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ムジゲな日々 1999年8月19日(木)〜26日(木) |
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ムジゲの会、ピョンヤンを行く。#3 |
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21日の朝、7時頃ホテルの周りを一人で散歩した。残念ながら朝鮮語はあいさつくらいしかできないので、ぶらぶらしただけだったけど、ホテルのそばの川のほとりを高校生くらいの男女が走ってる。そっちの方へ行ってみると、広場に集まって柔道のうち込みをやっていた。普通江でボートの練習をやっている学生もいた。 草むしりしている親子とかもいた。ホテルの前にはスワンボートが。(ちょっと乗りたかった。) 夜は高麗ホテルのそばの喫茶店に行った。それまで暗い照明に慣れていたので、店内の明るさに目が眩む。思わず頭の上の照明を消す。夜の町もけっこう人通りが多い。高麗ホテルの前は道路横断禁止とかで、(というか横断禁止のところがほとんど)地下道を通って道路の反対側へ抜ける。喫茶店はけっこう人がいた。 板門店にも行った。軍事境界線と聞いてちょっと物々しい雰囲気があるのかと思ったけど、あっさり入る。ビデオも写真もどんどん撮っていい、と言われた。休戦地帯の中にも田んぼがあったけど、台風の後が残っていて、土砂が田んぼの中まで入り込んでいた。子どもが走り回っていたので、「危なくないの?」と思ったが、けっこうのんびりしていた。付近の川でも子どもたちが裸で泳いだりしていた。 この国の土地は見渡す限り石ころと岩山と赤土の大地である。こんなところまで、と思うくらいどこまでも田やとうもろこし畑がある。素人目にも、こんな土地じゃあ食物は育たんなあ、と思った。 1954年から続いているという共同農場にも行った。1000町歩あるそうで、500世帯1300人くらいいるそうだ。学校や託児所、幼稚園もあった。委員長の住んでいる家は昔ながらの平家のオンドルの家だった。 市内を見学している途中、休憩で高麗ホテルに入ったのだが、「日本の方ですか?」と呼び止められる。なんと、金剛山歌劇団の方とばったり出会ってしまった。コンクールに出るためにこちらに来ているのだそうだ。妙香山での出会いといい、こっちで知っている人に会うなんて。 学校訪問は帰国する前日、大同江第一高等中学校に行くこととなった。学校に入るとブラスバンドの歓迎を受ける。歌や演奏を披露してもらったり、各教室を見学させてもらった。 他にも幼稚園を訪問したり、地下鉄に乗ったり、病院やサーカスを見たりと盛り沢山でハードな日程であったが、終わってみればあっという間の7日間だった。その間、いろんな人と話したり、見学したりしたけど、まだいろんなことが頭の中で整理できていない。 日本国内ではいろんなことが話題になっている。でも、一番感じたのは当たり前のことだけど、ここにもやっぱり人がいる。ということだった。車の中から通り過ぎる人を眺めているだけだと、表情が乏しく感じるけど、直接話した人たちからは、いろんな感情を感じることができた。写真も200枚ほどとったし、W会長はビデオをまわしっぱなしだったけど、今回はとりあえず、その一部だけ紹介します。(とりあえず、といってそのままになるのが悪い癖なんだけど) 音楽が好きなので、町でギターとアコーデオンのふたりが演奏してたり、(ストリートミュージシャン?)、アパートの芝生のところでギターを抱えたお父さん風の人が子どもの手をひいて歩いていたのも印象に残っているなあ。 なんか、読み返してみると、ミーハーな旅行しているなあ。(終わり) |
今回の朝鮮民主主義人民共和国訪問に際し、大変な骨折りをしていただいた朝鮮總聯の
大分県本部をはじめとする多くの方々に感謝します。なかなかアップしないなあと待ちくた
びれた多くの方たち、ごめんなさい。今回の訪問をムジゲの会の中でもう一度総括し、今後
の日田での取り組みに活かしていきたいと思います。