Last Update : Oct 05, 2009 (今治市大三島町宗方地区に伝わる亥の子唄追加)
            : Oct 14, 1996

亥の子祭り

 西日本各地で行われている(行われていた)亥の子祭りであるが、杵築では 九月から11月にかけての土・日曜日や祭日に行っている。
 本来は、亥の月、亥の日に行われていたようであるが、社会環境や生活環境 の変化とともに祭りの形態も変化してきている。

 亥の子について、調べてみたことを載せてみたい。

[杵築の亥の子]

 杵築では、町部でも農村部でも古くから盛んに行われ、その内容には多少の 違いがある。

 「亥の子」の用具は亥の子石と呼ばれ、これをしめ縄でくくる。「亥の子石」 には「カブ大根型」と「トボシ柿型」とがある。行事の一週間ほど前から、海水 で洗い清められる。石の表面を、研ぎへらした瓦の破片でこする。このとき、 一同はみそぎの意味で水泳をしていたが、現在はすたれている。

 しめ縄は、普通の縄よりも大きめに作られ、しめ縄で石のくびれた所をくくり、 その縄に、参加する子供の数だけ、約2mぐらいの縄を結び付ける。
 亥の子石を搗けば地面が凹むから、その凹みにご幣の紙片を入れる。最近では 舗装された所が多くなったので厚くわらを強いたり、石を地面につけぬよう工夫 している。

 イラスト 亥の子搗き

 亥の子唄の歌詞は、搗く場所または地域により多少の違いはあるが、
 「いーのこ亥の子亥の子餅ちゃつかんもな(亥の子餅を搗かない者は)角ん はいた(角の生えた)子産め さんよさ さんよさ しめたか こいもどせ  ぼーんのようにつくものは きょうは天竺わがちょうにしとつや(一つや) 二つやよいものの みっつかついたら もうよかろう やっさんこいこい 芋じゃくし」
と唄う。

 商店の前では、
 「商売繁盛するように(三回繰り返す)いーのこ亥の子〜」
 料理やの前では、
 「せんこ(線香)のあがるように(三回繰り返す)いーのこ亥の子〜」
 サラリーマンや無職者の家の前では、
 「えびすさんが舞い込むよーに(三回繰り返す)いーのこ亥の子〜」
 子供のない家の前では、
 「ぼん(男子)がでーてくるように(三回繰り返す)いーのこ亥の子〜」
 と、声をそろえて元気良く唄う。

 亥の子の日には、亥の子搗きに参加する子供達が一同に集まり会食をする。 ちょっと前までは、座元と呼ばれる家で、一切準備・接待をしていたが、今では 若干変わってきている。

 亥の子で使用したしめ縄は、各自が家に持ち帰り、屋根の上にあげておく。 そうすれば蛇が家の中に入り込まないといわれている。(今では毎年は作って いない)ご幣の紙は亥の子を搗いた各家に配る。これを畑に立てると虫除けに なると言われ今でもその風習は残っている。もぐら除けとも言われる。このよ うなことからも、子供達の遊びと考えられているこの行事も、使用する物の形 とか、唄とか、動作などより生産に関係があると思われる。
 子供達が石に縄をつけて搗くのは、餅を搗く形容で、家庭でも亥の子餅を搗 いて祝っていた。(今ではほとんど残っていない)これは猪(亥)は子が多く 丈夫に育つので、子が多く生まれて強く逞しく育つようにとの念願からである。


[杵築市守江上の台地区の亥の子唄]

 ひとつ祝いましょう
 今日は 天竺 わがちょうの くもの祝いをつくものは
 ひとつやふたつは祝いもの みっつもついたらよしにせよ
 さよーさよー さよーさよー さよーさよー


[愛媛県今治市大三島町宗方地区に伝わる亥の子唄]2009/10/5追加

愛媛県今治市大三島町出身の渡辺さんより情報をお寄せいただきました。
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 いのこさん 祝いましょ。
いちの田はほーまいて
にーでにっこりわろーて
さんで酒を作って
よんで世の中ええ様に
いつつ いつもの如くに
むっつ 無病息災に
なーなつ なにごとないように
やーっつ 屋敷をひーろげて
ここのつ 心をたてよせて
とーでとんぎょう おーさめたーおーさめた
 この藁ええ藁じゃ
まんまをたいたらふえまんま
さーけをつくれば いずみざけ
いっぱい飲んだら 長者になった
はーんじょせー はーんじょせー
 いちぶー にぶのき
さんぶさくらの
しぶのき
ごようまつ〔ごりょうまつ?〕の
むくのき
なーなつ なしのき
やーっつ 山の栗の木
ここのつ 心をたてよせて
 とーでとんぎょうおーさめたー おーさめたー
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渡辺さんの話
とーでとうとうごーさめたーっていう表現もありますが 田舎で、40年ほど前に近所のおばあさんに とんぎょうって 指摘されました。 今は亡き、母親もとんぎょうって言っており  とんぎょうを広辞苑で調べましたら 頓教とあり、頓速に仏果を成就する教えとあります。  今、正確にお伝えしなければ間違って伝わると思いメールを送っています。

