緊急出版 第3弾 
発行日 2004年10月25日


パンフレット
薬害エイズ 刑事裁判 安部英・控訴審
逆転判決が見えていた中での公判停止
〜専門医の責任はどう問われたのか〜


薬害エイズ 刑事裁判 安部英・控訴審
逆転判決が見えていた中での公判停止
〜専門医の責任はどう問われたのか〜
(B5縦サイズ 68ページ)

編集・発行  HIV薬害訴訟を支える会・大分
 連絡先   大分市都町2−7−4 田並ビル2F
               TEL 097−537−3344
               FAX 097−537−4329
 発行日   2004年10月25日
 定 価   500円

 お申込   上記TELまたはFAXにてお申込下さい

発行にあたっての思い
『私たちは、薬害の根絶を願って薬害エイズの被害と責任を語り継いでいきます』


 2004年2月23日、薬害エイズ事件で業務上過失致死罪に問われ、一審の東京地裁で無罪判決を受けた帝京大元副学長・安部英被告(87)について、東京高裁の河邉義正裁判長は「脳血管性障害による痴呆に心疾患等の身体的障害が加わり、高度の痴呆状態にあると認定するのが相当。」として刑事訴訟法に基づき公判を停止する決定を下しました。1997年3月の一審初公判以来、7年近くにわたる公判は事実上、元副学長の最終的な刑事責任が確定しないまま終了することになりました。
 薬害エイズは血友病患者が治療に使用した血液製剤がエイズの原因ウイルス、HIVに汚染されていたために、約1,800名がHIVに感染させられた薬害事件です。既に540名近い方が亡くなっています。500名を超える人の生命が奪われた薬害事件は日本の薬害史上例がありませんでした。
 日本は世界一の薬害大国と言われています。サリドマイド被害に始まってスモン、クロロキン、そして薬害エイズ、更に薬害ヤコブ、薬害肝炎という形で、繰り返し繰り返し世界に例の無い程大量の薬害被害が次々と起こってきているのです。このように薬害被害が繰り返されてきたのは、これまで誰に責任があったのか、どこに責任があったのかが全く曖昧なままにされてきたからなのです。

 薬害エイズの刑事裁判でも一審(東京地裁)では、2001年に『1985年12月、第9因子・加熱製剤の承認時点を責任の範囲』と認定し、薬害エイズ事件の刑事責任を問われた安部英・元帝京大副学長を無罪、松村明仁・元厚生省生物製剤課長を一部無罪にしました。
 しかし、薬害エイズの民事訴訟においては1995年10月6日、東京地裁は「和解勧告に当たっての所見」で『1983年当時に感染の危険性は科学者の常識』と認定し、国・製薬企業の責任を認めました。この所見をきっかけに薬害エイズ民事訴訟は1996年3月29日に和解をしたのです。

 刑事裁判一審での安部無罪判決直後、被害者のお母さんは『あれは息子の判決ではない。ただの紙切れ。』と談話を残し、草伏村生さんのお母さんは「息子たちは何のために闘い、何のために死んでいったのか、それを思うと本当に悔しくて眠ることができなかった。」と語りました。

私たちは薬害の根絶を願って、2002年発行の「薬害エイズ刑事裁判を問う」の続編として本書を発行し、民事訴訟から刑事裁判・控訴審までに明らかになった事実を踏まえながら、薬害エイズの被害と責任を語り継いでいきます。この続編が、責任ある人たちの責任がどのように明確になりつつあったのかご理解いただく資料として活用されることを願っています。