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第2章  福原遷都 源氏起つ


以人王各地の源氏に令旨を送る
 
 治承4年(1180年)4月,源三位頼政は後白河法皇の皇子以仁王(もちひとおう)に平家への謀反を勧める。以仁王は熊野新宮の十郎義盛(よしもり)を召し寄せ,蔵人に任命し,名を行家と改めさせる。そして,令旨をしたため行家を使者として東国へ走らせた。

 以仁王(もちひとおう)は,地方に散らばる源氏に平氏討伐の令旨を送ったが,そのことはすぐに清盛に気づかれる。




治川を渡り平等院に攻め入る平家軍
 治承4年(1180年)5月25日,源三位頼政らは六波羅を夜打ちにしようとするが果たせず奈良へ逃げる。
 平家勢は宇治川を渡河し平等院の門内に攻め入った。宮方は混乱にまぎれて以仁王を奈良に先立たせ,頼政ら三井寺の大衆らが平等院に踏みとどまり応戦した。 
 しかし,頼政は敗死,以仁王も奈良を目前に討ち取られた。



平清盛 福原遷都を強行する
 
 治承4年(1180年)6月2日,入道清盛は福原への遷都を強行する。安徳天皇はまだ3歳でなにもわからずに輿に乗り込んだ。
 清盛は後白河法皇を福原の粗末な板葺き屋に幽閉した。守護の武士には原田大夫種直(たねなお)があたった。




文覚 頼朝に謀反をすすめる
 僧文覚(もんがく)は,伊豆蛭が島の頼朝の配所におもむき父義朝のこうべを見せて頼朝に謀反をすすめる。
 頼朝は勅堪の身でお赦しもなく謀反などできぬと断る。
 すると文覚はすぐさま京に上り,後白河法皇の平家追討の院宣をもらいうけ,3日で伊豆に下向。頼朝に院宣を差し出す。




富士の裾野から飛び立つ水鳥の群れ
逃げ惑う平家軍
 
 頼朝は院宣を受けて東国の家人に平家追討を呼びかける。そして,8月17日,伊豆で挙兵する。しかし,8月23日,石橋山の合戦で敗走。
 再度集結した頼朝勢は富士川で平家軍と対陣する。平家軍は若干23歳の小松権亮少将惟盛(これもり)が総大将となり3万の軍を率いて富士川べりに先陣をしいた。

 10月20日,夜,富士の山麓の沼に群がっていた水鳥が何に驚いたか一度にぱっと飛び立った。その羽音に驚いた平家勢は慌てふためいて総退却した。

 清盛は11月26日,都を京へもどす。




東大寺・興福寺炎上
 入道相国清盛は先の高倉宮(以仁王)に手助けした三井寺と南都興福寺を朝敵とし,頭中将平重平を大将に4万余騎で奈良を攻める。
 12月28日,平家勢が放った火に奈良東大寺,興福寺が炎上する。東大寺の大仏の頭は焼け落ち,胴は溶けてただの銅の塊となった。また,経典類も一巻も残さず燃えてしまった。