検証 日出生台の
4回目の米軍訓練

 大分県の日出生台演習場での四回目の米海兵隊の訓練は、過去三回と同様に沖縄駐留の第十二海兵連隊第三大隊の一個中隊約二百二十人によって行われた。滞在は一月二十一日から二月十九日まで約一ヶ月。実弾砲撃演習はそのうち二月一日から八日間行われた。
 今回の演習で、本土での米海兵隊の「移転演習」としては二十回目となり、同演習が本土五カ所のうち、年間四カ所を使っておこなわれているので、毎年一カ所ずつ米軍演習が「休み」となる五年のローテーションが一巡した。
 以下、日出生台各界連から縁入武夫、ローカルネットから浦田龍次、玖珠地区平和運動センターから飯室浩幸が報告。その後、長崎から田中康さんにいただいた特別報告。主義主張、立場や組織を超えた平和への想いが、日出生台の運動を支えて、今日に至っている。


米海兵隊の演習監視行動から見た4回目の移転演習

大分県日出生台各界連絡会 遠入健夫


 二〇〇二年二月一日から八日まで行われた四回目の米海兵隊の移転演習は、雪に見舞われることもなく、監視行動にとって天候に恵まれた八日間でした。
 昨年の三回目の演習で前回までの演習と「何か違う」と感じていましたが、今回も同じように、一・二回目の演習と明らかに「違う」演習が行われていたのではないかということを感じました。
 平松知事は「演習は拡大、強化されてはいない」(三回目終了時)「昨年とほぼ同規模だったが、情報の早期伝達という点で改善が図られ、トラブルがなく地元の要請が配慮された」(四回目終了時)など述べ、海兵隊の移転演習が地元の要望を配慮して、何の問題もなく行われているかのように語っています。
 しかし、監視行動を通して感じた三・四回目の演習は何が変わったのか、一・二回目の射撃数と射撃時間・射撃間隔と三・四回目のそれとを比較検討してみました。 射撃数は同じ八日間で、三・四回目はともに三百四十三発でした。一回目に比べて百五発、二回目とは百三十三発少なくなっています。発射弾数は少なくなっていますから、それだけを見ると、演習の「規模」は拡大していないような印象をうけますが、射撃時間や射撃間隔などを比較してみますと、三・四回目の演習では、演習状態を維持しながら長時間射撃をしない「空白」の時間帯が多く観測されており、射撃数の減少はそのためであり、射撃数のみで演習の規模を論ずることはできません。射撃をしない「空白」の時間帯にどんな演習を行っているのか知る由もないが、移転演習が「実弾射撃」の移転でなく、海兵隊本来の殴り込み部隊としての総合的な演習に変化したのではないか、移転演習が質的に変化したのではないかと思われるのです。
 在沖縄海兵隊の、沖縄県道一〇四号線越え一五五ミリ榴弾砲の実弾射撃演の、日出生台など本土五ヶ所の演習場への「分散移転」は、沖縄での演習と「同量・同質」だと政府は公約しました。それが、夜間演習を行うなど、「同量・同質」の公約がペテンであったことは、一順目の移転演習で明らかになりました。
 ところが、三十一億円を越える費用を投入して、演習場の設備と機能が強化された三回目からの演習に変化が見えてきたのです。一・二回目の演習時にみられた演習場内の観測施設が姿を消し、車両などの移動がパッタリと途絶えました。午後から夜間にかけて射撃をしない時間が長時間に及ぶことが多くなりました。そして、演習時間終了間際の午後九時直前にまとめて射撃し終了のサイレンを鳴らすと言うことが度々でした。射撃を行わない永い時間、一体何を行っているのか、行われているのか。住民も、自治体関係者も、ただ緊張の時間を強いられるのです。演習内容の開示と夜間演習の中止を求めている地元の要請は無視され続けています。
 四回目の演習では不発弾が多かったのも、実弾射撃が主要な演習でなくなり粗雑な射撃になったのではないかと思うのは、うがちすぎだろうか。演習後の外出も監視行動の厳しい別府市を避け、二日間にわたって長崎市にまで出かけ、二日目には大型商業施設でトラブルを起こしながら、警察と防衛施設局によって表面化させないという「事件」を引き起こしています。
 米海兵隊の「移転演習」は、演習場施設と機能の強化によって、日出生台演習場が米軍演習場として固定化され、日常化される危険が強まっています。演習場の強化のために多額の日本の税金が投入され演習場が強化され、沖縄からの海兵隊の移動費用も日本が負担していることを知らされていない多くの県民がいることも事実です。
 日出生台では、住民の「移転補償」が始まりました。米軍の演習を円滑にすすめるために、住民が生まれ育ったふるさとを離れざるをえない事態まで起こっているのです。
 時限立法とはいえテロ特措法で、自衛隊がアメリカのアフガン報復戦争に参戦し、憲法を蹂躙し基本的人権を踏みにじる有事法制が国会に出されようとしているいま、日出生台演習場で行われている事実を監視行動や現地調査などで日出生台を訪れた人々が職場や地域の人に伝え、有事法制阻止、海兵隊移転演習反対の運動の輪を広げていかなければと思います。(02.3.11)


