復刻版「厳律シトー会修道者の生活」

古川 勲著 昭和56年12月25日 初版発行



1カトリックの信仰
2修道生活の起源と歴史
3シトー会(トラピスト)の起源と現状
4日本におけるトラピスト・トラピスチヌ修道院の現状
5修道者の生活
6修道者の誓願
7人会を希望される方のために



はじめに
お告げの聖母トラピスト修道院が、日本で二番目の男子のトラピスト修道院として、大分県 日出町に創立されたのは、1980年(昭和55年)七月十一日、 聖ベネディクトの祝日でした。
その時以来、文字通り茨の道を切り開きながら、新修道院の基礎固めに明け暮れた毎日であったように思います。
今回、大勢のかたたちの要望に応えて、この小冊子を世にだすことになりました。
大変不完全なものではありますが、「トラピスト」の修道生活とはどういうものかを知りたいかた、あるいは修道生活への入会を希望されるかたのために、何か の役にたってくれたらと希望してやみません。





1カトリックの信仰


聖書の教えによれば、宇宙とそこにあるすべてのものは「愛である神」(Iヨハ ネ.8)によって創造されました。
天地創造の年代については科学者たちの研究にゆだねられているとしても、ともかく「造られたもので、みことばによらずに造られたものば何一つなかった」 (ヨハネ1・3)のです。
しかも造られたものはみな、神の計画に完全に合致するものでした。

造られたものの中で最もとうとく、価値のあるものといえぱ、理性と自由意志を持つ人間であったことば言うまでもありません。
事実、人ば神のすがたに似せで造られた者なのです(創世記2・27)。
しかし不幸にして人祖は自由意志を乱用して神の命に背き、罪を犯してしまいました。これがすなわち原罪というものです。
人類は、罪の結果、神の恵みを失い、高貴な人間性を傷つけ、秩序を乱し、あらゆる悪と不幸を体験することになりました。
しかし神は、その深いあわれみのゆえに、人間をお見捨てにならず、太祖、頂言者たちを通して、救い主イエズス・キリストを遺わすことを約束し、罪のゆるし と神との和解を実現するため、回心して心を清め、神に立ぢ帰るよう求められたのでした。
このようにして、救いにいたる旧約時代の長い準備期間が始まり、神の忍耐深い人間教育が開始され、継続されることになったのです。
その後、時が満ちて、神は約束の通りひとり子イエズス・キリストを世に遺わし、救いのわざを全うされることになったのです。
主・キリストば、みずから神の子でありながら、極度の貧しさのうちに、おとめマリアの子としてユダヤのベトレヘムという小さな町に生まれ、それから約三十 年、ナザレで貧しい生活を送られたのでした。
その後、世にでで約三年間、弟子たちとともにユダヤの町や村々を歩いて救いの福音を告げ、愛の教えを説き、数々の奇跡を行ない、ついにはご自分の「愛の教 え」のゆえに、迫害を受け、十字架の刑に処せられたのでした。
外面的にはいかにも惨めな一敗北者のように見えても、キリストが神の子であったことに変りはありません。
死後三日目に、かねての預言の通り復活し、ご自分の言葉と教えの正しさを証明されたのです。
キリストの復活こそは、すべてのキリスト者の信仰の土台をなすものですが、それはまた信じるすべての人にとって大きな希望の源にもなっているものです
。 というのは、主が先に復活されたということは、私たちもやがて復活し、不死の体をまとって永遠の喜びに入ることを教え、証明しているからです。

聖パウロは次のように言っています。「死んだ人問の復活がないとしたら、キリストも復活しな かったでしょう。
しかし、キリストが復活しなかったとしたら、わたしたちの宣教も無意味なものであり、あなたがたの信仰も無意味となるでしょう」(Iコリント15 13− 14)と。

