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緒方三郎惟栄 年表

西暦 和暦 月日 で き ご と
1143 康治2
緒方三郎惟栄生まれる。
1159 平治元
平治の乱起こり,平清盛,信頼・義朝らを破る。
1160 永暦元
源頼朝を伊豆に配流。平清盛,武士としてはじめて参議に任ぜられ公卿に列す。
1167 仁安2
平清盛,太政大臣となる。平重盛,院宣により全国的軍事警察権を得る。
1177 治承元
鹿ヶ谷事件。清盛打倒の密議が密告され、後白河法皇の近臣ら処罰
1179 治承3
平重盛没。法皇,重盛の地行国越前を没収。清盛,法皇を幽閉。平氏一門の知行国大いに増加。
1180 治承4 2月 安徳・後白河 2/21高倉帝、安徳帝に帝位を譲る。清盛、帝の外祖父となる。


5月 源頼政,以仁王を奉じて挙兵,宇治に敗北。


6月 福原遷都(11月京都還都)


8月 源頼朝,伊豆に挙兵。石橋山の戦いに負ける。


9月 源義仲,木曽に挙兵。


10月 頼朝,鎌倉に入る。富士川合戦に大勝。清盛の子重衡、僧兵弾圧のため東大寺・興福寺を焼く


11月 美濃・尾張・近江の源氏が蜂起する。京都還都
1181 養和元 2月 平清盛没。宗盛が平氏棟梁に.


2月 緒方惟栄,大野家基,高田高澄ら,菊池隆直に応じ,平氏に叛く。平家の原田種直,反撃して菊地の兵多く傷つく。


3月 平重衡ら,墨俣川に源行家を破る。頼朝、義仲の子義高と大姫を婚約させ同盟。
1182 寿永元
この年大干ばつ,飢饉により死者京に満つ。


10月 平宗盛,内大臣となる。
1183 寿永2 3月 頼朝、東国の沙汰権を得る


5月 義仲越中栃波山に平氏の郡を破る。


7月25日 平氏安徳天皇と神器とともに西国に逃れ,義仲,都に入る。後鳥羽天皇即位。


8月28日 平宗盛,安徳天皇を奉じて大宰府に至る。


10月20日 緒方惟栄,臼杵惟隆,日田永秀ら,平氏を大宰府より追い出す。


閏10/1 源義仲,備中水島で平氏軍に敗れる。平氏の軍大いに振るい,播磨以西を従える。


11月 源義仲,後白河法皇を法住寺殿に攻める。平氏,義仲の和平提案拒否。
1184 寿永3 1月10日 源義仲、征夷大将軍となる。


1月20日 源範頼,義経軍宇治・勢多に義仲軍を破り入京。源義仲,近江粟津で敗死。


1月26日 平氏安徳天皇を奉じ屋島より,摂津福原に還都,中国・四国の兵を集める。


2月7日 一の谷の戦いで平氏軍敗れる。宗盛ら須磨浦より屋島へ退く。
同じ頃,臼杵惟隆,緒方惟栄の兄弟,伊予の河野四郎通信に一味して,備前今木城にこもる。平教盛の攻めにあい,惨敗して豊後に帰る。



義経、検非違使・左衛門少尉任官し院昇殿を許される



頼朝、公文所・問注所設置

元暦元 6月 頼朝,平家追討の恩賞として三河・駿河・武蔵3国の知行国を賜る


7月6日 緒方惟栄,臼杵惟盛,佐賀惟憲ら,八千騎,宇佐宮を強襲。宝殿を破り,真宝を奪い,紙人を殺害。社殿に放火,焼き払う。


9月1日 源頼範軍,京より西海に向けて出発。


10月 源頼朝,さきの侍所に続いて公文所・問注所を設置。
1185 元暦2 正月 平宗盛率いる平家の主力は讃岐の屋島にあり,舎弟・平知盛は長門国彦島にこもり門司関を囲む。