日出生台の米軍訓練から見えてきたこと

ローカルネット大分・日出生台事務局 浦田龍次

■民間人砲撃事件については
    ついに謝罪も釈明もなし

 昨年二月の米軍訓練では、公開訓練において、見学に来ていた民間人らに米海兵隊員が一五五ミリ榴弾砲の引き金となるヒモを引かせ発射させるという前代未聞の事件が起き、大きな騒ぎとなった。
 これは、奇しくもハワイ沖での米原潜とえひめ丸の衝突事故の前日の事件であり、軍事力と言う通常は一般民間人になじみのないものに、触れさせ慣れ親しませることで、軍への違和感を取り除き、受け入れの空気をつくろうとしてきた米軍(自衛隊にも共通するが)の手法そのものが批判されることになった事件だった。
 これには地元三町、大分県までが強い遺憾の意を表明する大問題となったが、米海兵隊は平然と訓練を続行し、演習後にも謝罪も釈明もしないままさっさと引き上げたため、このような地元を軽視し、責任を放棄した米軍の態度に大きな批判が集まっていた。
 そのような経緯の中で、行われようとしている今回の米軍演習では、当然、この問題について、米海兵隊の指揮官オッヘイ中佐がまずどう対応するのかが注目された。
 しかし、記者会見の場でのオッヘイ中佐はあらかじめ用意されたありきたりの挨拶文書を読み上げるのみで、結局、一言の謝罪も釈明の言葉も出てはこなかった。それどころか、マスコミの質問が「民間人砲撃事件」に集中することが、まるで理解できないというそぶりで、最後はぶぜんとしてオッヘイ中佐は記者会見の席を立った。
 「軍隊」である米海兵隊の感覚と、私たち「市民」の、常識感覚の違いをはっきりと示す記者会見となった。

■「オーヘイ」トヨバナイデ

 余談だが、米海兵隊の指揮官オッヘイ中佐は、今回の日出生台での訓練を前に記者らに対してこれまでの自分の名前の表記を「オーヘイ」ではなく、「オッヘイ」としてくれと求めたらしい。どこかで自分で辞書で調べて見たのかどうか知らないが、それまでの他の移転地で使われてきたこれまでの表記「オーヘイ」は、今回の日出生台からなぜか「オッヘイ」となった。ちなみにこれまでの他の地域での演習での報道記事では「オーヘイ」と表記されてきた。
 今回の演習では、オッヘイ中佐は、昨年の民間人砲撃事件後に、キャンセルして批判された挨拶、記者会見など、すべてを行った。それらは本当に「形式的」としか表しようのないものであったが、すべての手続きを一応は踏むことによって、これからの米軍演習の恒常化に向けての準備を着実に進めて行こうとする米軍側の強い意志の様なものを感じた。