キリスト者は、主・キリストの輝かしい復活を信じ、みずからの復活と永遠の生命を待ち望みながら、人生の旅路を雄々しく歩み続けるのです。
真の信仰は、ただ頭の中の信仰ではなく、実践的生活によってあかしされなければなりません。
そのために常に神の前で正しく生きること、洗礼によって与えられた救いの恵みを大切に保ち、絶えず愛の奉仕に励むことがたいせつです。
それというのも、「万事に越えて神を愛し、人をおのれのごとく愛する」ことがキリスト教の最も基本的な教えだからです。
キリスト者は、主の教えと、主の代理者である教会指導者、特に教皇や司教、聖職者たちの教えに従い、社会的、人道的義務を忠実に果たし、祈りの人、謙虚で 心の清い人、誠実で平和をもたらす人、つまり絶えず神とともに生きる人でなければならないのです。
そういう意味で、キリスト者の信仰は、世界とすべでの人に一致と平和、内的喜びと真の幸せをもたらすものであると私たちは確信しています。

以上述べてきたことが、カトリッグ信仰のすべでではなく、極く小さな部分に過ぎないことは言うまでもありません。
しかしそれはそれとして、修道生活がカトリッグ信仰に根ざし、そこから芽を出し、開花したものであるということだけを理解していただけたら幸いと思いま す。




2修道生活の起源と歴史

  主・キリストは、かの有名な山上の垂訓の中で、「天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5・48)と仰せになって、わた したらの目ぎすべき理想をお示しになりました。
また金持の青年には一層具体的に、「もし完全になりたいならば、帰って、あなたの持ち物を売り、貧しい人々に施しなさい。
そうすれば天に宝を蓄えることになる。それから、わたしについて来なさい」(マタイ19・21)と仰せになっています
。 神の前で完全な者になるということは、すべてのキリスト者に与えられたおきででありますが、内的にも外的にも貧しい者になるということは、厳密な意味での おきてではなく勧告です。
修道生活は、福音書に記されている主・キリストの種々の勧告を身をもっで実行したいと望むキリスト者たちによって始められたものです。
教会の中で、今日見られるような修道者が最初に姿を現したのは、第三世紀に入ってからのことです。
かれらば殉教の精神を受継いで、世俗的な一切の ものから離れ、エジプトのナイル河畔で厳しい苦業と絶え間ない祈り、神との深い一致の生活を送ったものでした。
テーベの聖パウロ(334−347)や、聖アントニオ(251−356)等は修道生活の創始者であり、最もすぐれた指導者でもあったのです。
その後、聖パコミオ(292−346)や、聖バジリオ(329−379)によって共同生活を送る形態の修道生活が創設されました。大勢の熱心なキリスト信 者が彼らのもとに集まって祈りと勤労の生活を送り、今日の共修生活の基礎を築いたのでした。
エジプトやパレスチナ地方で最初に芽をだし、開花した修道生活は、時が経つにつれて、シリア、ギリシャ、ロシアヘと広がり、ついにはローマ、ヨーロッパ全 体へと発展していったのです。

ヨーロッパにおける修道生活は、聖ベネディクト(480−547)の影響によるところが大きく、ヨーロッパ諸国の文化は、ある意味でベネディクト会修道士 たちによって開かれたと言っても過言ではないと思います。
事実、ベネディクトの弟子たちや後継者たちは、ヨーロッパ各地に修道院を建て、各時代の人たちの精神的、社会的、文化的生活にはかり知れない程の貢献をし てきたのでした。
以上のことから、修道生活とは教会と社会全体のために、福音の証し人として働きながら、祈りと隣人愛によって神との一致をはかり、完徳を目ざすキリスト者 の生活であるということが自然に解ってくるのです。
カトリック教会には多くの修道会がありますが、大きく分けると活動修道会と観想修道会の二つに大別することができます。

活動修道会とは、社会のあらゆる階層の必要に応えるために、主として福音宣教、報道、出版、教育、病院、福祉施設などあらゆる分野で活動する修道会のこと です。
深い信仰と愛、祈りと犠牲心、特にミサ聖祭が彼らの奉仕の基盤、原動力になっていることは言うまでもありません。

