連絡がないんだ」との声も。   

2月5日(金)夜間演習によって演習を始めたことへの抗議・要請文
            防衛施設局に渡しました。

ゲート前には日本山妙法寺のお坊さんたちの抗議の姿も。
日出生台は最高気温でも零下から上にあがらない。
この寒さの中で座って太鼓をたたくのも大変。

このすぐ前の正面ゲートで福岡防衛施設局職員の方を前に、
抗議、要請文を読み上げました。

ポイントは
1、「現在調整中」と発表しておきながら、予告もなく演習を(しかも一発目から夜間演習として」)開始したことへの抗議
2、この情報公開しようとしない姿勢の改善
3、沖縄で行っていたときと同様に、毎日の砲弾数をその日の演習終了後に明らかにしてほしい。

2月6日(土)

米海兵隊報道陣向け公開訓練


2月6日(土) 大田昌秀(前沖縄県知事)講演会

が開かれました。

・13時〜13時30分 受け付け
・13時30分〜13時45分 開会挨拶(県本部・自治研センター)
・13時45分〜14時15分 日出生台現地報告
             韓国での米軍基地報告
・14時15分〜大田昌秀  
前沖縄県知事講演会 
               「自治・分権・平和、問われる日本の民主主義」
               〜日出生台での米軍演習から見えてくるもの〜

             講演要旨
場所:湯布院町中央公民館

主催:大分県自治研センター

(写真)
左から 
大田昌秀 前沖縄県知事
キム・ヨンハン わが土地米軍基地とりもどし全国共同対策委員会執行委員長
衛藤洋次 日出生台畜産農家 人見会

2月7日(日)13時〜15時 湯布院コミュニティセンター
   
韓国の米軍基地の話を聞く学習会

が開かれました。

            〜韓国・沖縄・日出生台をつなぐ〜

<韓国からゲストをお招きして>

・わが土地取り戻し全国協同対策委員会 執行委員長 キムヨンハンさん
・駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部 幹事 キムドンシンさん(右の写真)

・沖縄県県議会議員 伊波洋一さん(脱軍備ネットワーク・キャッチピース運営委員)   

2月12日(金)反基地ネットワーク玖珠集会(米軍演習終了予定)

午前中に全国基地問題ネットワークの青年部の人たちと交流。

沖縄県の平和運動センターの青年のみなさんが、「今日の交流をきっかけに、
これからともに基地問題の解決のために頑張りましょう」とあいさつ。

2月13日(土)熊本に講演に行く前に再び立ち寄ってくれたアレンさんとともに
再び、日出生台演習場のゲート前で、米海兵隊員らに語りかけました。

また、この日、防衛施設局に出していた質問に対して、全く回答になっていない「回答」が返ってきました。
読んでもらえばわかりますが、「知らぬ、存ぜぬ、中央に聞いてくれ」に終始しています。

なんのための現地対策本部か?
誰のための現地対策本部か?
彼らは何を守っているのか?

2月14日(月)海老原大介さん講演会 

海老原大介さん 米軍人・軍属による事件被害者の会・教員 

「当事者が声をあげていく必要がある」

「ある政府の重要な人物に会う機会が会ったときに、日米地位協定の話をしたら、知らなかった。あわてて秘書が資料を彼に渡すと、読み終えた彼が言ったんです。こんな理不尽なことがあっていいのか・・・て」

2月16日〜18日海兵隊大量自由外出

■公務外出米兵の「最高度の規律」ウオッチング

 海兵隊隊員らの大量外出は、矢臼別、王城寺原、日出生台と、それぞれ2日、4日、5日と回を重ねるごとに外出日数が拡大している。日出生台での外出、五日間の間、のべ100人で住民による監視(ウオッチング)行動を行った。今回の部隊の「大半は19、20歳」と事前説明会で説明し、かつ「21歳未満には酒は飲ませない」とけりー中佐は発言していたが、実際にはかなりの海兵隊員が飲酒をしていた。別府から日出生台へと帰る最終バスは午前2時。このバスが出た後は、酔った海兵隊員らが路上に残した嘔吐物があちこちに散っていた。

 別府での外出2日目は、夜になって海兵隊員どうしが路上で喧嘩を始めるトラブルが起きた。酔った8人の海兵隊員らが、路上で「ガール、ガール」と奇声をあげていたが、それをやめさせようと「シャラップ、シャラップ(黙れ)」とこちらの方が声が大きい。そのうち2人が口論になり、つかみ合いに。通りがかりの人たちも不安げに見ていたために、見ていた海兵隊員があわてて止めに入った。その後、グループは分散したが、一人は泥酔状態で足下も危うい状態。通りがかりの観光客や通り抜ける車にぶつかりそうになりながら、なにやら奇声をあげていて、他の2人がそれを抑えようとなだめている。

 その30分後、公園のトイレで酔った海兵隊員が倒れているのが見つかり騒ぎに。防衛施設局職員も10数人集まったものの誰もかつぎだすこともできず、結局、沖縄からきているという犯罪捜査官(米国人)と上官らしき海兵隊員が到着して、ようやく両肩を抱えられて運び出された。出てきたのは、先にトラブルを起こしたグループの一人だった。視線もさだまらず、一人では歩けないような泥酔状態。