■やはり「新ガイドライン」の訓練

 九七年に日米の事務方で合意され、九九年に「周辺事態法」として、具体化が始まった日米新ガイドライン体制の先取り訓練、実地訓練と指摘されてきた本土五ヶ所での米海兵隊訓練は、実弾砲撃演習そのものは「十日以内」とされていながら、滞在は約一ヶ月にわたり、沖縄からの移動、撤収含めてすべてが「公務」であり、「訓練」であると米軍も防衛施設局も説明してきた。
 四回目となった今回の日出生台での訓練も、まさに日米新ガイドライン体制を現実に機能させるための実地訓練であることをはっきりと示すものであった。
 現代の米軍の戦争は、空港、港湾の使用、民間業者、自治体、警察、自衛隊などの協力による「後方支援」なしには不可能と言われている。そして、今年の「日出生台」においても、これらはまさに「総動員」フル稼働された。
 コンチネンタル航空機を利用して一月二十一日、二十五日と二回に分けて沖縄から大分空港に到着した米海兵隊員計二百二十人は、地元の民間バスに分乗、大分空港道路と大分自動車道を経由して日出生台演習場に入った。前後には警察の警備がつき、日通のトラックがバスの後ろについた。
 米軍車両と一五五ミリ榴弾砲の陸揚げは、一月二十三日、大分市大在公共埠頭に姿を見せ、民間貨物船「にらいかない」から、午前九時、コンテナ八個と米軍車両四十台、一五五ミリ砲四門が次々と運び出された。
 一月二十四日付読売新聞はこの時の様子を、qふ頭では、米軍の給油車の給油用燃料タンクに、民間の給油車が軽油を補給していた。軍用車両を船に積み込む際に、燃料を満タンにしていないからで、補給した燃料代は、沖縄からの訓練移転に伴う経費として国が負担する、というrと伝えている。
 米兵が運転する車両は午前十一時過ぎに日出生台に向けて大在埠頭を出発。警察のパトカーのものものしい警備の中を大分自動車道、大分宮河内インターへ。途中の一般道路のすべての信号には警察官がついて、信号を青信号に操作、ノンストップで高速道路へ。米軍車両の搬入が完全に終了してしまうまで、周辺道路はまさに「米軍最優先」という状況となった。
 この米軍車両の搬送では、毎年、必ずと言っていいほどに故障車が出る。今年も大分自動車道にのってから、米軍車両三台がエンジントラブルを起こし、付き添いの米軍レッカー車一台の他、民間のレッカー車二台まで急きょ動員され、故障車を牽引した。これがレッカー車動員の訓練として意図的に行われているものなのか、あるいは米軍が舗装道路も走れない程度の整備不良の車両を持ってきて演習にのぞもうとしているのかはわからない。どちらにしても、地域に暮らす住民への配慮などかけらもないことに変わりはない。
 また今年も米軍が日出生台で使う弾薬を積んだ日通のトラックの搬入日程は自治体にのみしか伝えられず、公表されなかった。かろうじて、弾薬輸送の当日に佐世保からの連絡を受けて、マスコミが報じたが、多くの地域住民は、日常生活の隣を危険な弾薬が通過したことををまったく知らないままだった。
 このような形で、大分の港、空港、道路を使って、米軍のための官民を上げた「後方支援」訓練が今年も積み重ねられた。

■負傷した米兵をヘリで搬送

 米軍演習五日目の二月五日、夕方六時過ぎ、暗闇の演習場に赤色灯をつけた救急車両らしき車が入って、数分後に出ていったことを監視センターが確認した。その後の調べで、演習中に米海兵隊員が負傷し、運び出されたものと判明。負傷米兵は、自衛隊ヘリコプターで別府駐屯地に運ばれ、新別府病院で治療を受けたという。
 この、けがをした当の兵士は、演習終了後の外出と「ボランティア活動」にも首に白い包帯ギプスを巻いたまま出てきており、特別大きなけがであったというふうにはまったく見えなかった。それほどのけがでもないのに、わざわざ自衛隊のヘリを使ってけが人を搬送した今回のできごとは、それ自体が「新ガイドライン」の訓練として、自衛隊、民間医療期間を動員する訓練として意図的におこなわれたものではないかと勘ぐりたくなる。

