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福岡県 豊前市・築上郡の緒方一族史跡

 緒方三郎惟栄を棟梁とする大神一族が勢力を張っていたのは豊後の国が中心であったが、豊前の国にも大神一族が勢力を保持していたことがわかる遺跡がある。
 2010年7月、県立図書館などでは調査できない大神一族の痕跡を巡る現地調査を行った。
 



   築上郡の緒方城と宇留津城


杵築市山香にある馬上八幡社

惟栄石祠
 7月27日(日)晴れ、朝から30度を超す暑さ。大分県豊後大野市緒方町から大分市を通って豊前市を目指すが、途中杵築市山香の馬上八幡宮にある緒方三郎惟栄の石祠を訪ね、調査の成功を祈願した。

 馬上八幡は杵築市山香町の国道10号線沿いにある。この地はかってゴールドラッシュに湧いたことがあり,馬上金山は一時日本一の金山として知れ渡っていた。
 石祠は馬上八幡の境内の湿り気が多い岩の崖に掘られた穴にひっそりと鎮座しており,前面には「緒方大明神」と書かれている。
 この石祠は以前は近くの米子瀬川畔(旧立石町下村)にあったが,昭和に入り今日の馬上八幡社内に移したという。
 現在では,毎年緒方町の文化財研究会のメンバーが年に一度掃除をしている程度でとても寂しい。


惟栄墳墓の地碑
 米子瀬川畔(旧立石町下村)の田んぼの畦に立つ惟栄墳墓の地碑。日本各地に散在する緒方一族が協力して昭和51年11月に碑文を建立した。
 石碑の右奥に川向こうにある馬上八幡が見える。



緒方城

福岡県築上郡上毛町と豊前市の境の
佐井川に架かる緒方橋



上毛町の緒方城跡?

東九州自動車道工事現場

 緒方三郎惟栄の石祠を訪ねた後、宇佐市内でウナギの蒲焼きを食べ元気をつけて、福岡県築上郡上毛町を訪れ「緒方城」を探し回った。
 WEB上で事前調査したところ、緒方城は上毛町の緒方地区にあることはわかっている。西吉富小と矢形池の間にあると説明されている。




 ところが、そこには城らしきものがまったくない。あちこち探して回るうちに佐井川に架かる橋で「緒方橋」を発見した。
 その橋のたもとにある酒屋さんのご主人に緒方城のことをうかがうと「城の土塁がすぐそばにあったが、東九州自動車道の工事ですべて取り除かれた」というではないか。
 道路の工事現場まで行ってみるとそれらしきところがあった。

 近くの家のおばあちゃんに話を聞いてみたが詳しいことはわからないという。ところが、貴重な情報がそのおばあちゃんからもたらされた。
地域の盆踊りの歌に『緒方三郎帯刀は……』という歌詞がある」というのだ。これはすごい。翌日、築上町図書館で調べたところ、緒方城の城主に緒方三郎帯刀なる武将がいたことがわかった。



岡城(川底城)
 
城井川に架かる岡橋


岡城(川底城)


 この後、豊前市に移動し下川底地区にある「岡城」を探した。この「岡城」は「下川底城」とも呼ばれていたという。緒方城を探したときに渡った緒方橋を再び渡り、佐井川に沿って上流に向かう。すると川岸にこんもりとした小山が現れた。近くの橋に車を止めて写真を撮ろうとしたら、なんとその橋が「岡橋」と名付けられているではないか。


 岡橋の向こう側には学校らしき建物が見える。どうやら城跡に学校が建てられているようだ。山の上の方に通じる道があるが、この猛暑では登る気になれない。次回チャンスがあれば上ってみよう。


この日の調査はこれまでにして、宿をとっている中津まで引き返した。 



宇留津城
 
 
岡城(川底城)

宇留津神社


神社の裏は海岸線
 よく26日(月)も快晴で酷暑。
 朝涼しいうちに第3の目的地「宇留津城(塩田城)」を目指す。

 宇留津城は事前の調査によると、築上郡築上町椎田地区宇留津にあるらしい。しかし、宇留津地区に入ってあちこち探すが、城跡らしきものが見あたらない。田んぼで働いているおじいちゃんに聞いてやっと場所がわかった。
 宇留津城は宇留津神社の隣にある公民館の庭に石碑があるのみで、城壁や土塁など何もなかった。
 最近までは、周防灘に面した海岸線の沼地の地の中にあったという。今では埋め立てられて田んぼと海岸線の境目にあるが、当時は海上交通の重要な拠点だったのだろう。神社の裏側の海岸線には鳥居が2つあり、どれも海から船で着岸できるようになってたようだ。
 今ではその海岸側に防波堤ができてしまって、周防灘にはつながっていない。当時は豊後の水軍だけでなく、源氏方の水軍にも利用されたのかもしれない。

 また、この地区のおばあちゃんから貴重な話を聞くことができた。この城がある集落は「木戸」と呼ばれていること。近くに昔から決してかれることのない有名な井戸があること、近くに「塩田」という集落があること、塩田姓の方がいることなど。
 このことは元山口大学教授杉尾玄有教授の研究論文と一致するではないか。杉尾氏は、この宇留津地区に「木戸」「大手木」「局」などの集落名があることから、この地が緒方三郎惟栄によって平資盛、清経、六代が秘密裏に救われ逃がされていたという推論するのである。このことについては、別項で詳しく述べたい。
 この後、築上町の図書館で地域の町史等を調べ、帰路についた。
   

    


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