うたひめロード 
 
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 行ってみよう! 見てみよう! あなたの知らない「おおいた」がそこにある!

宇田姫(うたひめ)神社



華の本姫と高貴な若者が忍び会う

糸をたどって神原の洞窟にたどり着いた華の本姫



清川町宇田姫神社
 平安時代初期,藤原良房は外戚として人臣にして最初の摂政になり,孫の基経は最初の関白となった。
 伊周の祖父である兼家には4人の子どもがあった。道隆,道兼,道綱,道長である。兼家は摂政になって4年後,関白になり間もなく病死した。死の間際に関白を長子道隆に譲ったが,道隆は関白になって10年後に死んだ。道隆は病床にあってわが子伊周に関白を譲りたいと天皇に申し上げた。天皇も伊周を気に入っていたので宣旨をお許しになった。ところが道隆が死ぬと兼家の三男道兼が承知せず,関白には道兼がなった。しかし道兼は関白になってわずか7日間で死に「七日関白」と呼ばれた。
 道兼の死後,次は内大臣の伊周が関白になると思われていたがまだ権大納言という位が下の道長が術策の限りを尽くし,道兼の急死を伊周の呪詛によるものと説を流し伊周を落としいれた。伊周は太宰権師として実質配流された。道長はこの後,摂政関白となり絶頂を極めた。
 伊周は配流の3年後許されて準大臣として召還された。

 伊周が流されたのが緒方の荘の萩とろ(現在の宇田枝))で,伊周はそこで娘ができた。伊周の娘(華の本)は比なき美人で叡聞に達し,天皇は伊周の罪を許され,華の本姫を宮中に入れられるべしとの宣旨あり。しかし,華の本姫は密契して懐妊していたため京に戻ることはできなかった。これ神の通ずるところなり。
 女千悔の歌に
  おりたちて 民となりけん 身ぞつらき 
         春のわさたの かへすかへすも
 産に及ぶ時神は娘に告げて,「姓は大神,名は大太といへり。」これによりて三輪明神(大国主命)の化現なることを知るとなり。
と,このように惟基を三輪明神の生まれ代わりで藤原伊周の娘,華の本姫を母としている。

                

 穴森神社の洞窟につながっていると言われる
 宇田姫神社の洞穴

 神社の境内には清水がこんこんと湧き出ていてその水源は祖母嶽に通じると言われ,社の裏にある洞穴は穴森に通じていると言われている。神殿横にある清水が湧き出ている穴が祭神「宇田姫様」のご神体だと言われている。

 大蛇伝説は華の本姫と大蛇の化身の若者とのロマンと神秘に満ちた神婚伝説の物語で,「平家物語」や「源平盛衰記」に登場し,現在に語り次がれている。
 大蛇の化身である若者と恋をしたというロマンと神秘に満ちた美しい伝説は今も人々を引きつける力がある。



     宇田姫神社の洞穴の前で
 
 町内の観光ボランティアの方が詳しく説明をしてくれる。


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