■施設局現地責任者が演習中に、
 場外に抜けだし米軍と飲酒会合

 先述した海兵隊の事故が起きていたその同じ二月五日の夜、福岡防衛施設局の一般常識感覚を疑うできごとが発覚した。
 まだ海兵隊の演習が終了していない時間帯の夜八時から九時過ぎまで、広瀬現地対策本部長ら五名と、米海兵隊員六名が、湯布院町のハーベストファーム内のレストランにおいて、飲酒を伴う会合の席を持っていたのだ。
 この時間帯は、演習中に負傷し、ヘリで運ばれた米兵の容態もまだ判明していないであろう時間帯。この程度の人数の会合を開くのであれば、すでに演習場内には私たちの血税を投じて建てられた三階建て宿泊施設、巨大食堂施設に加え、福岡防衛施設局の現地対策本部もあり、それらの場内施設を使用すればすむことである。そんな時間に日出生台現地での最高管理責任を負う広瀬現地対策本部長が持ち場を離れ、米兵との飲酒を伴う会合に参加していたことは、あまりに不謹慎、かつ非常識な行為ではあるまいか。
 この件について問い合わせたところ、「現地対策本部長の大切な業務の一環であると考えているので、何ら問題ない。酒を飲んだというが、宴会ではない。あくまで意見交換を兼ねた食事。現地対策本部長には、いろんな業務があり、その中で関係者と意見交換というようなことも大切な業務の一環。確かに乾杯程度はおこなったというふうに聞いているが、通常の酒飲み会をやったとかそういうことではなく、あくまで意見交換を伴う食事。お酒は乾杯程度ということ」と苦しい釈明。
 地元三町自治体や私たち住民からは、これまで再三にわたって、米兵外出の自粛要請が行われてきた。福岡防衛施設局もその件については重々認識しているものと考えていたが、今回の件については、福岡防衛施設局の基本的姿勢に、あらためて疑問を抱かざるをえない。
 演習場周辺では、地元の町村職員、県職員、消防団らが、毎日、演習終了まで現地対策本部につめ、あるいは巡回を行い、緊張を強いられている。今回の福岡防衛施設局と米軍の行為は、そのような地元の努力を愚弄する行為であり、住民感情への配慮をあまりに欠いているのではないだろうか。

■米軍演習開始のその日、
    一軒目の家が壊された

 米海兵隊の訓練が日出生台演習場で行われるようになって、九九年一一月二十八日、国は、演習場周辺の住宅に対して防音工事と移転保証措置の指定をした。この移転補償措置は強制ではないというものの、移転するなら補償金を出しますよというもので、ただでさえ、過疎高齢化が進んでいる日出生台の過疎化をさらに加速させ、地域共同体が崩壊させられるのではないかとの大きな不安を演習場周辺住民は抱えている。
 二〇〇一年度は移転補償措置に六件が応募。国が買い取る価格は、現地の地価相場の十倍から二十倍との声も出ている中、一件目の移転補償を受ける家の取り壊しが、米海兵隊の演習が開始された二月一日、始まった。移転補償を受けるためには、自費で自分の所有する家屋を取り壊し、庭の樹木などをすべて片づけ、さら地にせねばならない。
 この日米両政府によって進められてきた「米軍演習」が地域住民と共存できないものであることをなによりもはっきりと示しているのがこの移転補償措置だ。

■平和の灯「ともに生きる」

 米軍演習が開始され、移転補償の一軒目の家が取り壊された、その二月一日の夜、監視センター前の畑で、紙コップに入れた千本のロウソクに火を灯して、私たちが火文字で平和のアピールを行った。地域においても世界においても、誰もが共存できる安全保障の実現こそが私たちの願いであり、そのための努力をこれからも皆で続けていこうとの誓いを込めた「ともに生きる」の火文字が、二月の厳冬の日出生台の闇の中にひときわ明るく浮かび上がった。

■沖縄から反戦地主ら視察

 二月六日から三日間、沖縄から反戦地主、一坪反戦地主、嘉手納爆音共闘のメンバーら、総勢二十人が日出生台を視察、激励に訪れた。
 米軍演習も四年目となり、恒常化の兆しが見える中、これまで長い間、反戦の闘いを続けてきた沖縄の人々の熱い激励は、今の私たちにとってなによりも強い心の支えとなる。これまで運動の柱として私たちが続けてきた沖縄をはじめとする現地の住民どうしの交流が、こうして一つのかたちで実を結んだことに感慨を覚えるとともに、このような住民どうしの交流によって今後も絆を深めていくことこそが、なによりも大きな力になるものとの確信を深めた。

