朝鮮人「強制連行」大分県の記録

[ホーム] [目次] [はじめに] 1章 [1.] [(一)] [(二)] [2.]
2章 [1.] [(一)] [(二)] [2.] [(一)] [(二)] [3.] [4.] 3章 [1.] [2.]

はじめに

 1905年、「韓国保護条約」(乙巳条約)を強制することによって朝鮮の外交権を奪った日本は、締結もされなかった「保護条約」を楯に内政を千渉し、1910年には「韓国併合」(韓日合併条約)を押しつけて朝鮮を植民地にした。それからわずか3年後には大分県に306人の朝鮮人が在住し、1945年には42,000人が在住していた。
 日本が朝鮮を植民地支配していた期間、大分県には延べ十余万〜二十万余名の朝鮮人が在住していたと思われる。その大部分が強制連行者で、その数は37,000名以上と推察される。(朝鮮からの直接強制連行者及び日本各地からの連行者を含む)
 しかし、こうした強制連行の実態を記録した資料は発見されていない。強制連行者の中には事故による負傷者、死亡者が多かったが、彼らの存在は知らされることなく、墓石もない。
 このたび、大分県における「朝鮮人強制連行の記録」を出版することになったが、戦後すでに48年、資料がないうえに加えて体験者、見聞者も高齢で死亡するなど調査に困難を究め、残念なことに、限定された記録となってしまった。
 私たちがこの調査の記録をまとめたのは、日本の過去の罪科を暴くことを目的としたためではない。日本の植民地支配と侵略戦争に、喘ぎ苦しんだ朝鮮人の歴史と実態を「抹殺」したまま、闇に葬り去ってはならないと思うからであり、良い隣国開係を築き日朝友好を実のあるものにするためにも、過去の歴史を正しく理解することが肝要だと考えたからである。
 戦後半世紀にもならんとする今日、日本政府は過去の植民地支配や侵略戦争の真相に蓋をしたまま、その実態について何一つ明らかにしていない。
 私たちは事実を掘り起こすことによって実態を明らかにし、大分県の今日の発展のために犠牲を強いられた朝鮮人が存在した事実を正しく認識し、日本と朝鮮の友好を深めるために貢献したいと考えるからである。
 朝鮮と日本、とくに大分県は、古代から歴史、文化的に大変深い関係にあった。だが、近代に入ってからの関係は、日本による朝鮮の植民地支配が清算されないままに改善されていない。これは隣同士の民族として、大変不幸なことである。
 過去の不幸な歴史を二度と繰り返さないために、そしてこんにち日本と朝鮮との国交正常化促進の世論が高まる中で、この記録が大分県民と朝鮮民族との新たな友好親善に貢献できることを願うものである。

 1993年7月

大分県朝鮮人強制連行共同調査団

[前ページ]

[次ページ]