観想修道会とは、外的にこのような活動にたずさわることなく、絶え間ない祈りと人目にたたぬ勤労によって、多くの霊的富を蓄え、祈りと功徳の効果、すなわ ち神の豊かな恵みをすべての人の上にもたらすよう努める修道会のことです。
したがって教会と社会全体に、霊的、精神的血液を送りだす心臓のようなものと言うこともできるでしよう。
内的にも外的にも世から離れ、神の国の完成のために絶えず祈りと労働、霊的読書と研究等に専念するよう設けられているのが観想修道会です。

シトー会は後者、すなわち観想修道会に属するものです。




3シトー会(トラピスト)の起源と現状

シトー修道会は、1098年三月、聖ロベルト(1028−1111)を長とす る十数名のモレームの修道士たらによって創立されました。
彼らはベネディクト会に属するモレームの緩やかな規則遵守に満足せず、一層完全にベネディグトの戒律を実行するために、今のフランス、ディジョン郊外のシ トーの森に居をかまえ、新しい修道院を創立したのです。本修道会がシトー会と呼ばれるようになったのは、創立の地名によるものです。

聖ロベルトは教皇使節の命によって、まもなくモレームに戻らねばならなくなったのですが、当時副院長であった聖アルベリコ(?−1109)が後を継いで基 礎を国め、厳しい規則のもとに新しい歩みを始めたのでした。
聖アルベリコの没後、英国出身の聖ステファノが第三代目の修院長となり、シトーの新修道院は、ようやく軌道に乗ることになりました。
聖ステファノ(1059−1133)は、「愛の憲章」を作り、シトーの修道院から創立された各修道院の独立を認めるとともに、各修道院の一致を保つため に、シトー修道院と同一の規則と慣習を守るよう定めたのでした。
その他、修道会の組織を固めるため、毎年一回 各修道院の長上をシトーに招集し、修道生活に関する種々の問題を討議するよう規定したのでした。
創立後まもないシトー修道会は、1113年、聖ベルナルド(1090一1153)を中心とする数十名の青年たちの入会によって、目ぎましい発展を遂げてい きました。
わずか百年の間に、シトー会修道院は欧州全土に広がり、12−13世紀には、約1800の修道院が建てられていたということです。しかし不幸にして、この ような黄金時代もそう永くは続きませんでした。
その主な理由として、度かさなる戦争と富の蓄積、会則遵守の乱れ、修院長総会と巡察の等閑視などをあげることができます。

とはいえ、修道精神が全く頽廃したというわけではなく、改革の試みは幾度となく繰返されていました。
とりわけ、トラップと呼ばれるシトー会修道院の修院長、ド・ランセ(1626一1700)によっで行われた改革は最も有名であります。
その後、トラッブ修道院の改革に従うシトー会を厳律シトー会と呼び(1893年)、刷新発祥の地がトラップであったことから、厳律シトー会員を「トラピス ト」とも呼ぶようになったのです。

歴史の流れとともに、シトー会もさまざまの試練に遭わねばなりませんでした。
特にフランス革命の時に受けた打撃は、決定的と言ってもよいくらいにひどいものでした。
ロシアに難を避けていた少数の会員が、祖国に帰っで修道生活を再開したのは、ルイ十八世(1814−1824在位)が王位についた後のことであります。
その他にも種々の困難に遺ったのですが、各時代の修道士たちは、創立当初の精神を忘れず、今日なお、カトリック教会と現代社会の中で、「地の塩、世の光」 (マタイ5・13−15)と」としての使命を忠実に果たすよう努めています。

