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第5章  緒環(おだまき) 緒方三郎惟栄大蛇伝説


宇佐宮に行幸する平氏
 寿永2年(1183年)7月,平氏は安徳天皇を奉じて都を落ち,8月,九州大宰府に入った。
 まず原田種直の宿所に遷座し,やがて豊前宇佐宮に行幸し,宇佐八幡宮大宮司公通(きんみち)の宿所を皇居とした。
 しかし宇佐宮もあまり頼りにはならないとみた平氏は再び大宰府に移った。



惟栄に平氏を九州から追い出すよう伝える
 
 豊後国は刑部卿三位藤原頼輔(よりすけ)の領国であった。子息頼経(よりつね)を知行の代官としておいていた。
 その頼経に後白河法皇から頼輔を通じて使者が遣わされた。
「平家はすでに神々にも見放され,法皇にも見捨てられ,都を脱出し,西海の波の上を漂う落人となった。しかるに九州の者どもがこれを迎え入れていること,けしからぬこと。隣国と一味同心して九州から追い出すように」と申し送ったので,頼経はこの次第を豊後国住人の緒方三郎惟栄に下命した。




華御本(はなのおもと)のもとに通う大蛇の化身
 かの緒方三郎惟栄という者は,おそろしき者の末裔なり。 と申すは,当時,豊後国の或る片山里に住む夫をもたない独り身の娘がいた。
 ところがいつの頃からか,素性の知れぬ不思議な男が夜な夜な娘のもとに通いつめ,やがて,娘は身ごもってしまった。その母が不審に思い,娘に問い尋ねると,娘は,男の来るときにはわたしの目にも見えるが,帰るときは何も見えないと語った。




華御本に男のことを問いただす母
 そこで母は,娘に男が帰るとき針で「緒環」(苧環)を通して,そっと男の襟に刺しなさいと,と教えた。
 娘は,その夜,母の教えどおり,男の襟に針を刺した。男が何も知らずに帰ったあとをたどると,日向国の境にそびえる嫗岳(今の祖母山)という山のふもとの大きな岩屋の中に糸が続いていた。




嫗嶽のふもとの岩屋にたどりついた
 娘が岩屋の入り口にたたずんで耳を澄ませていると,岩屋の奥から異様な唸り声がしたので,娘は「あなた様のお姿を見たさに,ここまで尋ねてまいりました」と言うと,奥から「われこそは人間の姿をしているものにあらず。
 そなたが,われの姿を見れば,肝もつぶれるばかりに驚くことは必定。そなたの腹の中の子は,男子にちがいない。武勇にすぐれ,九州・壱岐・対馬にも並ぶ者とてもあるまいぞ」と答えが返ってきた。
 娘はなおも呼びかけて「たとい,どのようなお姿にもせよ,日々の睦み合いが忘れられましょうぞ。互いの姿を今一度見せあいましょう」と言う。



姿を現した大蛇

 「なれば…」という声とともに岩屋の奥から,とぐろを巻けば5,6尺もあろうかという大蛇が身をゆすりながら,這い出てきた。
 これを見た娘は,肝をつぶして,魂も消えるほどに驚いた。



悲鳴をあげてその場を逃げる郎党
                          
 引き連れてきた侍たちも10人あまりも,悲鳴をあげてその場を逃げ去った。
 娘が,男の狩衣の襟首に刺したと思った針は,大蛇ののど笛のところに突き刺さっていた。




惟祖父大太夫は大太(だいた)と名づけた
 間もなく娘は,大蛇の予言どおり男子を産んだ。祖父が「大事に育ててみようではないか」と言うので,育てていくと,男の子はまだ10歳にもならないのに背丈は大きく,顔も長い,たくましいだんしとなった。
 元服させるにあたり,母方の祖父大太夫は,自分の名にちなみ大太(だいた)と名づけた。
 大太は,夏にも冬にも手足にアカギレができたので,アカギレ大太と呼ばれた。
 死んだ大蛇は,日向の国の高千穂大明神だったという。

 その緒方三郎惟栄は,かの大蛇と娘の子である大太の5代の子孫であった。このように恐ろしい者の末孫であったからだろうか,豊後の国司刑部卿三位藤原頼輔(よりすけ)の命令を院宣と称して,九州・壱岐・対馬に回文(めぐらしぶみ)をしたので,一円の名だたる武士たちは,すべて惟栄に従属した。