1月12日 源頼範軍,赤間関に到着,長途の行軍に疲労困憊。糧食欠乏して動きとれず。


1月26日 源範頼軍,臼杵惟隆・緒方惟栄らの協力を得て,兵船82艘で,周防国より豊後国に向けて舟出。


2月1日 源範頼軍,豊後芦屋浦に上陸。原田種直軍を撃破,豊後国に拠点を確保。惟隆兄弟,平家滅亡の端緒を開く。


2月17日 源義経,摂津国渡部津より屋島に向けて出発。翌朝阿波国勝浦浜に上陸,桜庭介良遠軍を破る。


2月19日〜21日 義経,屋島を急襲して平氏を海上に追い出す。志度において平氏軍敗れる。


3月22日 義経軍,周防国より壇ノ浦に向け出発。


3月24日 壇ノ浦の戦い。安徳帝をはじめ平氏一門入水して滅亡。

文治元 8月 頼朝,伊豆・相模・上総・信濃・越後・伊予6国を賜る。このとき義経,名国司として伊予の守に任ぜられる。


9月2日 頼朝,梶原景時の子影季らを上洛させ,義経の行動を探らせる。10月6日,鎌倉に帰り義経と行家の謀反を報告。


9月 惟栄ら,宇佐宮焼き討ちの罪により官符をもって配流決定。


10月4日 惟栄ら非常の赦に逢い,流されることなく本領に復す。


10月9日 頼朝,土佐房昌俊に80余人の家来をつけ上洛させ,義経襲撃を命じる。


10月11日 義経,頼朝追討の院宣,ならびに義経の下知に従う旨の下文を賜る。同日,土佐房昌俊,義経の堀河第を襲って敗れる。


11月2日 義経,後白河院に山陽・西海地頭職と豊後武士に支援をさせるよう要求。


11月3日 後白河院,義経を九州の地頭,行家を四国の地頭に任じ,九州・四国の武士に両人に従うように命令を出す。
惟栄,義経,行家,卯の刻,京を退出,西国に出発す。


11月6日 源義経と源行家,惟栄らと西国に行く途中で大物浦を出るも,暴風雨のため船が難破し,住吉の浜に打ち上げられる。渡海を中止潜行する。


11月7日 後白河院,義経の官職である伊予の守と検非違使を削る。


11月9日 後白河院,頼朝に密使を遣わし,同12日には全国に院宣を諸国に下し,反逆者義経・行家を探して追捕することを命じる。


11月28日 公文所の別当大江広元が提案した守護・地頭制度を認めさせるため,北条時政が軍兵1千騎を率いて入京,これを勝ちとる。


12月26日 頼朝,義経・行家に味方した公卿らの免官・追放と,頼朝追討宣旨発令に反対した右大臣九条兼実ら10人を議奏公卿に推薦,九条ら新幕府公卿を知行国主にするよう朝廷に要求する。知行国は豊後,伊予,石見,因幡,美作,和泉,近江,越前,越中,陸奥,奥州。
1186 文治2 2月2日 頼朝,関東御家人毛呂太郎藤原季光を豊後の国主に任命してもらうよう朝廷に申し入れる。


4月5日 藤原頼輔死去。


5月 頼朝,漂着した源行家を処刑する。


6月16日 内裏の陣の座で惟栄らの宇佐宮濫行の件について詮議が行なわれる。


7月5日 惟栄ら再び罪名を勘ぜられる。


11月9日 惟栄ら遠流に処せられ,上野国沼田庄に流される。はじめは狩野助に預けられ,のちに千葉助に預けられる。婿に入って沼田の荘を譲られる。1男子をもうける。


12月27日 藤原頼経,解官の上安房国に配流される。
1187 文治3 2月 源義経,奥州の藤原秀衡のもとへたどりつく。


10月 藤原秀衡,死去。
1188 文治4 2月 源頼朝,藤原泰衡に源義経殺害を命令。
1189 文治5 4月30日 泰衡,衣川に義経を襲い,義経自害する。


7月 源頼朝,藤原泰衡追討軍を発する。


9月 藤原泰衡の家臣の河田二郎が藤原泰衡を殺害し奥州藤原氏が滅亡。
1190 建久元 10月 惟栄,上洛した頼朝によって赦免が願いだされ,赦されて佐伯に還る。
1192 建久3 7月 源頼朝,征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く。
1193 建久4 8月 源頼朝,弟の源範頼を幽閉。その後殺害。
1195 建久6
大友能直,豊後守護職ならびに鎮西奉行に任ぜられ豊後に入国。


10月15日 惟栄没。享年57歳。子孫佐伯を氏となす。