現在、シトー会は全世界に分布し、男子修道院八十八、女子修道院五十二を数え、会員数も五千名以上に達しています(1980年現在)。



4日本におけるトラピスト・トラピスチヌ修道院の現状


「お告げの聖母」トラピスト修道院が大分県・日出町に創設されたのは、 1980年(昭和五十五年)七月で、北海道トラピスト修道院から派遣された七名の修道者によって始められました。
当修道院の創立一は1970年頃から計画され、徐々に準備されていたのですが、本格的に着工されたのは1979年秋のことです。
翌1980年七月十一日、聖ベネディクトの祝日に、教皇大使ガスパリ大司教以下四名の司教(大分・長崎・福岡の各司教)と約四十名のカトリック司祭、大勢 のシスターがたを迎え、工事関係者や地元のかたたちとともに竣工祝別式を拳行することができました。
このようにして、大分トラピスト修道院は新しい歩みを始めることになったわけです。
最初の一年間、宗教法人の設立とそれに伴う対外的な事務、修道院周辺の整備や植林等にあて、1981年(昭和五十六年)秋からは、グッキーの製造・販売に よって、ささやかながらも生計を維持していくよう努めています。
現在(1981年)の会員数は九名ですが、将来の発展が期待されています。


トラピスト修道院

日本に初めてトラピスト修道院が創設されたのは1896年(明治二十九年)で、当時の函館教区長ベルリオーズ司教の度重なる招聘とたゆまぬ努力によるもの です。司教は日本、とりわけ北海道にキリスト教を伝え、量かな霊的収穫を収めるためには、日夜祈りに励み、労働のとうとさを世にあかしするトラピストやト ラピスチヌの精神的援助が必要であることを痛感し、幾度となくシト−会修院長総会とフランスの各修道院に手紙を送って、トラピスト修道士とトラピスチヌ修 道女の派遣を要請しました。
その結果、1896年(明治二十九年)、数名のフランス人修道士が来日し、日本で最初のトラピスト修道院が創設されたわけです。
彼らは北海道。上磯に木造の修道院を建て、幾多の物質的、精神的困難とたたかいながら熊笹におおわれた原野の聞拓に取りかかりました。明治三十五年には、 オランダからホルスタイン種の乳牛を輪入して酪農を始めたのですが、その時以来、トラピスト修道院が北海道(少なくとも道南地方)の酪農に少なからず貢献 してきたことは、多くの道民にひとしく認められているところです。
その後、入会志願者も次第に増えていったのですが、不幸にして最初の建物は明治三十六年に焼失。現在津軽海峡を見下す丘に建つ赤レンガの建物は明治四十一 年秋に竣工したものです。
昭和四十九年秋、本館と調和のとれた美しい聖堂が完成し、同年十一月十日、祈りの家として献堂されました。
現在、北海道トラピストには約五十名の修道士がいて、「祈れ、働け」の生活を送っています。


トラピスチヌ修道院

現在、日本には五つのトラピスチヌ修道院がありますが、最初にできたのは函館の修道院で1898年(明治三十一年)四月、フランスのウベクシー修道院から 派遣された八名の修道女によって創設されました。
その後、会員が増え、百名以上になったため、1935年(昭和十年)、兵庫県・加古川に約二十名の修道女を送って、現在の「西宮の聖母」修道院を創設し、 さらに1953年には、福岡県・豊津にも二十名の修道女を送って、現在の「伊万里の聖母」修道院を創設しました。 他方、西宮の修道院も1954年(昭和二十九年)、那須に新修道院を創設し、さらに1981年(昭和五十六年)には、沖縄県・宮古に十数名の修道女を派遣 して、目本で五番目の女子修道院を創設しました。 修道女たちもまた、修道士と同じ戒律のもとで、同じ精神をもってひたすら神の国建設とその完成のために、祈りと働きの生活を送っているわけです。




5修道者の生活


前述のように、わたしたちの生活は聖ベネディクトの戒律に基づいて営まれてい ます。
この戒律は、福音の中に示されている主・キリストのみ教えを一層完全に実行するために編まれたもので、常に深い信仰の目で神を見、日常生活のすべてを神の み前でとうとく実行するようにと教え、励ましてくれます。
わたしたちの生活は、沈黙と孤独のうちに神とともに生きる生活であり、祈りながら働き、働きながら祈る生活、主・キリストの弟子として、すべての人の救い のために奉仕する生活ということができます。
一般社会から身をひき、直接宣教活動にたずさわることはありませんが、絶え間ない祈りと、人目にたたぬ償いのわざによって、神秘的な方法ですべての人のた めに神の恵みを願い続けているのです。

