三郎プロジェクト

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大分市高田の惟栄墓 供養会
2008/07/21


惟栄墓

 三郎プロジェクトは大分市丸亀で緒方三郎惟栄・惟基墓の供養を行った。
 地区の江藤一族もたくさん集まり、400年前の菩提寺であった大野町宝福寺の徳林住職が読経を行い、400年の時空を越えた供養会となった。


 2007年7月、三郎プロジェクトのメンバーである後藤本茂氏が大分市高田に緒方三郎惟栄の墓があるという情報を入手した。さっそく現地調査隊を組織し、墓の調査をしたところ、非常に興味深い事実を知ることになった。
 大分市大字丸亀の亀甲の人家が密集した一隅に惟栄の墓がある。3m四方の石垣に囲まれて3基の墓が立てられていて、中央の墓には「大居士緒方壱岐守三郎惟栄之墓」とはっきりと刻まれている。また「建久二年卒享年七十二」と惟栄が没した年も刻まれている。

     
右の墓には、俗名 江藤太良左衛門惟恒 とある。3面に碑文がびっしりと刻まれている。要約すると、

 江藤太良左衛門惟恒は大神惟基の子孫で大野郡緒方荘に50管貫文を領し,井上に住んでいた。慶長5年(1600年),父の亦左エ衛門は大友義統に従って黒田如水と石垣原で戦い討ち死にしている。石垣原の合戦の後,江藤太良左衛門は井上には住めなくなり、大分市高田に2反2畝と屋敷を与えられ,以後代々この地に住んだ。
 弘化2年とあるから1845年にこの碑が建てられたらしい。

宝福寺の徳林住職と丸亀地区の江藤家の方々

惟栄墓の碑文や大神一族のことをパワーポイントで紹介する 
 この丸亀地区には現在20数軒の江藤家が存在するそうで、今回は自治会長の江藤さん宅で学習会を行った後に、墓に移動して供養を行う形式をとらせていただいた。地区の方が10数名集まってくれた。
 自己紹介が終わり、さっそく碑文の説明。
 次に、大神一族と緒方三郎惟栄について説明する。
 さらに、徳林住職より宝福寺の説明を行った。

 40分ほどの説明が終わり、いよいよ墓に出向く。外は30度を超す猛暑。住職が汗だくになって読経をするなか、みなさんがご焼香を行った。
 この供養会に賛同いただき、参加していただいた皆様、ありがとうございました。

 Copyright 三代@奥豊後(奥嶽三郎)


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