■軍事依存経済への傾斜

 これまで日出生台演習場を抱える地元三町には、米軍訓練が始まって落ちるようになったSACO(日米特別行動委員会)予算とは別に(一)障害防止事業(二)民生安定事業(三)特定防衛施設周辺整備調整交付金(四)国有提供施設等助成交付金の通常の防衛関係制度がある。金額にして三町合わせて五年間で約六十億円が落ちてきた。
 これに加えて、米軍演習移転によって、国はSACO予算の「特定防衛施設周辺整備調整交付金」として地元三町に交付金を加算。訓練の実施の年は四億円。実施しない年は三億円が「迷惑料」として払われてきた。(三町内での配分は玖珠町が二分の一、湯布院町、九重町が四分の一)ただし、来年度から、演習を実施しない年は一億円に減額。
 平成十三年度単年度のSACO予算の個人向けの住宅防音事業のための「教育施設等騒音防止事業費補助金」として、十一億三千二百万円。また大分県に対しては「道路補修等事業費補助金」として八億四千三百万円があてられている。つまり、SACOからこの一年だけで、大分県と地元三町におちる総額は二十三億七千五百万円!。
 さらに、国はこの五年間に、演習場内に三百人収容の鉄筋三階建ての米軍用宿泊施設や食堂、厨房施設を建設。車両整備場、射撃情報を流す電光掲示板、射撃地区の進入路などを整備。総事業費は三十一億五千四百万円。
 演習を重ねる度に米軍演習への依存経済が地域に作られつつある。

■米海兵隊の集団外出

 日出生台での実弾砲撃演習が終了し、二月十二日、十三日と、米海兵隊員らは大分県内の名所旧跡を巡る修学旅行スタイルの集団外出を行った。コースは昨年と変わらず、以下のような行程を二日間行った。コースは
・アフリカンサファリ
・安心院/深見五重の塔
・宇佐市県立博物館風土記の丘
(見学後バス内でお弁当の昼食) ・宇佐神宮 
・熊野まがい仏 
・別府焼き肉一番

 安心院町の深見五重の塔では、今年も安心院町の住民たち約十人が手書きのメッセージを書いたプラカードを持って無言の抗議。昨年はここで、住民の切実な思いを無言でアピールする住民らをバックに海兵隊員らがピースサインをしながら、おどけて「記念写真」を撮ったりして、その状況がテレビ、新聞等で報道され、米兵らの態度が批判されたが、今年は注意を徹底したのか、「記念写真」を撮るような海兵隊員はいなかった。
 しかし、昨年から続いている安心院町住民らによるこの無言の抗議は、海兵隊員らも別に「危険」でもなさそうなので、近づいてアピールのメッセージをじっと読んだり、それを見てなにかを考えているらしく、ある意味で米海兵隊員らがもっともきちんと演習に反対する住民らの思いを知る場でもある。実際、空港や日出生台演習場の入り口での抗議はいつも一瞬で通り過ぎて行く米海兵隊員の乗ったバスに向かって、シュプレヒコールをしているわけで、それを考えると人数は少なくても、このような地元住民らによる静かなアピールも非常に意味があるのではないかと強く感じた。
 また、今年は初めて、宇佐神宮でも地元の平和団体や地元住民が米海兵隊への抗議アピールを行った。外出先各地でそれがどんなに少人数であっても、しっかりと思いを伝えるこのような抗議こそが、彼らに何かを考えさせる力に必ずなると思う。