「自らを高める者は周囲を高める」との言葉が教えているように、現代社会のために少しでも役だつ祈りをささげ、霊的利益をもたらすためには、まず自らを高 めること、つまり常に神とともに、神のうちに生き、主・キリストの望みを自分の望みとして生きることが何よりも大切だと思っています。
そのため聖なる典礼、とりわけミサ聖祭と一日に七回の聖務日祷を熱心にささげ、霊的読書によって神のみ旨を探し、念祷によって神との内的対話を続け、数時 間の労働によって生計を維持するとともに、働くすべての人たちと労苦を分ち合うよう努めています。
さらにわたしたちは、すべての修道者に求められている貞潔、清貧、従順の誓願のほかに、聖べネディクトの戒律に従って、操行改善と定住の誓願を宣立しま す。


祈り

わたしたち観想修道者の最大の務めは、一日に七回の祈りをささげることです。
「神は霊である。だから神を礼拝する者は、霊と真理とをもって礼拝しなければならない」(ヨハネ4・24)と主イエズスは仰せられました。
したがって、わたしたちは常に真理の霊に生かされ、主によって示された教えに基づいて、神をたたえ、いただいた恵みを感謝し、必要な恵みを願い、犯した罪 やあやまちの赦しを願うのです。
神はどこにでもおられますし、すべてを知っておられます。したがって何時でもどこでも祈ることができますし、また祈らなければならないのですが、とりわけ 聖体の安置されている聖堂で、全員集まって熱心な祈りをささげる時、神が必ずこれをきき入れてくださることをわたしたちは確信しています。
「もしあなたたらの二人が、どんな事でも地上で心を一つにして願うならば、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださるであろう。二、三人がわたしの 名によって集まっている所には、その中にわたしがいる」(マタイ18 19−20)とは、弟子たちに対する主イエズスご自身のことばだからです。
しかしそのためには、謙虚さと清い心をもって神のみ前にひざまずくことがたいせつです。
聖ベネディクトは「神に何かを願う時、どれほど深いへりくだりと、心からの献身と潔白とを持たなければならないであろうか」(戒律第二十章)と言い、「詩 編唱和においては、われわれの精神と声とを一致させるよう努めるべきである」(同第十九章)とも言っています。
わたしたちの祈りは、けっして自分たちのためだけではなく、むしろすべての人のためにこそ、ささげられるべきものであると確信しています。


霊的読書

「われわれは祈る場合は神に話しかけ、神のことばを読む場合は神の話を間く」(聖アウグスチヌス)
シトー会生活の中で、「聖なる読書」は祈りや労働とともに、非常に重要な役割を果たしています。
というのは、読書はわたしたちの心を神に向かわせ、日々の念祷や共同体的祈りの準備の役を果たすとともに、一日の労働の間にも、絶え間ない神との一致を保 たせてくれるからです。
したがって、聖なる読書というのは、自然的興味本位の読書、あるいは一般によく言われる学問的読書ではなく、あくまでも人間性を高め、霊性を深める読書で なければならないのです。
わたしたち修道者に最も親しまれる書物は、なんと言っても聖書と聖書の注解書、多くの教父や聖人たちの著作、教会指導者たちの教えや修道生活に関連する書 籍です。

修道院の図書室、集会室、修練室等にはこれらの書籍が充分に備えられていますが、読書の目的は前述のように、自分に対する神の呼びかけを聞き、そのみ旨を 思実に実践することにあります。
信仰と愛の伴わない知識は、永遠の救いのためにも神との一致のためにもあまり役にたたないものだからです。
修道者は共同体的、あるいは個人的祈りを一層効果的なものにするために読書をし、特に聖書の読書と研究のために多くの時間を費しています。
そのほか、霊性を取扱った信心書の読書にも力を注ぎ、毎日少しずつ前進するようにと心がけています。
毎週、少なくとも三回、聖書、修道生活、霊性等についての講義が行われています。


