林道中止の意思は引き継がれたか?


1 林道工事が中止となった事の功労者

 昭和40年代の時代背景を考えると林道工事を途中で中止する事が如何に大変で
あったかを容易に推測できます。
これにはいろんな好条件が重なったとおもいます、推進側としては当時は全国的に
観光開発は進められており尾瀬もその一つに過ぎなかった。

 そこへ平野さんを中心とした反対運動が起きたが全体から見れば極少数意見でこ
れだけでは中止は不可能だったでしょう。
反対運動中も林道工事ははどんどん進んでいく中で環境庁長官に直訴となった。

 ここで幸運だったののは初代の大石環境庁長官は学者出身(だったと思う)で重
大な問題と認識し、現地訪問が実現し、さらに工事の中止を決断したと思います。
政治家としてなにを重視するかで判断は大きく変わります。結果的にはこの判断は
本人の政治生命を終わらせる事になったと言える。また平野さんも歩きなれた登山
道で遭難で亡くなられた、精神的な苦悩や疲労が蓄積していたのでしょう。
しかし尾瀬はそのそんな人達のおかげで守られた事は間違いない事です。

2 その後の尾瀬入山口の開発状況

 しかしその後の尾瀬周辺の登山口の開発状況をみると、先の林道中止を要請し、
それを決断した二人の意志が充分に引き継がれているとは思えません。

 尾瀬からしばらく遠ざかっていて久しぶりに尾瀬の状況を具体的に見ると入山口
が予想以上に便利になっているのに驚きました。
沼山峠から尾瀬沼まではわずかな距離ですし、また戸倉から鳩待峠までも全面舗装
のいい道路に変わっています。

ここまで道路を作ってしまったのでは大清水側の工事中断の効果がほとんどないと
思うのですが。

3 尾瀬の木道

 木道の最大の目的は登山者の足で湿原を踏みつけるのを防ぐのと尾瀬の湿原を勝
手に歩き廻らない為と思いますが、鳩待峠から山の鼻間などすべてに木道が必要な
のでしょうか?
尾瀬を観光地と錯覚させてしまいそうで心配です、もしかして尾瀬はすでに登山で
はなく観光地なのかな?

  (平成9年に20年ぶりに尾瀬を訪れた個人的感想から)

                                               (平成9年8月記載)
                        (平成13年7月14日更新)



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