■突然発表された長崎市方面外出

 昨年までは、この二日間の大分県内の修学旅行スタイルの集団外出を終えた後、翌日から別府市への終日の自由外出が二日間行われてきた。
 別府市での自由外出では、毎年、飲酒した米兵による醜態、痴態、路上での海兵隊員どうしのけんかや、泥酔した米兵による無銭飲食(後で福岡防衛施設局が立て替え払いをしてもみ消し)など、いつでも事件へとつながりかねない状況が続いており、問題となっていた。
 ところが、今年、福岡防衛施設局は、米海兵隊の集団外出先を別府ではなく、突然、「長崎市方面」と発表。同施設局は「訓練用員が日本の歴史文化等に触れ、もって周辺地域社会に対する理解を深め、さらに休養することを目的に行われるものと承知しており、今回外出先を長崎方面としたのは、原爆の影響を研修し、その地域における歴史文化を理解するため」と説明し、二月十四日、十五日と長崎市に集団外出を強行した。
 午前中は、原爆資料館、爆心地、平和公園と回り、午後からは港にバスを移動し、夜八時まで長崎市の町で自由外出となった。
 日出生台に米軍演習の問題が浮上したとき、一般の住民が最も不安を訴えたのが米兵の外出問題であり、それに対して国は協定を結んで「米兵の最高度の規律」と「米兵外出時の施設局職員の同行」を約束したという経緯がある。しかし、長崎市の市民には、今回、そのような日出生台での経緯や別府市での外出の実態の情報もそれを判断する時間も与えられなかった。このような手法は、長崎市民を巧妙に欺くものではないだろうか。
 外出した米兵らは(別府でもそうだったが)しらふの間は話しかけても陽気な青年たちなのだが、飲酒をすると厳しい日出生台での訓練でのストレスが噴き出すらしく、赤ら顔でコーラのペットボトルを道路に放り投げたり、若い女性にあからさまに誘いの声をかける酔った海兵隊員の姿が長崎でも見られた。
 私たちが話しかけた米兵の一人は「この後はフィリピンに行く」と言っていた。アフガンに海兵隊が派遣されたことをあわせて考えても、やはり日出生台の米軍訓練は、単なる練習をしているわけではない。日出生台が再び戦場と密接に結びついた場所とされようとしている事実を私たちは自覚しなければならないとあらためて思った。



 4回目の実弾砲撃演習が終わって

玖珠地区平和運動センター 飯室浩幸


 今年四回目の米海兵隊実弾砲撃演習が強行されました。昨年、民間人による実弾砲撃事件を引き起こし、正式な謝罪のないままでの今回の演習であるために、例年にも増しての納得できない気持ちと、四回目という事での若干の慣れとが交錯する複雑な思いで今年の演習を向かえました。
玖珠地区平和運動センターは、社民党・大分県平和運動センター・部落解放同盟で組織する日出生台対策会議の一員として、今年も大分県への申し入れから、先発隊の到着時、武器搬入時、本隊到着時の抗議行動、演習開始時の抗議集会と街頭デモ行動等の取り組みを行いました。
 今までは演習期間中の抗議行動がなかなか取り組めなかったという事で、ピースカー行動を演習期間中に行いました。県下各地から百台を超える車が集まり、演習場周辺で抗議のクラクションを鳴らし、抗議のリボンをフェンスに結び付けることで私たちの思いを表しました。
 また、平和センターの構成組織である大分県教職員組合の方々が日出生台演習場周辺でデモ行進を行い、抗議のシュプレヒコールをあげました。演習場内に建設された宿舎に向かってのシュプレヒコールは非常に力強いもので、宿舎の中にいた海兵隊員らしき人が窓を開けてこちらをのぞいていました。
今年で、在沖縄米海兵隊の本土移転演習は一つの区切りである五年目を向かえました。これからの私たちの取り組みは、今年で期限の切れる、福岡防衛施設局と地元自治体が結んでいる日出生台演習場の使用協定を、更新させない取り組みを強めていきます。この使用協定はどちらからも何も言わなければ、さらに五年間延長されてしまうもので、更に五年間演習を受け入れ続ける事が決定してしまう事になります。日出生台演習場での米海兵隊の演習が完全に定着してしまいます。そうさせないためにも声を上げ続けていく必要があります。
私は、日出生台での米海兵隊の演習反対闘争に関わって感じている事は、たとえなかなか思いが届かなくても、言い続ける。声を出し続ける事が大切だという事です。何も言わなければ、さらに好き勝手な事をされてしまいます。現状にあまり変化がなくても、歯止めにはつながっているという事です。
 もう一つは、できる人ができるところでがんばり続けるという事です。それぞれの人がそれぞれの場所でがんばれば、大きな力につながります。有事法制が国会に提案され、さらに厳しい情勢になってきていますが、あきらめず粘り強く闘い続けようと思っています。共にがんばりましょう。