労働

キリスト教の教えによれば、三位一体の神は、天地創造のわざにおいて働き、人類の救いのわざにおいて働かれました。
また各人の成聖のために絶えず働き続けておられるのです。
わたしたちは、神から与えられた健康と技能とを互いに分ち合いながら、神のわざに協力し、それを完成するよう心がけています。
聖ベネディクトは「怠惰は霊魂の敵である。われわれは師父たちや使徒の例にならって、みずからの手で労作し、生活してこそ、まことの修道者といえるのであ る」(戒律第四十八章)と言っています。
修道者といえども、けっして特殊な人間ではなく、普通の人と何等変ったところはありません。
ただ自分の弱さを認め、内的・外的障害を克服しながら、永遠的なものを求めて生きているだけです。
労働はだれにとっても辛いものですが、自分たちの働きで生計を推持し、同時に精神と身体を鍛える必要があるわけです。
わたしたちは毎日数時間を労働にあて、互いに責任を分担しあって、共同体の運営に寄与しています。
自然界の中での労働、とりわけ農作業は観想生活を助け、神の不思議な働きを体験する貴重な場になっています。
「自然を見る者は神を見る」と言われているとおりです。
修道者たちは、農作業の他に、クッキーを製造し、大勢の方たちに少しでも喜んでいただきたいものと願っています。
トラピストのモットーは「祈れ、働け」(Ora et Labora)でありますが、わたしたちは何時も、このモットーに忠実でありたいと思っていますし、労働の価値を世にあかしする者になりたいと思っていま す。


共同生活

「兄弟のようにともに住むのは美しく、楽しいこと」(詩編133 1)と詩編記者はうたっていますが、シトー会修道者は、戒律の教えに従って常に共同生活 を送っています。
年齢、教養、出身地などを異にするわたしたちではありますが、みなが同一の神に召され、同一の目的のために生きていることを自覚し、「多くの信者が一つの 心、一つの精神で生活していた初代教会を模範として」(P‐C15)、愛の共同体を形造るよう努めています。
「主の名のもとに集められた真の家族である共同体のうちには主が現存しておられる」(同右)からです。
入会の時、世と世にある一切のものをさしおいて修道院の門を叩いたのですが、わたしたちはここで肉親の人たち以上の愛をもって迎え入れてくれる長上や修友 たちを見出すのです。
戒律の厳しさも、労働の疲れも兄弟愛によって和らげられ、常に内的喜びと心の乎和を味わうことができます。
互いに荷を分ち合い、他の兄弟の弱さをささえ、長上に対してだけでなく、相互の間でも従順を競い(戒律第七十一章)、持っているすべてのものを出し合って 生活するのです。
わたしたちはみな弱い者ですが、神を中心とした真の家族を形造り、愛に満ちた、美しい社会を築いていきたいものと願っています。


沈黙

沈黙の遵守は、以前ばど厳格でばありませんが、今日でもシトー会修道者の特徴の一つに数えられています。
詩編記者は、「わたしは心に誓った。『舌で罪を犯さないようにしよう。神に逆らう者がわたしをとり囲む時、口にくつわをはめよう』」(詩編39・l)とう たい、使徒ヤコプは「言葉で過ちを犯さない人がいるなら、その人は全身を制御することのできる完全な人です。……舌は小さな器官ですが、大言壮語すること ができます」(ヤコブ3.2−5)と言っています。
聖ベネディクトも戒律の中で、「修道者は、どんな時刻にも、沈黙を守るようつとめなければならないが、とりわけ夜間にはなおさらのことである」(第四十二 章)と戒めています。
わたしたちが沈黙を大切にするのは、けっして消極的な動機によるのではなく、内的にも外的にも静けさを保つことによって、神のささやきに心の耳を傾け、読 書や祈りを容易にし、修道者全員の霊的生活を深めることができると確信しているからです。
人間社会の中で、言葉の占める比重は極めて大きいのですが、同時に「言葉が災の門」であることも事実です。
言葉を慎むことによって、他の修友を傷つける機会をなくし、互いに潜心と祈りの雰囲気を保つことができます。

