薬害エイズと刑事裁判
薬害エイズは産・官・医の癒着が引き起こした被害です。
血友病患者約5000名のうち、約1800名がHIVに感染。既に500名を越える人たちが命を奪われています。
血友病は血液凝固因子が不足しているために出血すると止まりにくい病気です。治療薬として血液製剤が使われました。最初は国内で作られたクリオが使われていました。
次第にアメリカの売血を使った非加熱製剤に移行しましたが、何千人もの血液を混ぜて作る為に、ウイルス感染の危険性が指摘されていました。1983年、のちにエイズと呼ばれる病気の発生が報告されました。
ウイルス(HIV)感染と分かるとすぐに各国は安全な加熱製剤に切り替えていきました。しかし日本では2年以上遅れたのです。さらに安全な製剤が出来た後も、危険な製剤は回収されなかったのです。この間に、感染被害が広がりました。
対応の遅れていた日本にアメリカの非加熱製剤が輸出され、製薬企業は安全だとウソをついて販売し続けました。クリオに比べて薬の儲け(薬価差益)が大きいために、医者や病院が使えば使うほど儲かったのです。

厚生省は危険情報を入手しながら企業優先の対策をとりました。緊急対策(非加熱製剤の販売禁止、クリオへ転換、加熱製剤の緊急輸入など)を行うことはありませんでした。厚生官僚の天下り先の多くが製薬企業だったからです。

安部英、元帝京大学副学長
血友病専門医の権威で、製薬企業から多額の寄付が行われていました。患者を守る立場でありながら危険な製剤と認識していながら使いつづけました。

多くの専門医が同様でした。彼らは感染責任を回避するために感染告知をしませんでした。それがHIV治療の開始を遅らせ、さらに二次感染を招きました。
松村明仁、厚生省元生物製剤課長
当時の担当部署の責任者として何の対策も行いませんでした。彼だけでなく当時の薬務局長や厚生大臣も同罪です。

草伏村生さん、「私たちは満身の怒りをこめて、死んでいった仲間たちの骨と奪われた血友病児たちの未来に誓って、失われた健康といのちの責任を国と被告製薬企業に問いたいと考えています。」「私にはHIVは重い荷物ではあるが人類が担いきれない試練ではない。・・・私はHIVには感染したが、友人はなくさなかった。家族や愛する人もなくしはしなかったからだ。」
M君、「ぼくが今いちばん訴えたいことは、ぼくと家族をこんな目にあわせた国、製薬企業が憎いです。今、ぼくは体が疲れやすく、学校の通学もたいへんです。学校から帰った後は、疲れているので勉強もできません。学校にはぼくが感染していることはいっていません。」「国はこれからこのような悲劇を出さないために管理をきちんとして、差別、偏見のない世の中をつくってほしいです。」 
2002年 ミドリ十字控訴審の判決が下り、
安部控訴審・松村控訴審がスタートします。
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