米海兵隊外出ウオッチング

長崎市 田中康

●海兵隊、突然の長崎外出、
 長崎県の無責任な受け入れ
 
 二月十二日、大分県の日出生台で演習をした「米海兵隊が長崎方面に集団外出するようだ」とのニュースが突然飛び込んできました。福岡防衛施設局は、「安全上の理由」からスケジュールや行先は明らかにしていませんでしたが、県や長崎市は「八日に同局の現地本部からあいさつにきた」とその事実を認めました。十四日約七十人、十五日約九十人が、「日本の歴史・文化等に触れ、もって周辺地域社会に対する理解を深め、さらに休養するため」と称し、わざわざ長崎市の平和公園や原爆資料館などの見学を求めてきたことを明らかにしました。当日はランタンフェスティバル(中国の春節祭)の真っ最中、付近には中華街や大きな飲食店街もあります。
 「ええっ、何で被爆地長崎…」と、計画を知っただれもが声をあげました。しかし米軍にすれば、そういう場所だからこそ「米軍ならし」の思惑が働くのだと思います。
 当然、平和団体などから抗議の声があがりました。日本共産党は翌十三日、県と長崎市に「集団外出の中止」を申し入れました。申し入れは、「海兵隊は他国への侵略戦争の先頭に立ってきた殴り込み部隊で、沖縄、佐世保で数多くの犯罪を引き起こし、長崎市でも米艦乗組員が少女に対するわいせつ事件を起こしている。大分県では海兵隊の外出に関して協議のうえ対策を取り決めているのに、長崎ではそれもなく、単なる通告で強行するやり方は許されない」と、住民の安全を守るべき自治体の責任を明確にするよう求めました。
 これにたいし県は、「(海兵隊外出の)行動の詳細は把握していない。防衛施設局から三十人が同行するので問題はない」とのべ、長崎市は「重大な問題とは認識していない。対策会議はもっていない」と答えました。海兵隊の本質も現実も見ようとしない、無責任な「集団外出受け入れ」の態度といわざるをえません。

●ほとんどが自由行動、
 施設局の「見張り」は形だけ

 十四日午前十時半、日出生台で演習中の在沖縄・米海兵隊員約七十人が大型バス二台で長崎に入りました。「ローカルネット大分・日出生台」のメンバー四人が監視のためにビデオ持参で車で同行してきました。初対面の浦田さんらは、早速「集団外出も演習の一環。演習が終わったから長崎に来たというのは間違い」と指摘。大分での集団外出の実態と、そのなかでのネットワークの監視活動の貴重な蓄積を早々に学ぶことができました。
 屈強な集団はそのまま原爆資料館に入り見学。入口付近にいた修学旅行生は一瞬立ちすくみ、後退りしました。三十分から一時間、ばらばらに出てきた海兵隊は思い思いに爆心地公園を歩き、平和公園に移動しました。再びバスに乗った集団は大波止にある大型店「夢彩都」の裏側にある駐車場へ。その後は、昼食から夜八時の出発時刻まですべて自由行動でした。県などは「団体行動だから大丈夫、三十人の防衛施設局員がつくから安心」と気楽に答えていましたが、実際には施設局員の姿はほとんど見当たらず、見張っている状況もありません
 浦田さんらが「大分では、施設局員も自治体関係者も、警備とか見張っている状況がわかるように派手なヤッケなどをきています。そうでないと意味がないんです。見張られているのが見えるから少しは自制するんです。アルコールがはいればまた別ですが」といいます。なるほどと思いました。
 ランタンフェスティバルの中心会場の湊公園付近は、見物の観光客や市民でいっぱい。ひと際目立つ体格の二人組、三人組の集団はひと目でそれと分かります。近づかず、そっと遠回りする人もいます。「ラッパ飲みしているコーラ、あれにウイスキーが入っているんですよ」の話し通り、夕方になって少しづつ様子が変ってきました。「コーラボトルを道路に投げつける」「近くにいた女子高生のグループと肩を組みツーショットで写真をとる」「入口付近に十数人でたむろし大声を出す」など、リラックスムードです。出発時間が夜も早い八時だったこともあり、幸いこの日は何事もありませんでした。それでも八時の出発時間には全員そろわなかったらしく、施設局や海兵隊「捜査官」らが残って、迷子の海兵隊員の「捜索」に出かけました。バスは八時十五分にそのまま出発。「残った人たちはどうしたのか」の気持ちより、「帰ってこない米兵、バスは出る、何事もなく当然のように探しに行く」状況が、平然と行われていることに異様さを感じました。