修道者は長上とは自由に話すことができますが、相互間の会話は極くひかえめで、必要な時と内容に限定されています。
わたしたちの沈黙は、外面的には厳しいようにみえますが、相互理解と心の交流によって和らげられています。時として共同体的対話の時間が持たれています が、テーマは主として修道生活に関する諸問題です。
わたしたちは何時、何を語るべきかをわきまえ、兄弟愛に反する言葉を口にすることがないようにと心がけています。




6修道者の誓願


貞潔

修道者は純粋な心をもって、「神とすべての人々への奉仕に献身するために」(修道生活の刷新、適応に関する教令12)身も心も神にささげ、「天の国のため に進んで結婚しない者もいるのだ。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」(マタイ19・12)との主・イエズスの勧告を受け入れ、イエズスの 模範にならって生涯独身のまま清く生きることを神に誓約するのです。
わたしたちの独身性は、あくまでも超自然的な動機、すなわち「分かたれない心」(Iコリント7・34)で神を愛し、全く神のものになりたいという愛の動機 に基づくものです。
したがって隣人愛を排除するのではなく、むしろ神が愛しておられるその同じ愛によって、神とすべての人を愛していくことを目的にしているものです。
わたしたちは童貞性を忠実に保つことによって、世のあらゆる罪悪を償うと同時に、「めとることも嫁ぐこともない」(ルカ20・35)天の国の姿を身をもっ てあかししたいものと願っています。


清貧

人間的にみれば、巨万の富を所有し、名声を博したい気持は、恐らく万人に共通した心理だと思われますが、修道者は「みずから富んでおられたのに、わたした ちのために貧しくなり、この貧しさによってわたしたちを富ました」(Iコリント8.9)キリストの貧しさにあずかるために、生涯貧しく生きることを神に誓 約するのです。
わたしたちの心が、キリストヘの愛に燃えたっているとき、また神だけを所有したいとの望みで満たされているとき、地上の富や名声は全くむなしいもの、一瞬 のうちに消え去る泡のようなものにしか映らないものです。
しかしもし、神への愛がなかったら、物質的貧しさは天の国のためにはなんの役にもたたなくなってしまうことでしょう。
わたしたちはひたすら神と神の国を求め、「天に宝をたくわえるためにこそ」(マタイ6 20参照)、物質的に貧しく生きるだけでなく、精神的にも貧しい者 となるように、すなわち自分の弱さ、貧しさを認め、「ただ神により頼む人」(マタイ5.3)になるように心がけているのです。
わたしたちは自分の知恵、才能、抜術、健康など、すべてが神からの賜物であることを認め、これらを使って共同善をはかり、神に栄光を帰しつつ謙虚に、つつ ましく生きてゆきたいと願っています。


従順

人間にとって最もとうとく、価値のあるものは自由意志でありますが、修道者は従順の誓願によってこれを神にささげ、「神の代理者である長上に信仰のうちに 服従し」(修道生活教令14)、自分の全存在を神と隣人への奉仕に与え尽くすのです。
したがって、修道者の従順は決して物質的利害関係や階級意識などによるのでばなく、深い信仰と愛の精神に基づくのです。
わたしたちが弱く、不完全なひとりの長上に従い、隣人に奉仕しながら生きるのは、神が彼らのうちに現存しておられること、彼らを通してご自分のみ旨を示さ れることを信じるからであり、自我を抑制し、彼らに服従することによって、神への愛をあかししたいと思うからです。
聖ベネディクトは、「服従の勤労により、不服従によってそむいた主にふたたび帰ることができる」(戒律緒言)と言い、「服従の善は、修道院長に対してのみ 行なうべきものではない。修友は相互にも服従しなければならず、またこの服従の道によってこそ、神にいたることができると確信しなければならない」(戒律 第七十一章)とも言っています。
わたしたちが人に服従するのは、神に従うことをあかしするためであり、「神の身でありながら、神としてのありかたに固執しようとはせず、かえって自分をむ なしくして、しもべの身となり、人間と同じようになった」(フィリピ2.6−7)キリスト、しかも「死にいたるまで、十字架の死にいたるまで、へりくだっ て従う者となった」(同2.8)キリストの模範にならうためです。