 ある海兵隊員の話によれば、今回の演習は、雪と風の中で寒さに耐えながらの過酷な訓練で、沖縄では訓練後毎日浴びることができたシャワーが、日出生台では演習期間の8日間「一度もシャワーを浴びることさえできなかった」と言う。この過酷な訓練によるストレスが、彼らの大量の飲酒を招き、トラブルをおこす要因になっているのではないかと強く感じた。演習終了後に、飲酒を許可する限り、同様のトラブルは必然的に起きるだろう。この日は、防衛施設局職員も、犯罪捜査官も、新聞記者も、監視をした住民もへとへとに疲れた一日だった。こんなことが外出の度に繰り返されたら、身が持たないと誰もが感じてたにちがいない。

 3日目は、19時と21時半のバスで全員が帰ってしまった。どうやら前2日の飲酒状況がひどかったために、(かつ住民側にこれがビデオなどで記録されていたこともあり)、海兵隊側も危機感を持ち、3日目の深夜の飲酒を禁じたのではないかと見ている。実際、酔っているふうに見える米兵はこの日一人も見あたらなかった。

 今回米兵がおこしたトラブルも、もし私たちが回りで見ている姿が彼らの眼に入っていなかったら、あるいは何らかの事件に発展しかねないものだった。3日目の深夜の飲酒を自粛させたことも含めて、私たちの外出監視によって、事件に発展することを未然にくいとめる効果と実際になったのではないかと思っている。ただし、海兵隊や施設局側は、くいとめられた結果だけ見て「何もなかった」と表現をするのだろうが。しかし住民の監視もなく、毎年、演習後の外出が拡大、恒常化していけば、いつか憂慮すべき事件がおきる可能性は否定できない。

海兵隊の外出に会わせて、住民からのメッセージを
ひとり一人の海兵隊員らに手渡しました。

2月16日は、昨年11月にニューヨークタイムスに掲載した意見広告紙面と住民からのメッセージを。

2月17日は、手作りのお守り袋に、メッセージを入れて。

2月18日は、日出生台で摘んだ花を押し花にして張り付けたハガキと折り鶴と日出生台の絵はがきとメッセージをセットにして。

2月21日(日)米海兵隊ケリー中佐との直接対話

2月19日、2度目の表敬訪問に地元3町をまわったケリー中佐に、湯布院役場前で、公開質問状を直接手渡しました。

その数時間後、なんと防衛施設局から「ケリー中佐が日曜日に直接会って回答したい」と言っているとの連絡あり。海兵隊側はケリー中佐含む3人、ローカルNET側も3人と記録係2人の5人で、21日の午後1時から1時間、直接対話をしました。

この海兵隊と反対住民のやりとりの全文はこちら

2月24日(水)米海兵隊本隊190人撤退

「Marines, Go home! Not to Okinawa, But to America!」

雨の中、約50人が集まり、「海兵隊は沖縄ではなく、アメリカに帰れ!」と
シュプレヒコール。

彼らにとっても、ここに軍隊の訓練で来るのではなく、個人として、この土地に親しむために来たのであったら、いい友達になれそうな人たちもたくさんいた。

でも軍隊の任務としてここに来る限り、私たちはやはり「ノー」と言わざるを得ない。そもそも海兵隊は日本に必要ないのだから。

2月28日(日)米海兵隊後発隊20人撤収

演習場内に残っていた最後の20人が撤収。朝8時に日出生台演習場を出ると明らかになったのが、前日の夜10時過ぎだった。一応何人かに連絡してみると、「ここまで見送りをしたのだから、最後の20人もやってあげよう」との大分市の女性グループの意見があり、それならと朝7時半から演習場ゲート前で最後の海兵隊員らへのアピールをおこなった。過ぎていく海兵隊員らを乗せたバスに「沖縄ではなく、アメリカに帰れ!」と呼びかけながら、彼らがこのような訓練をしないですむような状況を市民の手作っていかなければならないと強く感じた。

いつもはここに車を停めるなとかうるさかった施設局の職員も、警備の警察官も、ゲート前の自衛隊員も、長かった一ヶ月を越える「大騒動」がひと段落する喜びでなのか、この日は、和気あいあいとにこやかで、終わった後、「お疲れさん」と声をかけ合った。しかし、テレビのロケが終わった訳じゃない。「新ガイドライン」で固められつつある方向は、後でねぎらいの言葉をかけ合う状況などを許さないだろう。

2月28日(日)

  響け!三線 平和の琉歌
  大工哲弘さん琉球三線コンサート

この日、超満員となった会場の湯布院中央公民館で、大工哲弘さんのライブの開始前に、「日出生台ピースアピール」を発表。会場の拍手で採択をした。

大工さんは、「沖縄を返せ21世紀バージョン・沖縄かがやけ」の他、こちらでお願いした「日出生台かがやけ」や「マクラム道路日出生台編」も歌ってくれた。

(以下「日出生台ピースアピールより)

