鏡餅と笠縫島

高嶋談

 お正月に日本中どこにまいりましても家にお祭りするものとしまして、お鏡餅というものがあります。ご承知のとおり丸い大きいお餅をふたつ重ね、その上に橙の赤いのをひとつのせまして、お供えするわけでございますが、これはいったいどういうわけなのでしょう。

 今のお餅は精米技術の発達で真っ白でございますけど、昔は赤米と申しまして、かなりだいだい色だったわけです。つまりこれはお日様の象徴だったと思われます。毎年毎年新しいお日様が生まれ、それを家の中に取り込んでいくという古代のひとびとの考え方をここに見いだしうるといえましょう。

 大分市と別府市の境、猿の生息することで有名な高崎山は、万葉の昔には四極(しはつ)山と呼ばれ(四極とは東西南北の四方の果てを意味する)ておりました。最初にご紹介した和歌は、この山が遠く奈良の地まで知られておったことをうかがうことができます。また、歌の上で次にでてまいります笠縫(かさぬい)島(現在では周囲が埋め立てられて陸続きとなっておりますが小さなお宮がまつられております)は、地図をひろげれば、四極山からのびる東西線上に見つけだすことが出来ます。

陸続きとなった現在の笠縫島

 このことは、すなわちこう言い換えることが出来るといえるでしょう、四極山の頂上から見てこのかがみもちのような形をした島のちょうどむこうから御日様が出る日、それが春分の(あるいは秋分の)日であると。私はこの「かさぬひ」島とは「重ぬ日」島であったと考えます。

高崎山(後方)と笠縫島(左)