操行改善

「進まない者は退く」と聖ベルナルドは言っています。
たとえ弱さのために、たびたび倒れることがあっても、神の助けに信頼し、最終目的地、すなわち神の国をめざして絶えず前進を続けていくのです。
利己心に打ちかち、人間閣係を正しく保ち、与えられた務めを忠実に果たしながら、現代社会の中で、最も美しい共同体を形造っていきたいものと願っていま す。
罪の結果、人間はみな、悪に傾き、自己中心的な者であって、修道者もまた決して例外ではありません。
修道生活とは完全な人たちの生活ではなく、完全になりたいと望む人たちの生活に他ならないのです。
操行改善の誓願によってわたしたちは、自分と隣人の弱さを認め、互いにささえ、励まし合って、毎日、徳の道に前進することを神に誓約するのです。


定住

「定住」との言葉が示しているとおり、シトー会修道者は、神に召され、受け入れられた自分の修道会と修道院に生涯とどまり、創立者たちから受け継いだ物質 的、精神的遺産を正しく保ち、一層発展させていくことを神に誓約するのです。
わたしたちは、自分の召された修道院にとどまることが神のみ旨だと信じ、共同体を愛し、全体の利益のために少しでも役だつ者となるよう努めています。
新修道院創設の場合、あるいはシトー会のある修道院から援助を求められた場合等を除いて(そのような場合でも、長上の明らかな承認が必要です)修道者が他 の修道院に移るようなことはありません。
外出、外泊なども極めて例外的で、両親が重態におちいった場合、国民としての義務を果たす場合、病気治療の場合、その他の必要な場合に限定されています。
わたしたちはこのようなことを考慮し、持殊な場合を除いて、常に「神の家」にとどまり、真の観想生活を送るよう心がけています。




7人会を希望される方のために


シトー会への入会を希望される方は、次の条件にかなっていなければなりませ ん。


一、カトリック教会の洗礼を受け、少なくとも三年以上を経た熱心なキリスト教信者であること。
二、独身で、扶助すべき家族のないこと。
三、教会側(主任司祭)の推薦と父母の承諾を受けること。
四、共同生活に必要な順応性があり、性格的に素直で、忍耐深く、献身的であること。
五、健康と精神面で健全であること。とりわけ人聞閣係を正常に保てる人であること。


そのほか、観想、祈りの生活を愛し、従順と労働を愛し、常に深い敬けんの念を持っていることが大切です。
入会許可は数回の文通や面接等によって決められます。
志願者は自然的な動機によるのではなく、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、毎日自分の十字架を背負って、わたしに従って来なさい」(ルカ9・ 23)と言われた主・イエズスのみことばに従って、自分を全くささげ尽くす心構えを持つことが大切です。
たとえ入会が許されても、召命がここにないことがわかった場合には、社会に帰っていただくことになります。

二年間の修練期にはいる前に、一定の準備期聞(少なくとも数ケ月)があります。
「その期間というのは、この間に引受けようとしている荷について充分知った上で、自分の入ろうとしている修道生活について決定を下す前に、精神を準備する ためであり、志願者が人間的、情緒的に成熟するのを助ける為です」(養成についての訓令)。
二年間の終練期を終えた後、修練者が希望し、共同体から法的手続を経て受け入れられたなら、三年間の有期誓願を宣立しご二年以上経た後、公式誓願を宣立す ることになります。


古川 勲著 昭和56年12月25日初版発行
「厳律シトー会修道者の生活」おわり
尚、「厳律シトー会修道者の生活」掲載写真は割愛しました。




   

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