 今日、大工哲弘さんの三線の音色を通して、平和を希求し続けてきた「沖縄のこころ」が、この会場に来られた皆さんの心に響くように、また皆さんを通して、この「沖縄のこころ」が、日出生台や周辺の町、日本全体、世界全体へと伝わっていくように、祈りたいと思います。

今回の「日出生台ピースアクション99」の運営費用は
すべて、賛同者の支援カンパによってまかなわれます。

全国の皆様の熱い心のこもったカンパをどうぞよろしくお願いします。

米軍基地と日本をどうするローカルNET大分・日出生台
大分県大分郡湯布院町川上1525-12
電話&FAX 0977-85-5003

口座名義:ローカルネット大分・日出生台
口座番号:01780-3-56320     



と言っても、ただ「カンパを」というのでは、申しわけありませんので、

「日出生台ピースアクション99」支援タオル

をつくりました。

元々は日出生台の地元の方々へのあいさつ回りのために
つくったのですが、ワリと評判がいいので、
これを買ってもらって、「ピースアクション99」の
資金にあてられたらと追加で作りましたら、おかげさまで全国のみなさんより

ご注文頂いております。一番最初に作った白いタオルよりも少し質のいい黄色いタオルで現在は販売しています。

どうぞよろしくお願いします。

こんな絵とメッセージの入ったタオルです。

このタオル+ステッカーの
セットで、1セット300円でお分けします。

(再販して活動資金として、いただいてもかまいません)

なるべく複数セットでご注文いただけますと幸いです。

(送料別)

どうぞ、ご協力をよろしくお願いします。

ご注文はローカルNET事務局 tel&fax 0977-85-5003

e-mail   yufukiri@fat.coara.or.jp

「訓練でやってきた米海兵隊立ち入りご遠慮下さい」
ステッカーをつくりました。

「ごめんなさい!
私たちは米海兵隊員が来ることを
望んでいないのです。

もしプライベートな旅行者として、
あなた方がきてくれるなら、
私たちは歓迎するつもりです。」

米軍演習が今後10年、20年と続いていったときに、やがて、私たち自身が慣らされていき、米軍の演習も拡大し、米兵の規律も緩みはじめ、日出生台周辺の町で、米軍を相手にした商売が現れ始め、米軍なしになりたたない町の構造ができあがっていく。

私たちはこのような国のお金に依存しない町づくりをしてきたこの故郷をまもりつづけるために、米軍の訓練としてやってくる米兵の入店を快く受け入れることはできないのです。

日出生台までは来れなくても、あなたの平和のメッセージを送って下さい。
米軍演習期間中 常設企画 1月15日〜2月28日

ピースアート展 in 湯布院

平和を願う皆さんの思いを
ハガキなどに書いて送って下さい!

「ピースアート展」とは沖縄と日出生台の問題、さらには日本の国でどう平和をつくっていくのか、日本中、自衛隊はおろか民間までアメリカの戦争に協力を強制される「新ガイドライン」問題に関する思いを、絵やイラストなどを手段として、表現する展覧会です。この展覧会は誰もが「アーティスト」となり、参加できるもので、かつ誰もが企画者となり展覧会を行うことが可能です。

今回は「由布院空想の森美術館」がメイン会場となりますが、日出生台周辺のその他の会場でも展覧会の企画、展示をできるところを募集しています。

また作品も募集していますので出品の方もよろしくお願いいたします。

  [作品募集します!]

規格については特に問いません。どんな作品でもかまいませんが、
「沖縄」、「日出生台」、「ガイドライン」「平和」等に関連して、
あなたのメッセージを作品の中か、もしくはウラに住所とともに添えて下さい。

作品のウラに住所、氏名、電話番号を記入して下さい。

今までの作品例:絵はがき、段ボール等に絵とメッセージを入れたもの
        シーツに絵と文字
        コラージュ(板に廃材や包装紙、その他いろんな素材張り付けた作品)

<送り先>大分県大分郡湯布院町鳥越 由布院空想の森美術館 ピースアートの会
<問い合わせ先>米軍基地と日本をどうするローカルNET大分・日出生台 事務局
        tel&fax 0977-85-5003

米海兵隊滞在期間中 もうひとつの常設展示 1月15日〜2月28日

日出生台写真集「風の記憶出版記念展」

場所:由布院空想の森美術館フォト館

九州・沖縄在住の写真家16人が迫った米軍基地分散のシナリオ

1995年、「沖縄の痛みを分かち合う」という名目の元に始まった

「県道越え実弾射撃訓練」本土分散移転計画。大分県日出生台も

その候補地に挙がった。

旧日本帝国軍の演習地に始まり、敗戦後の連合国軍に寄る接収、

朝鮮戦争、返還後の自衛隊演習場と続く日出生台100年の歴史---。

人々の怒りと恐れ、平和を希求する叫びをよそに

1999年、再び「風の大地」に米海兵隊の砲声が響く。