日本を知る事典(社会思想社)によると

 西日本では、亥の日を祝う。春の亥の日に降りてきた田の神が秋の亥の日に山に 帰られるといい伝え「亥の子の晩に、祝わぬ者は、鬼産め、蛇産め、角のはえた 子産め」などはやす。ぼた餅などを作って祝うが、亥の子搗きの行事があり、 大根畑に入ってはいけない。大根は割れながら太るので、亥の子の日に大根の 割れる音を聞いた者は死ぬ、などと戒めること東日本の十日夜(とうかんや) と共通している。平安時代から玄猪(げんちょ)といって公家や武家でも祝われた。


福岡の民俗文化(佐々木哲哉著:九州大学出版会)によると

 十月亥の子 春亥の子に比べて、十月亥の子は県内一円で普及している。一番亥の子は 男亥、二番亥の子は女亥などといって、この月のうちの亥の日に亥の子餅を搗く風が一般に行わ れている。粕屋郡篠栗町では、以前臼の上に箕を置いて餅を供え生大根を輪切りにして両面に 鍋墨を塗り、白はしを挿して添えていた。・・・(中略)・・・豊前地方では、最近まで亥の子 搗きが盛んに行われていた。
 子どもたちが大きな石に縄を結び付けて亥の子槌を作り、新嫁、初児の家を訪れて庭を搗き 「亥の子 亥の子 今夜の亥の子 祝わんものは、鬼産め、蛇産め、角の生えた子産め」と 唱えて回り餅をもらっていた。・・・(後略)

大分の民俗(大分県民具研究会編:葦書房)によると

 旧暦十月(亥の月)の亥の日に祝う「亥の子」は西日本に広くみられる刈り上げ祝いで、 東日本の「十日夜」に対応する。亥の日に祝うのは多産のイノシシにあやかったとされる。 亥の日が三度ある場合は、それぞれ武士、百姓、町人、あるいは女、男、家畜の子を祝う などとした。
 亥の日には、亥の子餅をついて作神様に供えた。大黒様を作神としている上津江村吉井 では臼の縁がぬくもっていないと大黒様が泣くといい、餅を一升ますに入れて神棚や俵の 上に供えた。餅は碁盤形(臼杵市東神野)や俵形の俵餅(佐伯市臼坪)であったり、月の 数の餅を穀びつ(日田市後河内)、新わらのこずみに載せた種もみ(国見町西方寺)に供 えた。
 亥の子の晩には、子供たちが亥の子唄を歌いながらわら束や石で亥の子突きをした。わら 束を用いたのは、県中、豊肥地方と県南地方の内陸部や国東半島の北半である。石は国東半島 東部の旧杵築領と県南地方の海岸部で使われる。
 亥の子唄には「祝い目出たの若松様」「これの屋敷は目出たい屋敷」「今年にゃ豊年穂に 穂が咲いて」「大黒様という人は」など目出たい祝い唄が多い。しかし最も広く記憶されてい るのは「今夜の亥の子を祝わん者は、鬼生め、蛇生め、角ん生えた子を生め」という餅を もらえなかった時の悪態唄である。
 最も盛んな杵築市では、九月から十一月にかけての土、日曜日や祝日に突いている。亥の子 組は数十組と多いだけでなく、正・副の頭取、頭領や世話役などの役もある。事前に石を洗って 清め、頭取などがお賽銭をもらって歩く。当日は氏神様や座元から突き始め、家々では突いた 跡にご幣をちぎって入れ、座元や公民館で突き納めてから会食する。
 杵築市ではちぎったご幣を野菜畑に立てて虫除けにする。国東町では亥の子餅を突く音を 聞いて大根が太るとか、首を出すなどといった。亥の日をユルリ(いろり)開きや、ハエが 出なくなる目安にした土地は多い。   (染矢)

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