● 「狂言強盗」事件

 十五日の集団も同時刻に長崎着、前日と同じ行動が繰り返されました。この日は「長崎で独自の監視体制を」と、市内の平和団体がパトロールしました。出発時刻の夜八時少し前、「何事もなく終わりそうだね」と、ほっとしながらバスの駐車場に向かいました。ところが、「夢彩都」の玄関前にパトカーが止まり、別の覆面パトカーがサイレンを鳴らして出島方面に走りました。「関係ない事件かも」と思いながらも緊張しました。八時ちょっと過ぎ、駐車場にはバスに乗り込む海兵隊員とともに、すでに警察官の姿がありました。次々に私服刑事らしき集団やパトカーも到着、あっという間に二十〜三十人の集団になり、さかんに無線連絡をとっています。
「被害者がみつかった。今からこちらに向かうそうです」
「場所は夢彩都(ゆめさいと)の裏の大きな駐車場」などと会話が交わされ、内容をそばにいる別の人物に伝えています。「面割りが必要だからな」などの話も聞こえます。やがて規制ロープが張られ、カメラを抱えたマスコミも次々に集まってきました。はじめは施設局員も「何が起こったか分からない」様子でしたが、「カメラが多い。みんな帽子をかぶって」と指示する声も。マスコミ関係者からの話で、「『夢彩都のトイレで米兵の強盗にあった』と第一報が警察にあり、緊急配備となった。まもなくここに被害者が到着する」と聞き、事情が分かりました。
待つこと二十分ほど、確認のため現場に来るはずの被害者らしき人物はあらわれません。バスは八時三十分頃、二台とも出発。「いつまでも出発を延ばさせるわけにはいかない」ということらしい。しかし、この日も帰らぬ迷子がいたらしく一部の施設局員らは残りました。一部始終を目撃していた人たちは、きつねにつままれたような気持ちで、「事件隠しではないか」「もみけししたのではないか」と、話しながら首をかしげていました。
その後警察は、「トイレで強盗にあったという状況がなく、通報そのものが狂言だった」と発表しました。

●被爆地での、米海兵隊の
 集団かっ歩を許すな 

 後日、事件に関して中田晋介県議が質問(二十五日)、県警総務課は二十七日、次のように回答しました。
 「夢彩都地下のトイレで外国人三人から金を奪われた」と一一〇番通報があり、夜七時五十四分から検問を行った。近くの交番から現場にかけつけ、パトカーも急行して現場を見、聞き込みを行ったが犯罪の事実は確認できなかった。通報者・被害者にも会えず連絡もとれなかったため「虚報」として九時に検問を解除した。海兵隊とは特定せず、「外国人」ということで対処した。通報者は別の犯罪で浦上署に逮捕され、取調べのなかでウソの一一〇番をしたと自供したと…。事件はニュースにもなりませんでした。
 長崎外出の自由時間に飲食店街を集団がかっ歩し、店に入ってはすぐ出てくる様子を目の当たりにして、沖縄や佐世保と同様の犯罪が起きない保証はどこにもないことを実感した二日間でした。   自らパトロールに参加した長崎原水協の大塚孝裕事務局長は、「今回の海兵隊の集団外出にしても、有事法制の問題にしても、被爆地長崎でこそ一つひとつの危険な動きを敏感に取り上げてたたかうことが重要」と話していました。

HOME