緒方三郎惟栄 研究室
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 豊後の英雄緒方三郎惟栄とはどんな人物?
 「平家物語」にも出てくる『大蛇伝説』とは?
 豊後を支配していた大神一族とは?
 緒方三郎惟栄が九州武士団の棟梁になれたのはなぜ?
 三郎はどこで活躍していたの?(マップ)
 緒方三郎惟栄に関わる遺跡はあるの?
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緒方三郎惟栄に関わる遺跡はあるの?


惟栄館跡に立つ碑
 惟栄は平安末期,源平の戦いで大活躍をしたにもかかわらず,惟栄に直接関わるものはほとんど残っていません。というのは,壇ノ浦の合戦の後,惟栄は源義経に味方して源頼朝から追われる立場になったからです。
 1185年(文治元)11月6日 源義経と源行家は惟栄らと九州四国をを目指して大物浦を出航しましたが,暴風雨のため船が難破し,大阪の住吉の浜に打ち上げられました。義経は渡海を中止し潜行っしましたが,惟栄らは追っ手に捕らえられました。そして惟栄は義経に味方したかどで群馬県沼田に流されました。その後,惟栄が本願地とした豊後の地は宗麟のご先祖である大友氏のものとなるのです。そのため,惟栄に関わるものはことごとく消えていったのです。


穴森社 (竹田市大字神原)
 緒方川の上流竹田市神原の山奥深くにあります。
 花御本に通じた嫗嶽大明神の化身である大蛇が住んでいたという巨大な岩窟を祀っていて,この岩窟が本殿とされている不思議な神社です。

宇田姫神社 (清川村大字宇田) 宇田姫神社は,大神惟基の母,花御本の住んでいたところを神社としたものと言われています。今では安産の神として信仰されています。
 萩塚は,花御本がお産をして惟基を産んだ所と言われており,お産のとき萩を敷いたのでこの名があります。


萩  塚 (清川村大字宇田)


小松社 (緒方町大字徳田)
 花御本らが緒環をたぐってたどり着いた岩窟から現れた大蛇を見て驚き逃げ帰る途中,侍婢の小松がこの地で死去したのでこの地に社を建てたといういわれがあります。
 また姥社も花御本の姥がここで死去したのでこの地に社を建てたということです。


姥社 (緒方町大字冬原)


元 宮 (緒方町大字宮尾)

 惟栄がこの地から矢を射て,第1の矢が落ちた所に一宮,第2の矢が落ちた所に二宮,第3の矢が落ちた所に三宮を建立したという元宮,一宮,二宮,三宮は今も地域の人により大切に守られてます。

一宮 (緒方町大字久土知)

絵馬にも惟栄や源平合戦のことが残されている。

二宮 (緒方町大字原尻)

三宮 (緒方町大字上自在)


  
原尻 川越し祭り

 緒方平野を黄金色に染めた稲が刈り取られ,人々は豊作を神に感謝する。


 川越し祭りとは,毎年,旧暦の10月に行われる緒方三社の祭りのこと。緒方三社。久土知の一の宮社,原尻の二の宮社,上自在の三の宮社の三社をそう呼んでいる。
 一の宮社には仲衰天皇(父)、二の宮社には応神天皇(子供)、三の宮社には神功皇后(母)が祭られており,この川越しまつりは,一の宮社の神輿と三の宮社の神輿が二の宮社に集まるものだという。



岡城跡(竹田市天神山

 文治元年(1185)に惟栄が九州に逃れようとした義経のために塁を設けて堡としたと『豊後国志』に記録があります。
 これが岡城の始まりといわれていますが,はっきりしたことは定かではありません。しかし,豊後大神一族ほどの力があれば決してできないことではなかったでしょう。この城は戦国時代には薩摩の襲来を跳ね返した志賀氏の居城でもありました。しかし,豊臣秀吉により,大友氏は国を追われ,江戸時代には中川氏の居城となりました。


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